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八十崎屋

作者: 子月かんろ

 その屋敷には、薬の香りが充満している。

「裕太! 早く起きなよ」

 僕に声を掛けてくるのは、八十崎紋(やそざきもん)。腰まである黒髪を振り乱しながら、こちらへと駆けてくる。

 僕は、この屋敷で薬屋を営んでいる通称八十崎屋に居候している身だった。

 僕は小さいころから 両親を無くし、親戚の家を転々とした挙句、ここに居るのだった。住まわしてもらっているのだから、居候の一日は忙しい。僕は学校にもろくに行っていないから、手伝えることといえば家事全般だった。

「おっと、寝坊した」

 枕元の、ずっと鳴り続けていたであろう目覚まし時計を足で止める。本当は、誰よりも早く起きるべきだったのに。

「ごめん、紋。今すぐ朝食作るから……」

 そこまで言って、僕はさっきの目覚まし時計を思い出す。確か、時計は8時20分ごろを指していた。僕は、頭を捻りながら、目の前にいる少女に訊いた。


「紋、何で学校行ってないの?」

「ああ、もう朝のホームルーム始まっちゃってるね」

 制服には着替えているものの、紋に焦った様子はない。

「学校はきちんと行きなさい」

 僕が今八十崎屋で役に立てないのは、教養が足りないからなのだ。それを紋はイマイチ理解していない。

「私は裕太が朝ごはん作ってくれるのを、待ってただけ」

「じゃあ、朝ごはん食べてないんだな?」

「ううん、食べた」

「じゃあ、学校行け」

「裕太が朝ごはん作るの待ってた。遅れたのは裕太のせいだから、送って」

「くっ」

 今日は寝坊したから、沢山やらないといけないことがあるのに。

 まぁ、すべての原因は寝坊した僕に有るのだけれど、これ以上用事は増やさないで欲しい。

「分かった」

 紋が伊平次さんに告げ口でもしたら、ここには置いてもらえなくなる。伊平次さんはこの店の主人で、紋の父親だった。そのことを考えると、僕は首を縦に振るしかなかった。

「伊平次さん、すいません! 朝食、紋を送ってからでもいいですか?」

「おうよ、気をつけて行けよ」

 伊平次さんは、長めに伸ばした髪を後ろにまとめていて、薬の調合をしていた。浴衣という服装と相まって、独特の雰囲気が発せられていた。

「はい!」

僕はやや急すぎる階段を駆け下りながら会話をこなす。

 八十崎屋の1階部分は、築100年を経過するものだった。1階は半分は店(薬屋)で、残りは家だった。2階は途中で付け足されたものらしい。八十崎屋は、いかにも和風なテイストでまとめられていた。

「ったく、病人なんだから少しくらい気遣えよな」

 僕は、誰にも聞こえないように呟いた。そうは言っても、伊平次さんと紋の態度は、僕を喜ばせていた。今までの家では、ただジッとしていることを勧められた。僕が重大な病気を患っていると知っていたからだ。

「裕太、自転車なら間に合うって!」

 紋が自転車の後ろに乗って、サドルをバンバンと叩く。紋は、2人乗りの2人目の位置に腰掛けていた。全く、自分でも病人であるということを忘れそうになる。

 力を込めて、自転車をこぐ。風のように流れていく景色を見て、爽快な気分になった。一瞬病気がすべて消えてしまっている、錯覚を覚える。しかし、次の瞬間には風に煽られて体のあちこちが痛み出す。

「痛っ」

 思わず声も漏れる、痛みだった。

「痛いの?」

 僕は、こくりと頷く。紋は僕の肩に手を置き、立ち上がって僕の様子を窺った。

「あと3分でホームルーム始まる。スピード落とすなよ。病は気から、痛くないと思えば痛くない!」

 紋は、ことあるごとにこの言葉を繰り返す。僕は、この言葉にいつも励まされていた。スピードだけは緩めまいと、体にムチを打つ。普通に僕に接してくれる家族が、僕は好きだった。

「よし、着いた!」

「さすが裕太」

「あと1分。ここまで来たら間に合わせろよ」

 チャイムが鳴るまでに教室に入ることができればセーフなのだそうだ。僕の努力を、無駄にはして欲しくない。

「おうよっ」

 紋は、伊平次さんと同じような返事をした。やっぱり親子だなぁー、と思った。八十崎紋は疑いようもなく八十崎伊平次の娘であり、それを僕は心から羨ましく思った。

 

