後編
という事もあり、翌日二人は雪がちらほらと降る中、身を寄せあって歩いていた。
「こうして歩くの、何か久しぶり」
冴子が軽く頬を赤らめながら呟いてみたが、彼女の気分を読みきれない典史は首を傾げてしまう。
「そうか? いっつもこうしてる気がすっけど」
「もう! そうじゃないでしょ。これだから典史は典史なのよ」
冴子は典史を突き放すと、軽く繋いでいた手をポケットに突っ込んでしまう。典史は澄ました顔をしている冴子を慌てて取り成した。
「ご、ごめん。許してくれよ」
「分かった。許す」
冴子は典史の必死な顔を見て微笑むと、再び彼の手を取った。そのまま二人はしばらく薄い雪化粧をした町並みを見つめて歩き続ける。人々も車も街を行き交っている。今日は聖夜だ。カップルの姿もちらほら見える。しかし、普段ならばもう少し車通りも人影も多くていいはずだった。
「やっぱり寂しくなってるね」
「ああ。そりゃそうだろ。怪物はいつ出るかも分からないわけだし。怖くなって田舎に疎開した人だっているっていうぜ」
「……黒幕か……あんな怪物を作り出して、何をしたいのか。そもそも、その黒幕って人間なのかな」
「ううん……」
典史は空を見上げる。初めて二対の翼を持つ天使に変身した夜、微かだが何者かの笑い声を聞いた気がした。あの鮮烈な光景の中で笑う事の出来るような存在だ。少なくともまともな精神の持ち主では無いだろう。もしかすれば、それが黒幕というやつなのかもしれない。そう思った所で、典史は首を振った。
「やめよう。考えれば考えるほど気分が悪くなる。……今日だけは考えないことにするよ」
「そうね。ごめん」
冴子は目の前のデパートを見上げた。彼女は表情を緩めると、思い切り典史に抱きついてみる。
「ね、あそこのデパートでショッピングなんてどう?」
典史は一気に赤くなり、彼女の腕を振りほどいて目を背ける。
「……いいけど、大したもの買えねえぞ?」
「いいわよ。そんなの分かってるから。見るだけよ。いつか買えたらいいなあ、って」
見れば、冴子は屈託無く笑っている。普段はクールに振る舞っておきながら、こうした時の冴子はまるで少女のようだ。典史は照れ隠しに肩を竦め、顔を背けた。
「……全く。プライドが傷つくぜ」
その時、いきなり叫び声が聞こえた。見れば、こちらに向かって自転車で猛進してくる男がいる。そのカゴには似合わないブランド物の手提げ鞄がある。典史は冴子を脇に下がらせ、構えた。
「どけっ!」
男は叫ぶ。典史はにやりと笑うと、軽く自転車をかわす。素早く手を鞄に伸ばす。気づいた男が伸ばした手を払い除け、典史は鞄を奪い去った。
「あ、うわぁっ」
バランスを崩した男が派手に転ぶ。典史は鞄を右手にぶら下げて得意気に笑った。
「明日はクリスマスだってのに無粋な奴だぜ。ったく」
「あ、あの」
振り向けば、息を切らした中年の女性がいた。典史は微笑むと、彼女に向かって鞄を差し出す。
「どうぞ」
デパートの中に入り、二人はぶらぶらと商品を見つめて歩いていた。しかし、一階に並ぶ鞄や化粧品に彼女は興味を持たない様子である。
「助かるよ。冴子はあんまりブランド物とか興味ないからな」
「だって、ブランド物で自分を飾るなんて虚しくなるし。化粧品は通販で買った方が楽だし。それに、こんな物買ってもらうためにあなたに媚を売るなんてゴメンだし」
「へへっ。そうかよ」
さばけた口調でそんな事を言いつつも、冴子は宝飾品店の前で足を止め、ショーケースの中をじっと見つめる。
「でも、指輪は欲しいな」
その一言に典史はどっきりしつつ、彼女の隣でそれを覗きこむ。彼女が見つめているのは、小さなダイヤが嵌めこまれたプラチナ製の指輪だ。そしてその値札を見て典史はさらにどっきりした。近くの宝石が煩いアクセサリーに比べれば遥かに慎ましやかだが、桁はやはり一級品だった。
「何かお探しですか?」
店員が笑顔で尋ねてくる。典史は慌てて首を振ると、冴子の肩を掴んでその場を離れた。不機嫌そうに口を尖らす冴子に、典史は引きつった笑顔を浮かべる。
「いつか買う。いつか買うから……」
「うん。待ってる」
二階に上がり、二人は女性用のコートを眺めていた。少々古くなっていたこともあり、クリスマスのプレゼントに買おうということになったのだ。
「これなんてどう?」
冴子は白いロングコートを肩に当ててはにかむ。色白な彼女には似合うのだが、典史は思わず噴き出してしまった。
