前編
「あ、ああ……」
曇り空の下、人々は建物の中から怪物を恐怖の眼差しで見つめていた。十数体のイナゴの群れは、入り口を守る重装備の機動隊に向かって襲い掛かる。機動隊はライフルでイナゴを吹き飛ばすが、その体に傷はなく、何ら怯むこと無く起き上がって再び迫ってくる。しかし、彼らは折れずにしぶとく守り続ける。耐えれば、ヒーローが来るのだ。
「喰らえっ!」
二対の翼を広げ、白い鎧の戦士が剣を構えてイナゴの集団に襲い掛かる。その鋭い切れ味で、イナゴの身体を一気に切り裂いていく。切られたイナゴは全身が光に包まれ、そのまま爆炎と共に吹き飛ぶ。
その後に続き、アサルトライフルを構えた青い戦士がイナゴの集団を撃ち抜いていく。その正確無比な銃撃は、イナゴの次々吹き飛ばし、地に倒す。
そして、黒の鎧を纏った獣がその後に続いて倒れたイナゴに飛びかかる。そして、その爪でイナゴの硬い殻を引き剥がし、爪を胸に突き刺してプレートを引き抜いていく。イナゴの集団は、一瞬で片付いてしまった。
「……はあ」
典史は翼を畳んで地に舞い降り、剣を虚空に消した。典史は周囲を見渡す。怪我人は見当たらない。今回も犠牲者をなしに抑える事が出来、典史は安堵の溜め息をついた。衛士は銃を握りしめたまま彼に駆け寄る。
「どうやら何とかなったようだな」
「そうだな。……良かった」
典史は全身についた血を炎の力で蒸発させていく。衛士はそんな彼の目を見つめていた。とうに覚悟を固めた彼に迷いは無い。そして、その力は圧倒的だった。衛士は軽く俯き、小さく呟いた。
「ああ」
翌日、十二月二十三日の夜。笹倉を始めとする『防衛基地』の面々は少し早い忘年会を開いていた。
「笹倉教授、結局来年はどうするんですか?」
典史はグラスを傾けながら、隣に座ってマイペースに食事を続けている笹倉に向かって尋ねた。
「うーん。どうしようかな。辞め時を窺っているんだけど、来年は結局無理かもしれないねえ……」
「そうですか……笹倉教授が辞めるんだったら、僕達もこの先の事を考えないと。どこかの教授に雇ってもらうか、大学出て就職するか……どうせ大した研究してないし、そっちの方がいいかなあ……」
グラスを回しながら、典史はぶつぶつと呟く。そんな典史に、頬を朱に染めた冴子はいきなりしなだれかかる。
「どうするもこうするも典史の自由だけど……ちゃんと割り当て分の生活費は出してね……じゃないと追い出すから」
「分かった分かった。バイトでも何でもするから心配するな」
面倒くさそうに顔をしかめ、典史は冴子を引き剥がす。表ではオリハルコン合金の研究、裏ではオーエネルギーの研究で疲れ果てた冴子は、もうすでに酔っ払ってしまっていた。
「言っても、最近あなた怪物と、戦ってばっかりじゃないの。そんなんじゃ……バイトなんて出来ないでしょ。強くて、格好良いのはとっても魅力的だけど、魅力的なだけじゃ生きていけないんだから」
冴子は典史の頬を撫でながら妖艶に微笑む。普段はもう少ししとやかに酔うのだが、今夜の彼女はとにかく面倒だった。典史は溜め息をついてもう一度彼女を引き離す。
「分かった分かった。みんなの前だから勘弁してくれ。いちいちデートを拒んでるのはお前だろ、しかも」
「何よお。あんたが振ったからでしょ? ショックだったんだからね」
「……分かった、分かった。だから、これでちょっと酔いを醒ましてくれ……」
典史はとうとううんざりして冴子に水を突き出した。そんな二人を見て笹倉が微笑む。
「いいじゃないか。こんな美人にベタベタされるなんて、典史くんは幸せ者だよ。羨ましいねえ」
「セクハラですかぁ? 奥さんに言いますよぉ」
「……撤回する。同情するよ、典史くん」
笹倉は口をつぐみ、顔色を悪くして典史と目配せした。典史は頷くと、笹倉と固く握手を交わす。
「分かってくれますか」
「うん。よく分かったよ」
うんざりする男二人には全く気を配らず、すっかり酔いが回った冴子は典史の腕に絡みつく。
「うーん、典史ぃ……」
「ええい、恥ずかしいからやめてくれよ……」
典史は再び溜め息をついてがっくりと俯く。最早抵抗する気も失せたらしく、冴子が弄ぶままにしている。そんな様子を横目に、こちらも赤くなった倫香が鼻で笑う。
「へへん。所詮は冴っちのスタイルじゃ邪険に扱われるのが関の山ね」
「ああ?」
冴子が眼鏡を外して倫香を睨みつける。猫目の彼女が睨むとそれなりに凄みが出る。しかし、倫香は物怖じせずに冴子の胸を撫でさする。