 紋が校門を去ってからしばらく、僕はそのまま動けないでいた。ホームルームの始まりを告げるチャイムが鳴る。キーンコーンカーンコーン、そんな音は僕の体の中にも響き、痛みを誘った。

「くぅー、やっぱ痛てー」

 自転車の脇でうずくまったまま、痛みが鎮まるのを、僕は待っていた。


「すみません、伊平次さん。遅くなってしまいました」

 僕は過度な運動を控えて、徒歩で八十崎屋まで戻った。時計を見ると、もう10時である。どれほどの時間を、短い道のりにかけたことか。

「別に構わんよ」

 伊平次さんは、店で薬の調合をしていた。。もう、朝ごはんは食べてしまっただろうか。そう疑いたくもなってしまう時間帯だが、伊平次さんは、いつも僕を待っていてくれるのだった。

「朝食です」

 コト、と音を鳴らせて、僕は伊平次さん前に食事を置いた。彼の食事は味噌汁と白米、それに梅干だった。伊平次さんはいつも、店で食事を取る。基本的には家の方には居らず、彼も店の方がくつろげるようだった。

「ありがとう」

 やりたがりな僕のことを気遣ってか、いつも文句を言わず家のすべてを僕に任せてくれていた。もしかしたら、彼は朝食が遅くなるとき事前になにか食べているのかもしれない。

 伊平次さんの基本的な服装は浴衣だ。その長い袖を慣れたように扱う。そういう静かで丁寧なしぐさが似合う、古風な方だった。僕は、調理に使ったなべを洗うために、台所へと向かう。

「さてと、僕も食事をしなくてはならないのか」

 食事のことを思うと、ストレスで胃が痛む。いや、もともと胃は病気のため痛んでいる。さらに胃が痛むといったほうが正しい。台所も百年前に作られたものであり、当然土間になっている。草履を履き、台所に下りるとひんやりとした空気が足元から漂ってきた。洗い物をしながら、紋はきちんと学校に間に合っただろうかと考える。無意識のうちに手を動かしながら、僕は八十崎屋の倉庫に眠っている人形に思いを馳せた。


 僕の病気は特殊だった。両親が亡くなってからのことだったと思う。僕の体は、大きな病に侵された。突然、全身に強い痛みが走ったのだ。医者に行っても、原因は分からず。それは、がんのような腫瘍によるものらしい、というところまで突き止めたのが12歳の春だった。あれからもう、3年も経つ。たくさんの僕の親戚たちが、頭を悩まし、いろいろな家は転々とした結果、せめて一時だけでも痛いを押さえられまいか、と八十崎屋に来たという訳である。

 伊平次さんの方も望んで、僕を預かってくれた。僕の腫瘍は、いたるところにあり、しかも取り除くことはほぼ不可能だった。八十崎屋には、1つの人形があった。伊平次さんに案内されて初めてその人形を見たとき、僕はその姿に息を呑んだ。

 ――木製の、古い人形だった。それは、人形というにはあまりに単純な作りだった。ほこりを被り、わずかな隙間から光が差し込む倉庫で、それの存在は際立っていた。木製の、マネキンとでも表現しようか。その胴体には、無数の紙が貼り付けられていた。

「結構、古いものみたいですね」

 少し恐怖しながらも、その人形に近づいて行った。紙の端は擦り切れてボロボロになっているし、茶色く変化している様子も見受けられる。

「いつからかは知らんが、ここにあるんだ」

 伊平次さんはそう言うと、一枚紙を人形から剥がしてみせた。

「あっ」

 僕は、思わず声を出した。その人形には触れてはいけない気がしていたから。

「大丈夫、きちんと元の場所に戻しておくからさ」

「はい」

 声が震えているのが、自分でも分かった。やっぱりその人形は怖かった。顔も彫られていない、ただ人の形をかたどっているだけのものなのに、確かにそこに生命の息吹を僕は感じたのであった。今すぐ動き出してしまいそうな迫力が、僕を圧倒した。

