前編
今日は一月三日、正月休みである。しかし、地域防衛に休みは無い。笹倉達は今日も基地に来てDシステムの仕上げなど様々なことを行なっていた。
「夕べも見たけどやばいな、それ」
典史は冴子を見て呟く。無理もない。彼女の横には大量の書物やファイルが積み重なっているのだ。個人的に例の廃墟の研究に行ってきたという友達から借りたらしい。
「しょうがないじゃない。ミチは結局頼りにならなかったし」
「そうだな……何か俺に出来ることあるか?」
「うー。手伝って欲しいのは山々だけど、無理しない方がいいんじゃない?」
本を手にとって見ると、題は『宗教学辞典』やら『哲学思想事典』やら様々だった。しかし、基本的にはキリスト教系の本が多い。恐る恐るページを捲ると、ふわふわして訳の分からない文言ばかりで目が回る。
「ああ……遠慮したくなるぜ」
「ならこっちやってよ」
典史は冴子に数枚の写真とレポート用紙を突き出される。見れば、彼女が家でもちょくちょく作業していた文様の解読作業がまとめられている。
彼女は『LEGNA』は『ANGEL』というところからプレートの模様はアルファベットに対応しているのではないかと予測して解読に取り組んだ。意味のある文章が出来上がるなど、基本的には間違いでは無かったのだが、模様の種類が明らかに二十六種類よりも多く、そこで彼女は少々行き詰っていた。
「あの戦法ね。はいはい……」
典史は文章をじっと見つめ、鉛筆を取りながら呟く。行き詰まった冴子が取ったのは、とにかく対応できる文字は対応させ、残った文字は適当に当てはめることで無理矢理意味のある文章を見つけ出し、そこから模様に対応する文字列をも見つけ出すというやり方だった。非常に地道で面倒な作業である。
「もっと楽なやり方があればいいんだけどねえ……」
「言っても始まらない。ほら、頑張ってよ」
「分かった分かった」
一方、衛士と倫香、笹倉そしてミハエルは広い空間の中心に組み上げられた一つの黒いスーツを見つめていた。その黒いスーツの右腕、左腿、背中にはそれぞれ熊、魚、鷲のプレートが取り付けられている。これこそが、プレート、そしてレグナが用いているオーエネルギーの力を流用するための機構を備えた新スーツ、『ディフェンダーシステムタイプベータ』、通称Dベータだ。
「……これに電磁波を加えれば完成なんだな」
衛士はスーツを見つめて呟く。レグナのシルエットをイメージしつつ、それをアレンジした左右非対称のデザインが、スーツに独特の威圧感を与えていた。
「うん。うまく行けば、あのスーツはオリハルコン合金と同等以上の強度と、チタン並みの軽さを手に入れられるの。……まあ、ちょっとどうなるか分からない部分があるけど」
「大丈夫なのか、そんな態度で」
パソコンを操作する倫香をミハエルが怪訝な顔で見つめる。倫香はそんな彼を睨みつけ、軽く舌を出す。
「馬鹿だねえ。これだから犬っころは。科学は失敗から成り立ってるんだよ。『事故は起きるさ』って知らないの? 大事なのは、百パーセント成功させることじゃなくて、不測の事態が起きたどう対処するかなの」
「あ、ああ……」
ミハエルは首を傾げる。その肩を叩き、笹倉は真剣な顔でスーツを見つめる。
「まあ、これは倫香くんの言う通りだよ。それに、一応今までの実験では全て上手く行っているしね。最近現れている未確認生物はDアルファでは対応が難しくなっていた。このまま手を打たないわけにもいかないよ。……少なくともここが吹っ飛ぶという事態は起きないから。大丈夫だよ」
「ならいいが……」
ミハエルが溜め息をついたまさにその時、部屋に警報が鳴り響いた。冴子ははっと顔を上げると、近くのモニターを慌てて起動する。すると、そこには日ノ出市周辺の地図が描かれ、北部の町並みの中に赤い点が光っていた。
「日ノ出市北二十条西四丁目付近に強いエネルギー反応があります! 笹倉教授!」
笹倉は頷くと、周囲を鋭く見渡して指示を始める。
「典史くん、まずは君だけで出撃してくれ! こちらではDベータの最終調整を行う。ミハエルくんは万一の事態に備えてここに控えてくれ。いいね!」
「はい!」
「承知した!」
典史は基地を飛び出すと、右手を突き上げて智天使の描かれたプレートを手に取る。そして、真紅の篭手に勢い良く嵌め込んだ。途端に彼の身体は光に包まれ、四枚の翼を持ち、目の意匠を施した鎧を纏った戦士に変わる。彼は翼を広げると、一気に暗雲立ちこめる空へと飛び出した。
