前編
「ふむ。これが……獣の中から出てきたっていうプレートなのかい?」
軍手を嵌め、笹倉教授はプレートを取ってしげしげと眺める。改めて見ても、獣の顔は凶暴性に満ち溢れていた。典史はその姿を見て顔をしかめる。
「ええ。獣の中に埋まっていたっていう時点で不思議なんですが、それ以上に色々不思議だっていう結論に僕と冴子の方で至りましてね。それでとりあえず持ってきました。」
「なるほど。でも、これってとりあえず警察に持って行った方がいいような気もするけど」
笹倉が首を傾げると、冴子は適当に肯定しながら答える。
「私もそう考えたんですが、でも結局そこから金属に関する研究を行う私どものところにやってくるだろうなと思いまして」
「ほぉ」
笹倉はプレートの背を撫でる。レリーフになっている表側とは違い、平らな裏面からは金属特有のひんやりとした感触がよく伝わってくる。
「確かにね。未確認生物の中から出てきた金属板か……調べる価値はありそうだ。……でも大したことは出来ないな。このプレート自体がどういう存在か理解しないことには、手荒な真似は出来ないし」
「確かに……それも、そうですね」
「でしょ? せめて同じものが二枚あればまだいいんだけど」
そう言うと、笹倉はちらりと典史の方を見つめる。冴子ははっとなって彼を庇うように立つ。典史も言わんとするところに気がついたらしく、口を尖らせた。
「今度出てきたら取って来いって言うんですか? 嫌ですよ。あの時は殺すしか無いと思ってそうしましたけど、まだ捕まえる余地があったら捕まえるつもりですから」
「そうですよ。典史に不必要な暴力を振るわせないで下さい」
二人が必死な顔で笹倉を睨むと、笹倉はばつの悪そうな顔をして彼女達を押し留めるように両手を上げる。
「いやいやいや、無論冗談だよ。そんな物騒なことを助手に勧めるような人間じゃないよ、分かってるだろう?」
彼は立ち上がると、プレートを彼らに手渡した。そして愛想笑いを浮かべ、彼はプレートの縁に刻まれた金色の模様を指差す。
「ほら、ここらへん、何かの文字に見えない?」
明らかに話題を逸らしに来ていたが、二人は何も言わず教授の言葉に従いプレートを覗き込んだ。言われてみれば、似たような模様が幾つかの固まりで羅列されており、そう見えないこともない。冴子はプレートを目の高さまで持ち上げて覗き込む。
「そう言われてみれば……確かに……」
「だろう? 二人はとりあえずこのプレートの文化的部分について調べてみてくれないか。私はちょっと私用で出かけるから、戻ってきたら君たちと一緒にそのプレートについて調査しよう。それじゃ」
笹倉は早口で言い切ると、そのまま早足で研究室のドアを開け、さっさと立ち去ってしまった。取り残された二人は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔で見つめ合う。
「……化け物の中から出てきたプレートに文化もクソもあるか?」
「でも、教授がいないのに勝手に機材を動かすわけにもいかないし……一応言う通りにしておいたら?」
「そうだな。……全く、笹倉教授は……最近何かと私用ばっかりだけど、何してんだろうな」
「そういえば、たまにこそこそ電話してるわね」
「何のつもりかねえ。こっちはオリハルコン合金の実用化研究のスケジュールが詰まってるのによ……」
典史は自分の椅子に腰を落とし、溜め息混じりにプレートを見つめる。蛍光灯の光を浴びてそれは鈍色に光る。廃墟の中に立ち、口を大きく開いて咆哮する姿。見れば見るほど、先週の惨劇が思い出される。人々が倒れている光景、自分が獣に手を下した時の感覚。典史は思い出すほどに気分が悪くなった。
「……これが戦うってことなのか」
「どうしたのよ。いきなり悟ったようなこと言って」
冴子が尋ねると、典史はプレートをデスクの上に置いてそっぽを向いてしまった。
「何でもねえよ。心配すんな」
「そう?」
典史は天井を見上げる。今までしてきた無茶がちらりと脳裏を過る。空き巣を捕まえて締め上げた事もあり、果てには銃を持っている銀行強盗に飛びかかって行ったこともあった。しかし、何かの命をはっきりと奪い去るような事はしたことが無かった。
ましてや怒りにかられるあまりの行動だ。全く誇れたものではない。心配するなと嘯きつつも、典史は少々打ちのめされていた。