「これをよく見ろ」

 伊平次さんが、先ほど人形から剥がした紙を僕の目の前にちらつかせる。

「……これは、解体新書か何かですか?」

 そこには、胃のようなものが描かれていた。僕は病気で学校には行けなかったから、ちらりと学校に行っている子に教科書を見せてもらうことが何度かあった。解体新書は、その中にあるかすかな記憶だったのだ。胃の中に、歪な形をした親指程度の大きさのものが描かれている。

「まあ、絵柄は似てるな」

 伊平次さんは、僕のそのたとえに賛同した。どう見ても最近描かれたものではない。その主線は、筆で描かれたもののようで、くねくねと捻じ曲がっていた。

「俺のおじいさんに聞いたのだが、どうやらこの人形は一人の人間を指すらしい」

「伊平次さんのおじいさんってまだ生きて……」

 僕は、人形が実際の人間を指しているというよりも、そっちのことの方が気になった。

「生きてるよ」

 伊平次さんは、僕の言葉を補足するように言った。

「それよりも、重要なことは――」

 伊平次さんは、一旦それた話を的確に元に戻した。

「この人形は君だってことだ」

 上げていた口角を元の位置に戻す。きっと、僕は今、無表情に近い。

「どういうことですか?」

 どうもこうも、伊平次さんが言うのならそういうことなのだろう。伊平次さんと僕はまだ、出会ってから日が浅かった。しかし嘘をつくような人ではないと、僕の直感が告げていたのだ。

「この病気は、普通の治療じゃ治らない」

 伊平次さんは、紙を元の場所に貼り付けながら言った。僕の病気は、どんな医者に見てもらっても治せなかった。伊平次さんが、僕を引き取ってくれた理由は次の言葉にあった。

「ただ、病気を治す方法が無いわけでもない」

「本当ですか?」

 突然与えられた希望に、目の前がチカチカする。僕はずっと、このまま死んでいくものだと思っていた。

 幾度も変わった部屋の景色を楽しむだけで、人生は終わるのだと。

「ああ、ずっと探していた。この人形と対応する子どもをな」

 伊平次さんは、僕に向って微笑んだ。倉庫の窓から黄色い光がその顔を照らした。


 洗い物は、片付いてしまった。朝食を取らなければいけない。洗濯機を一度も回していないのに気がついて、僕は洗濯機が置いてある洗面所に向おうとする。しかし、思い直して朝食を先に取ってしまうこととする。僕にとっては、食べることはとてもつらい行為だった。

 食道にも、その腫瘍はあったのだ。さらに胃にも。僕は痛みを抱え、大きくなった腫瘍に食べ物を詰まらせながら食事を終える。苦痛から早く逃れたいという思いからか、僕はいつも五分程度で食事を終えてしまう。知らぬ間に、急いでかきこんでしまったのだろうか。その副作用で十分咳き込んでから、洗面所へと移動を開始する。

 家事は大急ぎで済ませなければならない。なぜなら僕は、八十崎屋にやってくるすべての客と対面する必要があったからだ。今日は運悪く寝坊して、もう店は開店してしまっている。すべての客を見ることは、叶わないかもしれない。僕の病気を治す方法とは、八十崎の客の中にあった。

「裕太、ちょっと来い」

 伊平次さんに声を掛けられる。僕は浴衣と格闘している最中だった。浴衣というものは洗いにくいもので、汚れやすい裾が、一番外側にくるように工夫してたたまなくてはいけない。そうしてたたんだものをネットに入れて、洗濯機で回すのだ。干し方や、アイロンの掛け方も特殊で…………。

「おーい、裕太。お前に会わせたい客がいるんだ」

「はい! すぐに行きます」

 はっと我に返り急いで店の方へと向かう。伊平次さんが僕を呼んだのだ。きっと、僕の病気を治すきっかけとなる客を見つけてくれたのだろう。

「お待たせいたしました」

 僕は店と家を繋ぐのれんをくぐる。客は、二十代くらいの若い女性だった。薄紅色のワンピースに白いパーカー、足は黒いレギンスで覆われている。

「あら、この子が」

 お客は、口に手を当てそう言った。意外そうに、目をぱちくりとさせている。

「もっと小さい子だと思ってました」

 客の名は、立木月子といった。

「はじめまして、百目鬼裕太(どうめきゆうた)です」

 僕は、月子さんへの感謝の気持ちでいっぱいだった。伊平次さんの目に、狂いはなかったのだ。にっこりと、笑みを浮かべる。

「よろしくお願いします、百目鬼くん」

 月子さんの方も、それに対応したように白い歯をこぼす。僕の目には、月子さんの中にある薬が確かに見えていた。僕が人を見てその体の中に薬があるように見え始めたのは、最近のことだった。


