前編
「ああ……何か楽になってきた……」
典史は点滴を受けながらぼんやりと病院の天井を見つめていた。隣ではうんざりした顔の冴子が俯いている。
「全く、頑張り過ぎなのよ。典史は」
診断の結果は過労に伴う貧血だった。他にも低血糖など様々な症状が出ていたが、要するに『一旦休め』という事だ。典史は空いている方の腕を枕にして呟く。
「まあ、あんなに長く変身してたのは初めてだしな……体力使い切っちまったのかもしれない」
「改めて釘刺しておくけど、無茶して死んだりしないでね。頼むから。ヒーローも疲労には勝てなかっただなんて、そんな笑えない冗談はよしてよ」
「分かってるって。衛士も復活したし、そんなひどいことにはならねえさ」
「頼むよ? 本当に……」
冴子は溜め息をつくと、鞄から本とプリントを取り出し、何やら始めた。典史はじっとその手元を見つめる。
「また解読作業?」
「ええ。木之蔭くんが向こうの研究チームに掛け合ってくれたらしくて、向こうが持ってたかなり大事な資料の写真を送ってきてくれたのよ」
「へぇ。ただの歴史オタクかと思ったら、中々やるな。何か分かりそうか?」
冴子は意味深に影のある笑みを浮かべると、プリントに鉛筆を走らせていく。
「何かもカニかも、とんでもないこと分かりそうよ。あの廃墟のルーツとか、レグナのルーツとか」
「へえ……」
典史は窓の外をちらりと見つめる。昨日、あの戦いの最中で典史は確かに見た。黒いローブの男の姿を。あの化け物じみた顔。赤く光る目。普通の人間ではないのは確かだ。そのことを冴子に話すと、彼女は思いつめた顔で相槌を打つ。
「順当に考えれば、それが全ての黒幕なのかもね」
「ああ。そいつが何なのかは分からないけど……何というかあれを見た時、何か、とんでもない存在の気がした」
「うーん……とりあえず頑張ってみる」
眼鏡を掛け直して本を開いた冴子を見つめ、典史は自分でもローブの男について考え続けていた。
その男は、憔悴しきった顔で自室に閉じこもっていた。その目には、今もあの陰惨な悲劇の光景が浮かび上がる。おぞましい顔の怪鳥、そこら中に転がる死体、燃え上がる車。そして、目の前で倒れていた少女の恐怖で崩れきった死に顔。あまりにも恐ろしく、家を出ることなど出来なかった。
最近はもう水と砂糖、そして塩しか口にしていない彼の顔はげっそりと頬が痩せ、髭も髪も全く手入れされていない。テレビにラジオどころか部屋の電気すら付けず、彼は闇の中ただただ座り込んでいた。
その暗がりの中に、いきなり二つの赤い光が灯る。その光は男を刺すように照らし、ゆっくりと近づいてきた。
「生に絶望し尽くしたいい顔だ。お前こそ、最後の贄にふさわしい」
「な、何だよ、お前は! 何なんだよ!」
男は慌てて後ずさりし、不意に現れたローブの男を見つめる。彼は震えるしか無い。
日ノ出市を彩る『白』の都市伝説の裏には『黒』の都市伝説がまことしやかに囁かれていた。夜に一人でいると、口が裂け、眼が赤く光るローブの男が現れると。そして、彼に会った人間は、一人として生きてはいない、と。
「止めてくれ! 殺さないでくれ!」
「フフフ……私は復活するのだ。抗おうと無駄だ」
ローブの男は懐から普段よりも大きく、さらに禍々しい気に包まれているプレートを取り出すと、男に投げつけた。プレートは心臓に突き刺さり、男は絶叫した。
「ああ、あああ!」
身体はいきなり泡立ち、男は七転八倒して喘ぐ。そんな彼の身体から一筋の光が飛び出した。ローブの男はその光を自分の胸に引き寄せる。途端に彼の身体は光を帯び、黒い彼の身体は肌色となり、化け物のようだった顔も人間のそれに戻る。男は自分の姿を見つめ、再びにやりと歯を剥きだして笑った。
「さあ……天使よ。この絶望を打ち破るために進化せよ。その時が……神の計画、執行の時だ」
ローブの男の甲高い笑い声が、身を切るような冷気が漂う闇の中へと響き渡っていった。
Dベータを装着し、衛士は典史達に向かって話していた。
「……俺は正気を取り戻す時、プレートに宿る魂と遭遇した。今もこうして装備するとやたら話しかけてくる」
「それで、怪物たちの正体が分かったって、どういうことだ?」
典史の質問に衛士は頷き、一つ一つ言葉を選ぶようにしながら話し始めた。
「ミハエルも言っていた通りだが、プレートに宿る魂は、浮かばれない魂なんだ。供養もされず、食べられもせず、殺されたままゴミのように捨てられて……要するに、成仏できなかった魂がプレートにされてきたんだ」
「だが衛士殿、何故私は魂をプレートに封じられたのだ。母上殿なら供養もしてくれように」
