ロボット少女は恋をする(10)
「で。なにかあったのか?」
卓袱台を挟んでネネと向き合った飛鳥は、恐る恐る、という声色で問うた。沈んでしまっているネネの気分をこれ以上沈ませないように。傷付けないように。
ネネは、飛鳥の前で俯いたまま、口を開いた。
「あ、あのね……」
「うん」
「ハカセ、がね……ネネは、成功例、だって」
その言葉を、飛鳥は軽く天井を仰いで考えた。
そもそも、ネネの起動実験の目的は何か。
第一に。商品化した時に違和感なく社会に溶け込めるか、のテスト。これは、実験が始まった当初から、飛鳥自信も納得がいくほどの大成功。ネネが自分のクラスでどんな生活を送っていたかはうかがい知ることは出来ないが、少なくとも飛鳥の周辺の人間は、飛鳥の妹だということを疑わなかった。だからこそ、あの傷害事件も発生したわけである。
第二に。ネネに、理性を持たせること。和飛の言う理性というのは、自分のために、という欲望を行動理念として行動すること。ロボット工学三原則を壊し、理性で行動する意識。これが芽生えてこそ、ネネは真に人間に近づくことが出来る、と。この目的も。
「父さん的には、成功、なんじゃないかな」
確かに、歪ではあるがネネは自分のために行動した。飛鳥に恋するあまり、その恋敵たる瑠璃を傷付け、挙句、殺してしまうかもしれない、とさえ言った。人間の汚い嫉妬の部分が、極端ではあるが、生まれていた。その意識に翻弄されていた。
しかし、ネネはそれを納得していないようだ。顔を上げ、ショックを受けたような表情で、赤い瞳の端に涙を湛えている。飛鳥は、しまった、と思った。しかし、だからと言って失敗例と言えばよかったのか。
飛鳥は、思案するように頭を掻き、遊んでくれ、と言わんばかりに寄ってきた猫を両手で抱きあげた。
「僕も、ネネは成功例だと思うけどね。こんなにも人間にしか見えないロボット、成功例以外の何物でもない」
「こっ! こんな、ケッカンロボットの、どこが!」
ネネが癇癪を起して卓袱台をバンっと叩いた。飛鳥は驚いて体を強張らせるも、猫からネネに視線を移すと、確かにこれは成功例だ、と飛鳥は冷静に、改めて思った。
かつて、和飛に言われて気付いた、ネネの不自然な従順さ。今はそんな従順さも無く、飛鳥に歯向かい、喧嘩をしようとしている。
これの、どこがロボットだというのだ。一人の、我儘な女の子じゃないか。
胡坐をかいた脚の上に乗った猫の肉球をプニプニと弄りながら、ネネを見据えた。
「そんな悲しいこと言うなよ。僕的には、ネネがいてくれて、すごく助かってたんだ。少なくとも僕の中では、ネネには欠陥なんてないと思ってる。……なあ、ネネ。結局、何しに来たんだ? 僕に欠陥ロボットだって肯定してもらいに来たのか? だったら願い下げなんだけど。妹を、欠陥商品扱いは、したくない」
「ちっ、違う、違う、の……」
酷く冷静な飛鳥の姿をみてネネは少し怖じ気づいている。しかし、言葉を選びながら、続けて口を開く。
「ねっ、ネネが、成功例、でさ。その。成功したら、ネネみたいなロボットを、商品化しよう、って話になってるの」
開発し。実験し。それが成功したら世に出す。至って普通のことである。飛鳥は、ネネの考えが全く読めず、首を軽く傾げた。
「うん。それで?」
「おっ、おにいちゃん、にさ。ハカセを止めるのを、手伝ってほしいんだ」
「……どうして」
「だって。ね、ネネみたいなロボットが世の中に出て行って……今回と、同じようなことが起こったら? 持ち主の人に恋しちゃったりしてさ……。幸せに、なれない子が、沢山出てきちゃうと思うんだ」
ネネと同様の思考が出来るロボットならば、当然、人間に恋をする確率だって十分あり得る。しかし、ロボットが人間に恋して、幸せになれるビジョンは、残念ながら見当たらない。ネネに、恋人になってくれるか、と問われ、即答出来なかった事実が、その証拠として飛鳥の思考に張り付いている。
「それにさ。恋愛だけじゃないよ。ネネは"モノ"だからさ。人間扱いしてくれないような持ち主だって出てくるよ、きっと。どんなに酷いことされても、何も出来ない」
ロボットは当然、人間じゃないから人権など持たない。最悪、殺されても、犯罪にはならない。どんなことをしても、許されるのだ。
飛鳥は、絶句した。確かにそうだ。そもそも今の日本では、いや、世界中どんな国でも、法整備をしなければ、人間に近いロボットが普通に暮らしていけるわけがないのだ。
「そ、そんなの、ネネ、嫌だよ。ネネの妹達が、酷いことされるなんて!」
「父さんに、ネネは言った? そのことを」
「い、言ったよ! 言ったけど、その、聞いて、くれなくて」
自分の意思は貫き通す、頑固な部分を持つ和飛。なるほど、ネネの訴えは左から入って右から出て行くようなものだ。我が父ながら、大人気ない、と思った。
そしておそらくは、飛鳥が言っても聞きはしないだろう。
「……母さん。いや、母さんは父さんの仕事に関しては完全ノータッチだし、言ったとしても最悪父さんに論破される……」
「だ、だからね、おにいちゃん」
飛鳥が悩んでいると、ネネは先ほどまでの弱々しい表情から、意思の強そうな表情に変わって、膝立ちになって飛鳥の方へ乗り出してきた。
「おにいちゃんに、手伝ってほしいの。口で言ってだめなら、その、実力行使、でさ」
「実力、行使? なんだよ。刃物持って研究所に殴りこむのか?」
飛鳥がちょっと引き気味に言うと、ネネは悪戯っぽい笑みを浮かべたのである。こんなネネの表情、随分久しぶりなような気がした。
そして、言い聞かせるように。
「ク・ラ・ッ・キ・ン・グ、だよ。おにいちゃん」