怪物が現れたという現場では、既に避難が始まっていた。典史達が回収した大量のプレートを元に倫香が開発した『オーエネルギーレーダー』の賜物である。
「地下へ! 地下へ避難して下さい!」
警官達は人々を地下鉄駅の中へと誘導していく。既に未確認生物の襲来に慣れ始めていた日ノ出市の住人達は、その誘導に素早く従い、鋼鉄の扉を付けシェルターとしての役割を持たされた駅の中へと入っていく。そして機動隊が駆けつけると、土のうを積んで駅の入口を守る。そんな所へ、今度の怪物は現れた。
「ドグ、フォトラエハノ!」
三メートルはあろうかという巨体。頭にそびえる二本の鋭い角。大木のように太い両腕と両足を覆う分厚い皮。その姿は、伝説に現れるミノタウロスにも似ていた。それは手に持つ大木を振り回し、機動隊に襲い掛かった。隊員は盾を上げて身を固める。
「はぁっ!」
そこへ、空から急降下してきた天使が襲い掛かる。手に持った自分の身の丈程もある剣を振り薙ぎ、牛の怪物が持つ大木を切って捨てる。牛は目の前に舞い降りた腰ほどの身長しか無いその戦士に向かって嘶く。
「くそっ……今回の化け物はでかすぎるな……」
典史は呟くと、今しがた切り落とした大木に手を向ける。右手を差し向けると、その大木は緑色の光となり、牛面の天使を描いたプレートへと変わる。
「牛には牛だ!」
典史は叫ぶと緑のプレートを篭手に嵌める。途端に鎧は緑色に染まり、分厚く刺々しくなって彼の全身を覆い、兜からは二本角が伸びて巨大化した。そして一対の翼は太い茨へと変わって背中に収まる。典史は二メートルを優に越す斧を握り締め、黄色の目で怪物を睨んだ。
「覚悟しろよ、この化け物!」
典史がその重い足を一歩踏み出すと、いきなり背中の茨が伸びて、巨大な牛に襲いかかった。その右足、左腕を絡めとる。そしてその背後からは太い蔦が飛び出し、牛の左足と右腕を縛りつける。
「喰らえッ!」
茨と蔦が僅かに牛の巨体を持ち上げ、斧を構える牛の方へと引き寄せる。典史は雄叫びを上げると、牛の胸に向かって斧を振り下ろした。しかし、そのあまりに分厚い皮膚は鉛のような質感で、刃は食い込んでもその勢いが削がれてしまった。
「何っ!」
「レグナ……レグナァァッ!」
牛はその巨大な右足で典史を蹴り飛ばした。その重厚な装備は典史の身を守り切ったものの、弾みで牛の拘束が外れてしまう。牛は低い嘶きで周囲を轟かせ、ビルのガラスを尽く割った。機動隊は慌てて頭を盾でかばう。典史は重い鎧に苦しみながらどうにか起き上がり、手を天空に突き上げた。
「物理攻撃がダメなら、これは!」
手に光が集まり、智天使のプレートが再び手に宿る。そして典史は白い鎧、四つの翼を持ったケルビムの姿に戻る。そして剣を呼び出すと、その剣に青白い炎を宿らせた。
「こいつで、どうだァッ!」
鋭い一撃が牛の肩に食い込む。一気に青い炎が牛に燃え移り、分厚い皮を焦がしていく。しかし、全く怪物は怯む様子を見せない。鼻息を荒くして牛はその赤く光る目で典史を睨みつけ、右手で払い除けた。
「うおっ!」
典史はオフィスの中に突っ込む。デスクを幾つか吹き飛ばし、典史は壁に叩きつけられた。進化してさらに強靭化した鎧と肉体はそれでも傷つかなかったが、衝撃は大きくふらついた。
「くそっ……」
典史は剣をレイピア状に変える。そして翼を広げ、ビルを飛び出した。
「それなら!」
典史は牛の角に取り付くと、その巨大な鼻にレイピアを突き刺した。白熱した刃が怪物の鼻を焼いていく。こればかりには耐え切れず、牛は鼻からレイピアを引き抜き暴れだした。ビルの壁を所構わず壊し、窓を叩き割っていく。典史は飛び上がって逃れたが、その有り様に息を呑む。
「くっ……」
典史は振り上げられた腕に向かって突っ込み、引き倒そうとする。しかし牛はびくともせず、そのまま地面に叩きつけられてしまった。典史は跳ね起きると空高く飛び上がり、巨大な鎚を作り出した。
「切れないなら、潰す!」
典史は歯を食いしばると、一気に牛の下へ急降下した。そしてその巨大な鎚を牛の頭に叩きつける。皮膚が凹み、跡が付く。多少の硬い手応えがある。しかし、覚悟していた全てが砕ける嫌な感覚が無い。
「何っ!」
典史は巨大な拳で突き上げられた。そしてそのまま地面に倒れ込む。傷は無くとも、殴られ続けては消耗する。典史は息を荒くし、思わず膝をついてしまった。
「……くそっ。さすがに硬すぎる……」
その時、典史は異様な視線を感じた。思わず空を見上げる。そして彼は見た。全ての黒幕、黒いローブの男を。




