前編
彼女はがくりと膝を付き、横ざまに倒れる。典史は目を見開くと、虚ろな目をした彼女を抱き上げる。
「冴子! 冴子ッ! おい、冴子!」
みるみるうちに彼女の胸からは血が溢れ、コートは真紅に染まっていく。彼女は血を吐きながら微笑むと、彼の頬に手をのばす。
「良かった……無事で……」
「冴子、冴子!」
典史は目に涙を浮かべて叫ぶ。見れば、彼女を抱く彼の右手も血に染まっていた。蒼白な彼女を、それでも微笑んでいる彼女を見つめ、典史は喚いた。
「冴子! 何でだよ、冴子!」
「だって……典史はみんなを守ってるけど……そんな、あなたを……守るのは誰? 私しか、いない……でしょ?」
典史は鼻をすすると、首を振って叫んだ。
「冴子……ダメだ。死んじゃダメだ。死んだら嫌だ! 俺と結婚してくれるんじゃなかったのかよ! おい!」
「……ごめんね。それだけは心残り、かな。でも、あなたなら、きっといい人見つけられるよ。だから、落ち込まないで」
浅い息をし、再び血を吐きながら冴子は微笑む。典史は涙を拭い、目から光が失われていく冴子に叫んだ。
「ダメだ! ……何でだよ。何でお前は肝心な時に俺を守るんだよ。俺が守りたいのは、一番守りたいのは……」
その時、天使が今まで蓄えに蓄え続けていた巨大な光球を典史に向かって飛ばす。典史はその眩い光を見上げた。
「冴子なんだよ!」
典史が慟哭したその時、彼と冴子を光が包んだ。その光は光球を呑み込み、さらに輝きを増す。天使は目を見開き、光が一気に発散されていくその様を呆然と見渡した。
「うわあぁぁっ!」
典史の絶叫と共に、彼を包む世界が一気に変貌した。怪物に折られていた街路樹が一気に芽吹き、軒並みビルと肩を並べる巨木と変わる。空の雲が巨大化し、雷が鳴り響く。怪物が暴れひび割れていた道路が、一気に新品のようになる。そして、冴子の胸の傷が塞がり、生気を取り戻させた。彼女はもう一度血を吐き出すと、胸を押さえて起き上がった。
「あ、熱い! 身体が!」
「冴子……俺はお前を死なせない。守るんだ。俺は絶対にお前を守るんだ。……愛してるんだよ。冴子を」
冴子は口から垂れる血を拭うと、ばつが悪そうに鼻頭を擦り、にやりと笑った。
「……へへ。私ってズルいんだ。知ってるもの。今までだって、ちゃんと私を守ってくれた事。今も、きっと典史なら助けてくれるって、どこかで信じてたんだ」
「何だよお前。……後で絶対説教だ。今までお前にされた分、みっちりやってやる」
典史は涙を拭き、顔を上げて真紅の天使を睨みつける。光の壁の向こう側でも、驚愕の表情がはっきりと見えた。典史は不敵に歯を剥き出して笑い返すと、静かに立ち上がった。
「そのためには、神とか何とかほざいてる、てめえを倒さないとな!」
その時、典史の身体が変身した。全身が黒い肉体と変わり、服は黒い鎧兜へと変わる。その奥の目は金色に輝いた。そしてその背中には、大きな黒い翼が六枚、小さな黒い翼が六枚、十二枚の翼が生える。その姿を見つめ、裁きの天使は呆然と呟いていた。
「ルシファー……」
その頃、衛士は刀を地面について息を荒らげていた。最早今まで切って捨てた獣の数を覚えていない。紺色だったそのスーツが今や返り血で真紅に染め抜かれている。ミハエルの方も同じだった。彼らは背を向け合って立ち、彼らを取り巻く獣の大群を見渡す。
「……ミハエル。お前は逃げていいんだぞ」
「何を仰る。私は衛士殿を置いて逃げるなど、絶対にしません」
「ならいい。それならここで死ぬ覚悟は出来ているだろうな」
肩で息をし、喘ぐように衛士はミハエルに話しかける。ミハエルは無言で頷いたが、倫香がバイザーの隅から鋭い眼光で睨みつけた。
『何言ってるの! 私とデートしてくれるって言ったのに! 絶対死なせない。私はあなたへの借りを返し終わってない!』