ミハエルが尋ねると、衛士は肩を竦めた。
「奴らもわからないらしい。お前自身で納得してみてくれ」
「むう……」
ミハエルは座り込むと、素直に頭を抱えてうんうん唸り始める。こういうところはやはり犬だ。衛士はそんな彼を放っておくと、倫香を見ながら話を再開する。
「で、倫香。お前が言っていたオーエネルギーの件だが、こいつらはそれに関しても色々言ってる。原理の力がどうとか、始原の世界がどうとかな。正直訳がわからない」
「訳が分からないで締めくくられても……言うだけ言ってくれなきゃ本当に分かんないよ。どうぞ」
口を尖らせた倫香が手を差し伸べて促すと、衛士は耳元を押さえた。そして頷きながらゆっくりと話し始める。
「あー、これは原理の力。世界の全てを統べる、世界そのもの。世界の理法は不変のように見えるが、原理の力を制御できれば、自らの望む世界を生み出し、理法すらも変えることが出来る……始原の世界より原理の力を引き出すことによって……人は表面上の世界を支配した次は、この原理の力を行使し、全き世界を支配しようとした。これを人は魔法と呼んだ。だそうだ」
衛士が耳に囁く魂の声をそのまま伝えると、笹倉と倫香は愛想笑いで首を傾げていた。衛士はむっとして二人を指差す。
「だから言ったんだ。訳がわからないと――」
「いいえ。ちょっと分かったわ。そのシステムの一つが、『レグナ』だってことが」
ずっとパソコンのキーボードを叩き続けていた冴子が顔を上げる。全員が冴子に注目する。彼女は一枚の大きな写真を持って立ち上がると、五人をじっと見渡す。
「聞いて。私はずっとプレートの縁に描かれた文字みたいな模様が気になって調べてて、友達に色々資料を貰ったの。そしたら色々と面白い話がどんどん出てきた」
「何だ? 例えば」
典史が尋ねると、冴子は一枚のプリントを取り出した。石版の中央には、十字架が描かれている。
「あの廃墟に暮らしていたのは歴史にすら封じられるほど異端の教派だったの。ここには、奇跡を生み出す人物を生み出すとして、日々生贄を捧げたり、教徒に水銀を飲ませたり、教徒同士の乱交が行われたり、なんて事が書かれてたわ」
「秘蹟、っつうよりはただの黒魔術だな。それ」
典史が吐き捨てるように呟くと、冴子は新たな石版の写真を見つめてさらに続ける。
「けど、成果は出た。動物と心を交わせる者、千里先も見通せるような者……そうした人間がちらほら現れたの。それを聖人と見るか魔法使いと見るかはみんなの自由だけど」
今度は一枚の絵画を取り出して話をさらに進める。そこには、騎馬軍団の中に舞い降りる一人の天使が描かれていた。
「そんな中、そんな教派許して置けるかって、多くの領主が結託してその城を制圧しようと動き出した。そこでレグナのシステムが作られた。ひときわ強い力を持って生まれた兄妹の、妹を生贄にし、兄を装着者にすることで、兄妹の力を統合するために……」
典史はおもむろに篭手を呼び出す。その真紅の輝きは、もはや血の赤にしか見えなかった。典史はこの篭手を初めて目にした日を思い出す。あの時、荒俣は何と言っていたか。
「けど、冴子。あの時、荒俣はこの篭手が岩石に包まれた状態で見つかったって言ってなかったか? どうしてそんな状態に……」
「私も調べてみたけどそれ以上の事は分からないの。天使が強固な守りとなっていたことは書かれているけど、それ以後の事は、まるで歴史から切り取られたみたいに記述が――」
その時、警報が基地に響き渡った。冴子は立ち上がってレーダーを確認する。そこには巨大な反応が、中央街の大通りと駅前の広場に一つずつ存在した。
「何これ……今まで見たこともない反応の大きさよ」
じっと篭手を睨みつけていた典史だったが、ついに勢い良く立ち上がった。
「でも行かなきゃ仕方ない。どうせ自衛隊は外回りが忙しくて動けないんだ。俺達が動くしかねえだろ」
「そうだな」
日本刀の柄に手を当て、衛士が頷く。ミハエルも姿を鎧を纏う獣と変えた。笹倉は三人を見渡すと、息を深く吸い込んだ。
「さて。私から言えることなんか無いけれど、敢えて言わせてもらうなら……絶対に死んじゃダメだよ」
「了解」
三人は頷き合うと、出撃口から全員飛び出した。雪が薄く降り積もる路地に出ると、典史は右手を天に突き上げてプレートを呼び出す。そして篭手に嵌め四つの翼のケルビムへと変身する。翼を広げると、典史はバイクに乗り込む衛士達を一瞥する。
「俺は大通りの方へ行く。二人は駅前の方を頼んだ!」
「分かった。行くぞミハエル」
走りだした二人を見送り、典史は一気に飛び出した。