「へぇ、じゃあ薬見つかったんだ」

 学校から帰って来た紋が、晩ごはんを食べながら言う。僕と紋と、珍しく伊平次さんも一緒に食卓を囲んでいた。

「うん」

 いつもは、苦になる食事も3人で食べると美味しく感じられた。体の痛みよりも白米の美味しさに、意識を向けていた。

 僕の病気を治す方法は、ただ1つ。伊平次さんが教えてくれた方法とは、八十崎屋に時々やってくる、薬を体内にもった人間から、薬をもらうことだった。この話は、先祖代々受け継がれてきたものらしい。この人形に該当する子はその薬でしか、病を克服できない。

 伊平次さんが店で晩ごはんを取っていないのも、僕のために作戦会議をするからだった。

「で、月子さんの依頼って一体何だったの?」

 紋は頬についた米粒を手で取りながら言った。

「子どもが誘拐されたとか言っていたな」

 伊平次さんは、神妙な顔をしていた。八十崎屋に僕が来てからというもの店には様々な人が訪れたが、ろくな目に遭わなかった。薬を体内に持っている人たちには共通点があり、八十崎家の家系図を遡っていくと、かならず八十崎と繋がっていた。月子さんもまた、あの人形にまつわる話を聞かされて育ったらしい。困ったことがあれば人形のある場所へと行け。人形と対応している子がそこにはいるはずだ。その子が必ず助けてくれるだろう。そんなおとぎばなしのような、そんな話をこれまでみんな話していた。どういうわけか、その頼みごとはやっかいなものばかりだった。

「子どもを助け出してくれってこと?」

 紋は、取った米粒を口の中に入れる。

「まあ、そういうことになっちゃうよね」

 僕は困ったように頭を掻いた。実際、困っていた。何の情報もないのに、どうやって僕に子どもを助けろというのだろうか。月子さんの話によれば、警察が捜索しているが、一向に見つからないらしい。そんなとき、小さいころに聞いた話を思い出して、わらにもすがる思いで訪ねてきたというのだ。

 僕は不幸なやつだとつくづく思う。月子さんが聞いた話だと、僕は何か特殊な力を持っているようじゃないか。僕は普通の人間だし、体が不自由な分、役に立ちづらい。それでも僕は、このまま死を待つよりかは努力したほうがいい、と考えてしまうのだ。そうやってまた、人助けに借り出されてしまう。

月子さんの息子は、数日前に姿をくらましたらしい。まだ小学生だというのに知らない人に連れ去られて、酷い目に合わされてるんじゃないかと思えば、月子さんの必死さも頷けることだった。