『そうだ。生きて帰って来いと言ったじゃないか。出たよ。あの怪物の中にあるプレートの場所が』
「何ですって?」
『プレートは怪物の腹のちょうどど真ん中に埋まっている。縦にも横にも、奥行きにもね』
「あ、あそこか……」
衛士は両手に刀を握り締め、こちらに獣を差し向け続けている怪物を睨んだ。しかし、もうあの巨体の中へ切り込んでいく体力は無い。衛士はふらつきながら、怪物を睨んだ。
「こいつめ……どう倒すかは分かったというのに……!」
――我らが力を貸そう
獣を死力で薙ぎ払う衛士に、三体の魂が囁きかけた。衛士はもう頭で考えている暇はなく、気合を上げながら叫ぶ。
「何だ! どうすればいいんだ!」
『え、衛くん……?』
倫香の戸惑っている声を聞く暇もない。衛士は必死に魂の声に耳を傾けた。
――我らが魂の力を原理の力に変え、あの怪物にぶつけるのだ
――我らと違い、彼らは歪みに歪んで不安定だ
――我ら三人の力を合わせば、易い事
「……わかった」
衛士はミハエルを一瞥する。
「俺が怪物を倒す。ミハエルは援護してくれ」
「承知しました!」
ミハエルは叫ぶと、爪の血を払って衛士に近づく獣をその爪で切り裂く。低く咆哮すると、獣を威嚇し退かせた。
「衛士殿には指一本触れさせん!」
「ヴ、ヴゥ……」
――いざ、我らと共に行かん
――原理の力は、正義と共にあり
――正義とは、澄み渡る心で全てを為すことなり
衛士は刀の血振りをすると、ゆっくりと剣を怪物の腹に向ける。壊れた翼が蘇り、その中心から刃が伸びて怪物を狙う。足のプロテクターについた剣状の脛当てが外れ、これも先端は怪物を狙う。そして、五つの刃から放たれた光が五芒星を描く。衛士は深く息を吸い込み、自分の体力を振り絞っていく。
「刮目しろ……これが何かを守りたいと思う力だ!」
衛士は叫ぶと、光の束を怪物に向かって放った。まともに身体の中心にぶち当たり、怪物は呻く。一気に光が腹部から全身へと伝播していく。
『敵のオーエネルギー反応が飛躍的に増大してる! 衛くん!』
「心配……するな」
倫香が不安げな声で叫ぶ。衛士は悲鳴を上げる全身に鞭を入れ、さらに光の束を広げる。怪物は全身を輝かせ、そしてその輝きは周囲の獣にも移っていく。衛士は気合を込めて絶叫した。
「でやあぁぁっ!」
「アアア……」
獣は仰け反ると、全身から光を放つ。そのまま崩れ落ちると、身体のあちこちで小さな爆発が起き始める。そのままその爆発は全身、そして分身である獣へと伝播し、怪物は爆炎の中に消えていった。
刀を納め、衛士はその場に膝をつく。
「終わった……のか」
『エネルギー反応、消滅。うん。本当にやったんだよ!』
「そうか……典史の方は、どうだ?」
『……今とんでもないことになってる。どっちのエネルギー反応も数値が青天井で、どうなるか……』
「まあ、典史なら大丈夫だろう。俺は心配せず、ここで休ませてもらうことにする。もう動けん……」
その場で仰向けになった衛士に、這いずりながらミハエルがやってくる。彼も溜め息をつくと、衛士の隣で寝転んだ。
「やりましたね。衛士殿」
「ああ……後は、典史が帰ってくるのを待つだけだ……」
地下鉄入り口の鋼鉄扉が開き、中から機動隊の面々が顔を出す。駅は見る陰もなく崩壊していたが、あの脅威の怪物の姿は無くなっていた。市民達も中から飛び出してくる。
「やった! ……助かった!」
「ああ。だが駅が……」
「何。どうせ十年もすれば建て直すんだからいいじゃないか」
衛士は人々の明るい声を聞き、静かに微笑んだ。
――よくやったぞ。人間
――面白いぞ。人間
――これからも観察させてもらうぞ。人間
(分かった。よろしく頼む)
衛士は安堵の溜め息をつくと、そのまま腕を枕にして昼寝を始めてしまった。




