後編
典史が基地に戻ってみると、そこには先ほど衛士に助けられた少女が椅子に座り、冴子とプレートを見つめていた。その顔を見た途端、典史は大声を上げる。
「倫香! 帰ってきたのか!」
「あ、典くん! ただいま!」
いかにも明朗快活な雰囲気で彼女は笑う。しかし典史は頭を掻き、目を瞬かせた。
「もう帰ってきたのか。後一週間は帰ってこねえと思ってたのに」
「だってあの廃墟に行ってみたけどつまんないんだもん。価値ありそうなものは全部向こうの人が持ってっちゃうし。そもそも私じゃあれがどんなに価値あるかなんてわかんないしね」
「あ、ああ……」
典史は久々に味わう倫香の勢いに押され気味になり、手前の席をわざと通り過ぎ、冴子の隣に腰掛ける。しかし、それが余計に倫香の関心を引いてしまった。
「そうだ。典くんに冴っちは最近どんな感じなの? そろそろ婚約した?」
倫香はにこにこしながら尋ねる。彼女は知らないとはいえ、先の一件でデートもしてもらえない典史は一気に不機嫌になった。
「うるせえ。黙れ。後退したわ」
「なんだ、つまんないの。二人が式挙げるならブーケキャッチの練習でもしようかなと思ってたのに」
「ミチは変わらないわね。自分探しに行ったくせに、相変わらず子供っぽい」
プレートを放り出して口を尖らせる童顔の倫香に、冴子はその大人びた顔立ちで苦笑する。途端に倫香は頬をふくらませ、いきなり冴子の胸を掴んだ。
「何さ。胸は冴っちのほうが子どもでしょ」
「ちょっと、何すんの!」
「痛っ!」
真っ赤になった冴子は倫香の頭にゲンコツを食らわせる。半年たっても全く変わらないやりとりを繰り広げる二人に、パソコンと向かい合っていた笹倉は思わず溜め息をつく。
「あのねえ。狭いんだから喧嘩はやめてよ……これからプレート研究に向けて一丸になってもらうんだから、二人とも少し大人になって。スマートに行こう」
「へーい」
「はい」
二人が肩を竦めた時、ドアが開いて衛士とミハエルが帰ってきた。ヘルメットとマスクをぶら下げ、衛士は笹倉に向かって報告する。
「機動隊を含む数人が重体のようです。今回は数も多く、少し手間を取ってしまいました」
その時、彼の顔を見つめていた倫香が急に立ち上がった。その目はアイドルを見る少女のようにきらきら輝いている。
「あ、あ! さっき助けてくれた人!」
「む。ああ、そういえば。何故ここに――」
衛士が訝しげに顔をしかめた時、倫香は彼の前に飛び出してその手を握りしめた。そして満面の笑みで言い放つ。
「私、早乙女倫香っていいます! あの、私あなたの事が好きになっちゃいました!」
「は?」
研究チーム三人の表情が固まる。ミハエルは目を細くし、衛士は呆然としてしまう。彼は倫香の白い手をそっと自分の手から引き離し、彼女の笑みを静かに見つめる。
「……いきなり何を言うんだ」
「何って、付き合って、って言ってるんですよ」
「あ、いや……その、俺より似合いの人間がいると思うが。学校の友人とかな。だから、ああ。その、俺とは……」
突然過ぎる告白にしどろもどろとなっている衛士に、倫香は首を振ってその豊かな胸を張る。
「何を言ってるんですか! 私これでも二十四、そこの二人と同い年ですよ。ほら、高校生や中学生がこんなスタイルな訳無いでしょ」
確かに彼女はモデルにでもなれそうなスタイルをしている。しかし、衛士は溜め息をついて彼女の肩を掴んで押し退けた。
「大人なら言葉は選ばん。うるさいからもう止めてくれ」
「う、うるさい?」
鋭い言葉に目を丸くし、さらに間合いを詰めようとした道かをミハエルが引き離しにかかる。
「衛士殿はそう申している。離れたまえ」
「え? 何なの君は?」
「私はミハエルだ」
「ミハエル? 見栄っ張りの間違いでしょ? おもいっきり日本人の顔のくせに」
「何を言うか! この名は衛士殿に与えられた大切な名だ! 愚弄するは許さん!」
ミハエルは叫ぶと、いきなりシェパードになって倫香に飛びかかった。そのシェパードを見た冴子が悲鳴を上げる。衛士と典史は目を点にして、呆然としている倫香の上に座って勝ち誇っているミハエルを見つめる。収拾のつかない中、笹倉がどこからとも無く取り出した笛を思い切り吹いた。甲高い音にはっとなり、全員笹倉に注目する。
「はいはい。そういうのは飲み会の席でやってくれたまえよ。我々は日ノ出市の平和を守るために活動を始めるんだ。身内で不和を起こしてはどうしようもないよ?」
「……はい」
その夜、冴子と倫香は二人で洒落っ気のある居酒屋にいた。時たま喧嘩はするものの、基本的には仲のいい二人組なのだ。