「蒼甫くんは、どうして誘拐なんてされちゃったのかな。月子さんの家は貧乏だし、身代金なんて払えるわけがないのに」

 紋はそんな言葉を口にする。さらっと、月子さんの家が貧乏だと言ってしまうあたりは、紋の個性として受け入れておこう。

 身代金要求なんて、一般的な理由で誘拐されたわけじゃないよね、と紋は言いたがっていた。


「今回誘拐されている子は、特別なんだよ」

 呑み込もうとした味噌汁の具が、喉に詰まった。『特別』それは自分には程遠いものだった。

「やっぱり、今回も変わった事件なんだ」

 紋は今さら驚くこともなく言った。

「犯人の目的は、金じゃなくて蒼甫(そうすけ)そのものだからな」

 伊平次さんは、当たり前だと言いたげだった。紋の方へと視線を向ける。

「それと、口にものを入れたまましゃべるなよ」

 伊平次さんは、お父さんらしく注意をする。

「蒼甫くんは、ものすごい天才らしいですからねぇ」

 月子さんの話によると、蒼甫くんが連れ去られた後、家には犯人と思しき人物からの置手紙が残されていたという。その手紙にはっきりと、書いてあったのだ。


 俺たちの目的は蒼甫くんの才能である。よってこの子を返す気は毛頭ない。

 金で解決しようなんて考えはこちらには通用しない。


 それだから、月子さんは頭を抱えた。この文章は月子さんの頭をより重くした。

「瞑想が得意、でしたっけ」

 瞑想に得意不得意なんてあるのか。そのような感想を抱いたのは、きっと僕だけではないだろう。

「実際の事件を予言して、テレビで話題になってしまったことが、いけなかったんだろうな」

 伊平次さんは、苦々しい顔を作る。八十崎屋には、テレビがない。そのために僕たちは蒼甫くんのことを知らなかったのだった。

「確かにそれは、すごいと思いますけど……。瞑想で思考力を高めていれば、予想できることだと自信満々に語ったんでしょう? 犯人たちは、蒼甫くんを何に利用しようとしているんですかね」

「とりあえず、場所を特定しないとどうにもなりませんな」

 紋は1番に晩ごはんを食べ終えて言った。とても、満足そうな表情をしている。

「その方法は?」

 こんなにのん気なのだ。策の1つや2つ、あってもおかしくない。

「犯人のことを調べるんだよ。目的が分かればそれにまつわるところを探せばいるかもしれないし、意外と近所に居たりするかもしれないよ」

「ほう」

 紋にしては、なかなかしっかりした意見だった。

「聞き込みをするしかない、か」

 明日、月子さんの家の周りで聞き込みをしようと思う。誘拐された時、蒼甫くんは家に居たから誰かが犯人を目撃しているかもしれないし。そんなことは、警察が遠の昔にやっているだろうなと思いながらも、僕にはそうするしか手立てが無かった。

「俺は店があるから、手伝いにはいけんぞ」

 そんな伊平次さんの言葉で、作戦会議は終わった。


「紋、今日は学校じゃないの?」

 僕は早速、月子さんの家周辺にいた。

「大丈夫、今日は土曜日だから」

「今日は金曜日だよ」

 紋はリュックから、手帳を取り出す。今日の日付は金曜日だと、しっかり理解したようだった。

「あ、違った創立記念日だった」

「本当に?」

「てなわけで、学校は休み」

 紋はためらいもなくそこらじゅうの家のインターホンを押す。勇気があるなぁ、と僕は感心する。はっ、と紋の後を遅れないように追いかけた。

「すいません。蒼甫くんについて、訊きたいんですけど」

 玄関の扉が開いて、出てきたのは二十代なのか、三十代なのか、その境界くらいの男だった。金曜日だというのに、働いている様子もないようで、上下灰色のスエットという部屋着満開だった。

 寝癖がついた髪の毛をくしゃくちゃと手で押しつぶしながら、男はうんざりとした表情を見せた。この事件はテレビでも多く取り上げられていた。この人も、いろいろともう喋った後なのだろう。顔にまたかよ、もう喋ることはねーよ、と書いてあった。

「何も見てませんよ」

 男は唐突にそれだけを言った。

「犯人に思い当たる節とか、ないんですか?」

 僕は声を張り上げた。この人に訊いても無駄だとは、分かってはいた。ただ、どうしても押さえきれなかった。

「あるわけ無いでしょう。僕、基本外に出ないんで何も知らないんですよ」

「そうですか、ありがとうございました」

 僕は頭が少し冷静になってきた隙にそう言ってしまった。あまり、体力を使いたくはない。そうすればまた、体がズキズキ痛みだす。

 僕は紋と一緒に、手当たりしだい家を回った。次の家も、その次の家も住人たちの返事は似たようなものだった。日が暮れるというのは早いもので、辺りはもうすぐ暗くなろうとしていた。僕の体の調子も最悪だった。体の病気を治すために努力をしているのに、肝心の体の方が悪くなっていくようだった。歩くたび体は衝撃を素直に伝えてくる。動いていると、痛みは余計にひどくなる。最も、僕の体は1歩たりとも動かなくとも痛みを感じていたのだけれども。

