ロボット少女がいる日常(9)
せっかくいるのだから、と、飛鳥は和飛にネネのことを詳しく聞き出すことにした。あまりこの父親と親子の会話などしたくないが、相手はロボット工学の権威である。そういう理系な話に関しては別だ。お手軽に高レベルなお勉強が出来るとあって、飛鳥の知的好奇心は疼きっぱなしであった。
しかし、およそ現代技術では到達不能レベルな思考回路について飛鳥が言及したとき、和飛は苦笑いをしながら頭をガリガリ掻いた。
「……ネネの頭には、人間の脳をナノマシンを使って擬似的に再現したプロセッサが載っている。そこで人間的な思考をエミュレートするのが、基本的な動作原理なのだよ」
「脳、を……」
「そう。人間の脳を模倣する機械。私の目標に一つ近づく上で、最重要と言える部分だ」
「目標って、なんだよ? ネネみたいなすごいものを作っといて、まだすごいことやろうってのか?」
「ネネは、未完成だ」
二人の間に、沈黙が流れた。飛鳥が絶句したことにより。あそこまで人間らしいロボットを作っておいて、未完成とのたまう、和飛の凄まじさに。
「私の研究所では主に産業用ロボットの開発を行っている」
それは、飛鳥も知っている。というか、孔雀蓮ロボット研究所と言えば、日本でも有数の技術を誇る産業用ロボット開発元として、結構有名である。
「しかしな、それは単に金になるからやっているだけのこと。片手間の開発費を稼ぐためにやっているだけ。……私たちからすれば、本当に鼻くそをほじりながらやっているようなものだ。しかし、私とて一人のエンジニア。大きな目標を持って研究を行っている。……人間と等しい思考をするロボットの開発。しかしネネは、ニアイコールと言うにも程遠い。ノットイコールだ。ロボット工学三原則に縛られている」
「ロボット工学三原則……」
「アイザック・アシモフの小説に出てきた、ロボットが従うべき原則だ。これがまた、小説という文化的創作物の副産物の癖に理にかなっていてな。現実世界のロボット工学にも多大な影響を与えている。……第一条。ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。第二条。ロボットは人間にあたえられた命令に服従しなければならない。ただし、あたえられた命令が、第一条に反する場合は、この限りでない。第三条。ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。……ネネは残念ながら、“理性”を持たないんだよ。ここが一番難しい。人間が理性を持って行動するところを、ネネはロボット工学三原則で行動理念を縛っている。ここが、今のネネと、人間を絶望的に隔てているポイントだ」
飛鳥は思考した。今の和飛の言葉を整理し、しかし、その言葉をすんなり飲み込めなかった。あんなに人間としか見えないのに、と。
「理性、の定義がよくわからない」
「私の言う理性、は、“自分のために思考する力”の事だ。例えば飛鳥。お前はなぜ人を殺さない?」
突発すぎる和飛の言葉に。飛鳥は軽く挙動不審になりながら、答える。
「そ、そりゃあ、警察に捕まるから……。それにそんな、殺したいほど憎い人もいないし……」
「そう。警察に捕まりたくないから、人を殺さない。自分のために思考する、つまり理性を持っているから、人を殺さない。じゃあ殺した場合は? これも人間ならば理性となり得る。憎い人間がいる。あー、この人いなくなれば愉快なのにー。そうだ殺そう。……どうだ、自分のために思考している。……普通なら、警察に捕まるリスクの方が上回って殺すには至らないものだがな。ネネは、その部分は、ロボット工学三原則で縛っている。だから人を殺さない。傷つけない。もちろん、日常生活における行動も、縛っている。ネネは、自分のために行動したことがあるか?」
言われ。この二週間の生活を思い出し。一つの結論に至った。
「……無い」
そう。絶望的なまでに、無いのだ。
ご飯を作るのは飛鳥が食べるから。洗濯をするのは飛鳥が着る服を綺麗にするため。学校に行くのは和飛のデータ取りのため。本当ならば勉強なんてする必要もないのに。夜、飛鳥がパソコンに向かったら、邪魔をしないように自分の電源を切って布団の上で横たわる。本当は寝る必要もないのだが。
「だろう? ロボット工学三原則に基づいた思考はする。しかしそれは到底理性なんて言えない。ネネは、理性を持たない」
台所の方からの、ネネが動き回る音が、妙に大きく聞こえる。甘い、お菓子の焼けるいい匂いが漂ってきた。どうやらホットケーキのようだ。
「勿論。ネネの思考は成長する。起動したときから、経験に基づいた成長を行う。開発者である私ですら、ネネの思考がどのように成長するか未知数なのだ。だから、その未知数の部分に私は期待している。未知数の部分に、理性、それに準ずるものが生まれないか、とね。それが生まれ、ロボット工学三原則が破られたとき、ネネは完成に一歩近づくわけだ」
語る和飛の瞳は、いつしか、少年のように輝いていた。小学生がサッカー選手になりたいと言っているような、純粋に夢見ている瞳。しかし、その瞳に孕む得体の知れない狂気を、飛鳥は感じた。
「できたよーう!」
場違いなほど明るい、ホットケーキを三枚乗せた大皿と、小皿数枚を持ったネネの声が、ひどく無機質なものに聞こえた。