しかし運命は非情である。そんな典史にも、平気で戦うことを求めるのだ。典史は目を見開き、左耳を押さえる。その左腕には、またしても紅い篭手が宿った。
「また助けに行けってか。……くそっ」
しかし、耳に響く助けを呼ぶ声は彼の苦しみを無視して強くなっていく。典史にはむしろその方が耐えられなかった。心配そうに寄り添う冴子の目を一瞥し、典史は静かに立ち上がった。
「典史……」
「行ってくる。誰かが助けを呼んでるんだよ」
彼は篭手の嵌った左手を握り締め、研究室を飛び出した。一人取り残された冴子は、プレートをそっと手に取り、神妙な顔でその醜悪な顔を見つめていた。
その頃、街の中では黒い怪物が縦横無尽に飛び回っていた。巨大な翼で飛び回り、逃げ惑う人々に襲いかかっていく。警察は威嚇射撃をしたり、飛びかかってくる怪物の爪を盾で受け止めたりと必死に奔走していた。
「危ない!」
転んだ女性に向かって黒い怪鳥が襲いかかる。機動隊の青年はその間に割り込み、盾の縁を怪鳥へ向けるように構えた。その鋭さに怪鳥は突進を渋り、再び空へ舞い上がった。青年はその翼へ銃を撃ちこむ。しかし、やはり効果は無い。手をこまねいているうちに、反転した怪鳥が襲いかかってきた。
青年は再び盾を構えたが、怪鳥はそれを鷲掴みにして空へと舞い上がろうとした。その力に抗しきれず、青年は盾を離してしまう。すると怪鳥は盾を投げ捨て、無防備の青年へと突っ込んできた。青年は舌打ちをし、身構えた。背後にはおぼつかない足取りでパトカーへ走る女性がいる。避けるわけにはいかない。
「来い」
怪鳥が青年を引き裂こうとその爪を振り上げる。青年は地面を踏みしめて怪鳥を睨みつけた。
しかし、その爪は青年には届かなかった。怪鳥の上に何かが襲いかかり、そのまま地面に突っ込んだのだ。
「今度は鴉かよ」
そこにいたのは、紛れもなく白い騎士だった。その背中には白い翼が燦然と輝いている。青年は目を見開き、思わず叫んでいた。
「お前は!」
「……ああ、誰かと思ったら。今日も協力させてもらう」
白い騎士はそう言うと、鴉を押さえ込みにかかった。しかし、翼も腕もある怪鳥を固め切ることは出来ず、強引に起き上がられてしまった。怪鳥は白い騎士を足蹴にすると、そのまま上空高くへと舞い上がる。白い騎士はその背を睨み、翼を広げて空へ鴉を追いかけた。
そして置いてけぼりを食らった青年は、苛立ったように首を振り、携帯を手に取った。
「笹倉教授、Dアルファはまだ完成しないのですか!」
『昨日も言ったじゃないか。いくら急かされても仕事は進まないとね。あと三週間はかかる。最後の強度テストはいくらしてもし足りないんだ』
「……すいません」
電話の相手の叱責に返す言葉も無く、青年は肩を落として携帯を切った。のっそりと携帯をポケットに戻すと、青年は唇を真一文字に結び、帽子を目深に被り直した。
典史は空中を滑るように飛び、怪鳥を追いかけていた。しかし、ビルの屋上近くを飛ぶ怪鳥に対して、典史はせいぜいビルの五階程度までしか飛べない。どうあがいても届かない。その上相手の方がわずかに速く、このままでは振り切られてしまう。
「何かないのか……」
見回すと、道路沿いに並ぶ街路樹が目に入ってきた。その瞬間、彼の脳裏に何かが閃いた。典史は敵から目を逸らさず、街路樹に降りる。そしてその枝に向かって右手を突き出した。すると葉の一部が緑色の輝きへと変わり、典史の右手へと集まる。そして光はプレートへと変わった。見れば、百輪の薔薇が描かれていた。
「……よし」
迷う間もなく、典史はそれを手甲に嵌め込んだ。途端に白い鎧は緑色へ、さらに分厚く豪奢になり、兜の奥で光る目は黄色に輝いた。マントは短く縮み、一対の巨大な棘になって背中に備え付けられた。典史は獲物を目指して急降下を始めた鴉を睨みつけ、腹から湧き上がる力を気合に込めて叫んだ。
「うおおっ!」
同時に背中の棘が茨となって鴉に向かい飛び出した。そして茨は鴉を襲い、その足を絡め取った。典史はその茨を掴むと、思い切り自分の方へと引き寄せる。鴉はバランスを崩し、そのままアスファルトに叩きつけられた。
「怪我人も無えようだし、お前は許してやるよ!」
叫ぶと、典史は再度気合を込めて地面に手を叩きつける。アスファルトを突き破って四本の蔦が伸び、鴉を雁字搦めに縛り付けた。
「グ……グゥ……」
鴉は唸るが、どれだけもがいてもその蔦は切れない。典史は茨を自分の背中に戻し、ゆっくりと鴉へと近づいた。
「これで逃げられないだろ」