「このあたりの家は、もう回り尽くしちゃったね」

 ついに道端で立ち止まってしまった僕に、紋は言った。朝からずっと聞き込みを続けている。いくら周りを見渡しても、訪ねてしまった家ばかりである。警察が聞きだせていない何か重要な情報が見つかるかもと、期待していたのになぁ。やっぱりそんな考えは甘かったか。明日は月子さんの家の中に目を向けることにしよう。

 犯人が手がかりを残してくれているかもしれない。

「大丈夫?」

 紋が心配そうに体をこちらに向ける。

「家まで、帰れる?」

 僕は頷くこともできずに、ただ痛みに耐えることだけに意識を集中させた。痛みを感じていなかったのは、何年前になるのだろうか。もう、その感覚も忘れかけている。痛みに耐えて、耐えて、耐えて。終わることのない痛みが、僕を絶望させていた。

「おぶって、行こうか?」

 紋の細い体で何を言おうか。いくら僕の体重が一般男性よりも軽いからといって、女の子にそんな苦労をかけたくはない。

「大丈夫、痛くないと思えば痛くないから」

「分かった」

 紋は僕と肩を組んでくれた。ゆっくりと、時間をかけて歩き出す。

「ちょっと」

 不意に、背後から声をかけられる。体を逆の方向に向けるのに、たっぷり数十秒は要した。声をかけてきたのは、最初に訪ねた男だった。今も、相変わらずスエットに寝癖だらけの頭が生えている。

「何か用ですか?」

 喋れない僕のことを考慮して、紋が男に問いかける。

「車あるから、家まで送るよ。着いて来な」

 男はそれだけ言うと、さっさと歩いて行ってしまった。そんなに速く歩けねーっつうの。男の僕たちの間はどんどんと開いていった。男が、それに気づいて、5メートル先で立ち止まる。

「ちょっと、待ってて。そこまで車出すわ」

 男はこちらに向ってそう叫んだ。僕はその場に座り込みそうになった。紋がそれを許さず、体を持ち上げていてくれる。その日は、男の車に乗って家に帰った。


 次の日、僕は月子さんに頼んで家の中を見させてもらっていた。洋風のクリーム色の壁が素敵な家だった。誘拐された当時、月子さんも家に居たという。蒼甫くんは、自分の部屋に居たはずだった。それがいつの間にか居なくなってしまっていたというのだ。玄関には、蒼甫くんの靴がきちんと揃えて置いてあったのに、蒼甫くんだけが忽然と姿を消したのだった。

「どこかに隠し部屋とか、外に繋がってる通路とか無いんですかね」

 僕は、そんなありきたりな考えしか浮かばなかった。

「それは、警察の人も言っていました。部屋も長い時間をかけて調査したんですが、そういうものは見つからなくて」

 月子さんは、困ったように眉を下げた。

「一応、もう一回部屋の中を調べてみます」

「お願いします」

 紋も一緒に来ていて、月子さんの許可が下りる前に部屋の中を調べていた。人の家を勝手に漁るとなると、少々気が引ける。僕は戸惑いながらも、いろんなものを押して、引いて、動かないかという期待に胸をよせた。視点を変えて、部屋のクローゼットや机の引き出しなど細かい部分をチェックしていく。

「あれ?」

 僕は、机の引き出しの隅っこに、一つの薬が入っているのを見つけた。まるで、僕にみつけてもらうのを、待っているみたいだった。

「紋、ちょっと来て」

「それって」

 紋が、乱暴に僕の指先から薬を取り上げる。

「裕太の薬に似てる」

 じっ、と紋は薬を観察する。それは、僕の病気が治るあの薬だった。月子さんの体の中にあるものと同じに見えた。それは、カプセルになっていて、片方が赤でもう片方が白だった。