「いや……何か既視感あると思ったらさ、いつも冴子白衣着てるから、それで、おしゃれな白衣を着てるように見えて……」
「ええ……何それ。分かった。違うのにする」
冴子は頬をふくらませ、コートをさっさと戻してしまった。典史はばつの悪そうな顔で彼女をとりなす。
「いやいやいや、冴子が着たい物着ればいいじゃないか」
「いい。笑われたくないし」
「あっらら……」
再びへそを曲げてしまった冴子から、思わず典史は目を逸らしてしまう。その時、人々の中に紛れ、涙ぐみながら店を歩き回っている男の子を見つけた。その様子が気になった典史は、コートを手に取り迷い続けている冴子を放ってその子に近づいていく。
「ねえ」
典史は男の子を呼び止める。子どもははっとして振り向く。典史はひざまずくと、目線を合わせて話しかける。
「どうしたんだい?」
子どもは柔らかく微笑む典史を見た途端、とうとう泣き出してしまった。
「お母さんがいないよ……」
「そうか。迷子か……じゃあ付いてきなよ」
典史は立ち上がると、飽きずにコートを品定めし続けている冴子をちらりと見つめ、男の子を連れて歩き出した。
「失礼しました、本当に……」
十数分後、迷子センターに男の子の母親がやってきた。それを見届け、典史は迷子センターを後にした。携帯を見ると、冴子から『どこ?』とだけ送られてきている。
「……仕方ない、行くか……」
飾りっけも何もない無愛想なメールに彼女らしさを感じつつ、典史は携帯をポケットに戻して歩き出そうとする。その時、背後から大きな声が聞こえた。
「ありがとう!」
典史は微笑むと、そのまま駆け足で階段をエスカレーターに乗り込んだ。
日暮れ時、典史は老婆を背負って長い横断歩道を渡っていた。冴子は隣で大きな旅行鞄を両手に提げている。
「ごめんねえ……」
背負われながら、老婆は典史に話しかける。典史は快活に笑い、気さくな調子で話しかける。
「いいんですよ。全然。今日はどうしたんですか?」
「最近この近辺で沢山怪物が出るっていうじゃない。だから孫のことが心配になっちゃって」
「お孫さんか……いいですねえ。大切にしてあげてください」
冴子は典史の横顔を見つめる。彼は小学生の頃に両親を事故で失って以来、祖父と共に暮らしていた。その祖父さえも大学に入って間もなく失った。そもそも典史が冴子の部屋に同居することになったのは、身寄りを無くして失意の内にあった彼が、幼馴染の冴子を頼った事がきっかけだった。笑顔で歩く彼を、冴子は神妙な顔で見つめる。典史はそんな彼女に気づき、ちらりと振り返った。
「ん? どうした?」
「……ううん。何でもない」
夜、二人は寒空の下で身を寄せ合い、イルミネーションの輝く公園のベンチに座っていた。かと言って、周囲に見えるカップルのようにやたらベタベタするでもなく、二人はただただ座っていた。
「今日は……何事も無くてよかったよな」
典史は夜空を見上げて小さく呟く。
「聖夜だもの。怪物もこんな日には現れられないのよ」
「……かもな」
二人はぼんやりと遠くに座っているカップルを見つめる。何やら男が女に小箱を渡し、いきなり女は男に抱きついた。典史はしばらく俯いていたが、突然彼は息を深く吸い込み、典史は顔を上げた。
「なあ、俺まだ全然稼げないし、ぜんぜん養ってやるとか、そういうこと出来ないけどさ……」
「何?」
「あれだ、今もなあなあで一緒に暮らしてるけどさ、そだな、うん。冴子とは、これからもずっと一緒にいたいというか、その……あれだぜ? ミ、ミハエルに触発されたわけじゃねえんだけどさ……」
口ごもる典史に、冴子はその頭にげんこつした。
「ええい、はっきりしろ!」
「いたっ」
頭を押さえて情けない声を上げる典史を、冴子は溜め息混じりに見つめた。
「もう。ひったくりから鞄取り返す時はあんなに格好よかったのに……ねえ、はっきり言って。余計な飾りなんていらない。一言で言えるでしょ」
「……だよな」
典史は微笑むと、彼女の手をそっと握った。
「結婚してくれないかな。俺と……」
震えながら言い切った彼に、冴子は満面の笑みを送った。
「よく言えました。そうね。そろそろ許してあげますか……」
二人は頬を赤く染めながら見つめ合う。典史はそっとその肩に手を置くと、彼女をそっと引き寄せて唇を重ねた。
街路樹を包む青いイルミネーションが輝く。街角のあちこちからクリスマスソングが聞こえる。真っ白な雪が静かに降る。そんな外の景色を全て置き去りにして、二人はお互いの存在を確かめ続けていた。