「所詮この胸じゃ、典史の恋愛フラグを全回収してたってその程度の誘惑しか出来ないのよ。わかる?」
「お、おい……」
真っ赤になった典史がそっと間に割って入ろうとするが、冴子はいきなり倫香の手を払い除けてその鼻先に指を突きつける。
「舐めるな。Bはあるっつうの」
「臆面もなく言うんじゃねえよ……」
典史の声が若干ひっくり返る。笹倉は耳を塞ぎ、典史に向かって必死に首を振っている。倫香は冴子の圧に動じること無くその手を掴むと、何と自分の豊かな胸に当てさせた。
「はん、Bカップなんてようやく貧乳から抜け出せる程度でしょ。感じなさいこのDカップの柔らかさを」
「おいおいおい」
時たまのやり取りが酒の勢いで完全に壊れてしまった。典史はもう唖然とするしかない。冴子は唇を結ぶと、手を払い除けた。
「はん。身長低めのくせに巨乳なんて、持て余すだけじゃない。昔から高貴な人物は大きすぎない胸が持て囃されたのよ。これがどういうことかわかるでしょ?」
「はあ? 女子が身長一六七センチな必要ないんだよ。悲しいねえ。骨に栄養持ってかれちゃったか」
「何を! ファッションモデルはみんな高身長でしょ」
二人の間に散る火花が見えるようだった。典史はついに突っ込むことを諦め放っておこうとする。だがその時、倫香の叫びでもう一度顔を上げざるを得なかった。
「ふん! じゃあ男衆に聞きますか?」
「はぁ?」
典史はうんざりした声を上げる。しかし、倫香は彼に見向きもせず、女子二人の前でうつらうつらしている衛士に向かって尋ねた。
「ねえ衛くん! 冴子と私、どっちのスタイルが好み?」
「はい? ……俺、俺ですか……」
典史は彼の顔を見た途端に嫌な予感がした。二人で飲んでいた時に見せるクールな雰囲気が吹き飛んでいる。彼もすでに出来上がるを通り越しぶっ壊れてしまっていた。
「俺は……胸大きい方が好きであります」
「おい!」
典史は言葉を失った。倫香は拳を突き上げてガッツポーズし、冴子はそんな彼女を見て目を見開く。また、隣で牛乳を飲むミハエルは主人の発言にも関知する素振りを見せない。倫香は満面の笑みを浮かべ、ふらふらしている衛士に微笑む。
「良かった! じゃあ私はバッチリ当てはまるね!」
「……あーあ」
衛士の手を握って振り回している倫香を横目に、典史は頭を抱えてしまう。しかし、隣の冴子がそんな事は許さない。
「ねえ……負けちゃったよお。慰めて……」
「……ああ……みんな酒で壊れた。壊れてしまった……」
とうとう典史が冴子を押し退け突っ伏してしまった。そんな姿を見て笹倉は溜め息をつく。
「ついに典史くんの泣き上戸まで発動してしまった……みんなの疲労状況を見て日程を組むべきだったか……」
そんな時、ずっとホットミルクを口にして黙り込んでいたミハエルが、真顔で典史と冴子の方を見る。
「時に、典史殿、冴子殿。あなた方は結婚というものをしないのか?」
「ええー。まだよまだ。こんな甲斐性無しに人生全部を投げ出すなんて、まだまだ無理無理」
「うう……甲斐性なしだってさ。給料同じだろうがよ……」
「そうなのか。人間というのは難儀なものだな。『ケイザイ』とかいう存在が生理的な繋がりを妨害するとは」
「はい?」
二人は顔を上げてミハエルの仏頂面を窺う。彼はあくまでその表情を崩さず、静かに口を開いた。
「典史殿といる時、冴子殿の纏う空気が変わるのだ。この鼻腔をくすぐるような香り……ふむ、メスの犬が発情する時とそっくりだ」
冴子は思い切り飲みかけていた酒を噴き出した。典史が突き出した水を一気にあおった彼女の顔は、すっかり『まとも』さを取り戻していた。
「あ、あんたは何を言ってんの!」
「だめですよ、ミハエルさん。そんな言い方じゃ……人間は怒るであります……」
衛士は呆けたように呟きながら、ミハエルの肩を叩く。冴子は溜め息をつくと、典史の方をばつが悪そうな顔で見た。
「ね、ねえ……典史……」
「んあ? ようやくまともな酔い方になったかよ」
「うん。……恥ずかしくて死にたい」
「まあ、これからは自分の疲労と相談して節制するんだな」
眼鏡を掛け直し、赤面して俯く冴子の頭を典史はそっと撫でる。さらさらとした黒髪の手触りが心地いい。典史は冴子の表情を横目に窺いながら、そっと尋ねた。
「あのさ、あしたクリスマスイブだろ? その……何だ。久々に二人で出かけないか?」
「……うん。そうね。久々にね……」