「これ、伊平次さんに調べてもらおう。もしかしたら、あの薬かもしれない」


「見つかったのは、これだけです。見覚えはありませんか」

 月子さんには、そんな報告しかできなかった。

「ない、ですね」

 犯人が残していったと思われるものは、それだけだった。僕たちは、八十崎屋に一旦戻った。伊平次さんに、調べてもらった結果、薬の成分は僕の病を治す薬と同じらしい。

 僕は何のためらいもなく、その薬を飲んだ。体が少し、軽くなったような気がした。


「いってきます。できれば、痛み止めも作っておいてくれると助かるのですか」

「おう」

 僕は再び月子さんの家へと向った。

「諦め悪いな」

 月子さんの家に辿り着くまえに、例の男に会った。今日はまともな服で、寝癖もついていない。

「諦めたら、僕は死んじゃうんで」

「そうなのか」

 男の目が開いていくのが見て取れた。僕は顔だけに笑みを浮かべる。心は笑ってなんかいなかった。

「お前にだけは、教えるけど」

「はい?」

「あの日、蒼甫は家に居なかったよ。俺の家に居た」

 どういうことだ? 僕の思考が男の言葉に追いつくことはなかった。

「それは、本当ですか?」

 男はこくりと頷いた。

「じゃあ、犯人はあなたなんですか?」

 少々直球すぎる気がしたが、僕は素直にそう訊いた。

「それは、違う」

 男は胸を張ってそう答えた。

「何で、警察にそのことを言わなかったんですか?」

「俺の家に案内する。そうすれば、すべてが分かるから」

 僕は少しの恐怖を感じたが、着いて行くほかなかった。それに、車で送ってくれたし。僕は僕自身を、そんな言い訳で安心させた。

「おじゃまします」

 男の家は、月子さんの家の隣だった。相川、そう記された表札にそんな名前だったんだと知った。家の中は、変わった様子も見られない。何があるというのだろうか。スタスタと、相川は僕の前を歩いていった。今回は、体に対する気遣いもないようだった。

「ここだよ」

 相川は壁の前で立ち止まった。

「何ですか?」

 そこには、真っ白な壁があるだけだ。

「そこじゃない、下だ」

 僕は、視線を足元に落とした。僕が立っている床に、扉があった。調味料入れか何かだろう。八十崎屋では、そのようにして利用していた。僕は、取っ手を引っ張りだして、その扉を開けた。そこにあったのは――。

「ただの地面じゃないですか」

 僕の視界は、ただ茶色が覆うばかり。

「降りてみな」

「降りれるんですか?」

 確かに地面とは結構高さの差があるけども、人間が降り立つことは可能だろうか。相川は、降りるようにと顎で催促している。僕は、少し戸惑ってから思い切って扉の奥へと降りた。鈍い衝撃が体へと走った。

「やっぱり傷、痛む?」

 相川が、部屋から頭だけをこちらに出してくる。

「大丈夫です。結構ここ広いんですね」

 大人が、中腰で立てるくらいの高さはあった。

「そのまま左」

「は?」

「いいから左だ」

 僕は、ため息を一つ吐く。相川は、どこまで勝手な男なのだろう。

「左、ですね」

「おう、そうだ」

 僕はそれでも、進むしかない。いつだってこの体が元気になるのを、願うしかないのだ。そっちの方がじっとしているよりもずっと、気が紛れる。痛みに耐えるのも、楽になる。

 僕は屈みながら、左へ左へと進んでいった。


「ここは?」

 僕は、一瞬自分の目を疑った。そこには、大きな部屋があった。歩いていくたびに、下り坂になり空間は形を広げていったのか。僕の目に飛びこんできたのは、真っ赤な柱。どこかの国の寺のような、そんな神聖な雰囲気が、そこにはあった。天井には、金色の鎖のようなきらびやかな飾りまで付いている。