「それにしても……珍しいわね。ミチが誰かの事好きになるなんて。男の人を寄せ付けたことなんて無かったのに」
冴子がグラスを傾けながら倫香に尋ねる。彼女は可愛らしく染まった頬をさらに赤らめ、照れたように頭を掻く。
「だって私を怪物から守ってくれたんだもん。おまけにあの鍛え上げられた体つき、鋭い目。もう、見つめただけでドキドキするの。運命感じちゃった」
「だからってあの直球は無いでしょ。ミチは恋愛経験薄いからそうなるのも仕方ないだろうけど」
「だって言い寄ってくるような男には興味持てないんだもん。冴っちはいいよねえ。幼馴染という絵に描いたような恋愛フラグを見事に打ち立て、エンディング迎えずに遊んでるようなもんなんだから」
サラダを口に運びながら、倫香は上目遣いで不機嫌そうに冴子を見つめる。冴子は一瞬赤くなった。
「何よその言い方」
「他にどんな言い方あるのさ。いいよねえ。典くんの全てをがっちり掴みきって、掌の上で弄んでるんだから」
「あの、その言い方だとすっごい嫌な人みたいだから……そういう人生の選択に関しては、しっかり二人で相談しながらという事にしてるんであって……もう! そんな目で見ないでよ!」
冴子は手振りをしながらくどくど説明していたが、倫香のニヤニヤした表情に耐え切れず声を張り上げてしまった。倫香は舌舐めずりをしてみせる。
「へへ。ごちそうさまでした」
「……こ、この話はもうおしまい。私、倫香の旅の話がもっと聞きたいな」
引きつった笑みを浮かべながら冴子が言うと、倫香は悪戯っぽく笑みを浮かべながら頷いた。
「私の恋路を手伝ってくれるならね」
「はいはい」
その頃、典史と衛士は駅にほど近い古びた居酒屋で、焼き鳥を肴にグラスを傾けていた。
「何だったんだ。あの女は。会うなりいきなり『好きです』だなんて……」
「まあ勘弁してくれよ。あいつ、かなり自由人だけど、頭は切れるしそれなりに親切だし、悪いやつじゃないから」
不機嫌そうな調子でぼやく衛士に、典史は苦笑してしまった。確かに、寡黙な衛士と明朗な倫香ではあまりに正反対だ。
「確かに悪い奴には見えないが……これからもあの調子で迫られるんじゃないかと思うと、これから気が重くなる」
「まあまあ。倫香は分別のねえ女じゃないから、しばらくは何もしてこないさ」
「ならいいんだが……」
衛士はグラスの残りを一気にあおる。二人はしばらく焼き鳥や手羽先に執心し、言葉が続かなくなってしまった。そんな沈黙をようやく突き破り、典史が呟く。
「どうにかならねえかな」
「何だ。いきなり」
衛士は横目に典史の表情を見つめる。その顔は、真剣に悩んでいるようだった。衛士が静かに尋ねると、彼は静かに呟いた。
「いや……多分レグナの力だろうけど……助けの声が聞こえるから、すぐに怪物が暴れているとわかる。けど、これじゃ結局、いきなり襲われた人は助けきれないんだよな」
「……だが、それが限界だ。心苦しいが、助けられる人を助けるしか無いだろう」
「そうかもしれない。けど、俺は助けたいよ。出来る限り多くの人を……出来るなら、怪物に変わってしまう人もな」
グラスを見つめてぽつりと呟いた典史を一瞥し、衛士は軽く表情を緩めた。
「正義の味方だな。お前は」
「お褒めの言葉どーも」
その頃、ローブを纏った男は夜闇に紛れて古びた車を見つめていた。その中には、深刻な顔でガムテープを貼り続けている男と女の姿があった。ローブの男は歯を剥き出して笑うと、懐から牙を剥き出す巨大な魚のプレートを取り出した。その頃には、男女は車内で何やらしていた。ローブの男は滑るように車に行き、何と車の扉をすり抜けてその中に飛び込んだ。
「おい」
ローブの男が声をかけると、七輪に火を焚こうとしていた男女は悲鳴を上げて仰け反った。
「お前達は死を見つめているな。至って健康な身体を引きずりながら……」
「ひ、ひい……」
「ならば、その体をこれに寄越すのだ」
ローブの男はプレートを男女の胸に突き刺した。途端に男女の身体は闇に包まれ、その体は鱗に包まれ、目は飛び出し、口は裂けていく。
「グ……ギャアアッ!」
背中には鰭が生え、手には水かきが付く。そして飛び出した目は赤く光り出した。鱗に包まれ、エラを動かしながら魚の怪物と化したそれは呆然とする。ローブの男は男女から発散された闇を一頻り吸い込むと、にやりと笑って車の扉を再びすり抜けてその場を後にした。
「さあ……神が計画のため、その役を果たすがいい……」