「こんにちは」

 その部屋に居た少年に、声をかけられた。僕はその少年が自己紹介を始めないうちに、蒼甫くんだと分かった。

「僕は、そ――」

「蒼甫くんだよね」

 蒼甫くんは、にっこりとそれが当然のように微笑む。

「ここは僕の瞑想専用の部屋なんだ」

「そう。ずっとここに居たの?」

「うん」

 蒼甫くんはあっさりと僕の質問を肯定した。

「月子さんも、居るんでしょ? 出てきて下さい」

 月子さんが、この部屋のことを知らないわけがない。

「よく、分かったのね」

 本当は、あてずっぽうだった。はずれなくて、よかった。もし月子さんが居なかったら、とんだ恥をかくとこだった。

「さすが、伝説の子だわ」

 月子さんは、僕を見て満足したように言う。

「何のためにこんなことしたのか、全く理解できないんですけど」

 僕にはガムシャラに行動することはできても、頭のいい推理なんて披露できない。

「ちょっと、あなたの様子を観察させてもらってたのよ。やっぱりあなたは蒼甫が見込んだだけの人だったわ」

 僕は今、どんな表情をしているのだろう。

「助けてあげる」

 月子さんは、僕に哀れむような目を向けた。

「あの、薬を見たでしょ。私たちが、薬を集めることができる。蒼甫もそれに協力したいって」

「でも、それは!」

 伊平次さんに、こんなことを聞いた。きちんとして手順を踏めば、薬は手に入るのだけれども、無理やり薬を奪うこともできる。人は悩みが解決した時、薬のロックがはずれて楽に薬を取り出すことができるが、無理やりとった場合、薬を持つ人間は必ずどこかに傷を負う、と。

「私たちは、効率よく薬を持っている人間を見つけることができる。そんな能力を授かっているのよ。知らない? あの話には続きがあること。薬の場所は分かってるの。この地図が、私の手元にはあるから」

 そう言って、月子さんは古びた紙切れを取り出した。

「親戚みんなで、集まりがあるの。五年に一回。あなただって気づいてるでしょ。薬を持つ人間が八十崎と血で繋がってること。そこで、薬を、もぎ取ってしまえばいいのよ。大丈夫、成功するから」

「お断りします」

「どうして? どうして、あなたがこんなにいい子が、苦しみ続けないといけないの?」

 月子さんは、人が変わったように叫び出す。蒼甫くんが、呆れるようにため息を吐いた。

「人を傷つけることは、できませんから」

 僕は、人の傷を癒すことで、体の傷を癒すのだ。

 取り乱す月子さんの隣で、蒼甫くんだけが冷静に僕は見ていた。

「もういいよ、母さん。僕は、こいつを助けるのをやめようと思う」

 月子さんは、それを聞いて落ち着きを取り戻した。もしかしたら、この計画を持ちかけたのは蒼甫くんかもしれない。僕のこの推理は、正しいのだろう。

「送るぜ?」

 背後から相川の声がして、僕は振り返った。

「僕たちも送るよ。相川さん、一緒に行ってもいいよね?」

 蒼甫くんの、そんな声も体の痛みに邪魔されて遠くの方に聞こえていた。

 ありがたく車に乗り込み、八十崎屋へと向う。

「百目鬼裕太、だっけ?」

 流れていく夜景の中で、蒼甫くんが僕に訊いた。

「うん、そうだよ」

「町中で噂になってたから、僕と一緒で普通じゃないやつと出会えたって喜んでたのに」

 そこで蒼甫くんは、言葉を切る。

「普通だ。とんでもなく」

「ごめんね」

 僕は少し、申し訳ないような気分になる。


「ただいま」

 僕は、八十崎屋へと帰ってきていた。月子さんは、せめてもと最後に僕に薬をくれた。

「伊平次さん! 痛み止め、ありますか?」

「あるぞ」

 伊平次さんに薬を受け取って、月子さんからもらったものと合わせて2錠を一気に飲み込む。

「いってきます!」

 僕は玄関へとダッシュする。

「いってらっしゃい……」

 居間に居た紋から、遠慮がちに声を掛けられた。

 僕は、相川の車が走り去ったほうへと走っていく。

「待ってー」

 そのまま追いかけても追いつくはずがなく、僕が追いついたのは相川の車が信号に捕まっていたからだった。

 車の窓を一心に叩く。月子さんは、僕の方を見て怪訝そうな顔をしたが、窓を開けてくれた。

「何? なんなの?」

「あの、ありがとうございました。僕のことを、心配してくれたんですよね?」

「えっ、ちょっとあの」

 戸惑う月子さんに構わず、僕は大声を出した。

「でも、僕は人を傷つけられるほど強くないんですよ。体だけじゃなくて、心も弱いんです」

 これまで生きてきた中で、僕は1番の笑みを月子さんに見せた、つもりだった。

 信号が青に変わり、相川はこちらを一瞥して、車を走らせた。

 

 



 



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[一言] 初めまして。 米本城初音と申します。 面白かったです! 裕太くん(漢字間違っていたらごめんなさい)の体、良くなると良いですね! 金曜日や土曜日や創立記念日などと裕太くんと紋ちゃんが言い合う…
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