ロボット少女は恋をする(3)
飛鳥もネネも、自分の答えを見つけられないままだった。
瑠璃は飛鳥のことが好き。だから、瑠璃のことを好きになってやってくれ、という月代の一方的な願いに対する、答え。
ネネが感じる、飛鳥への違和感。クラスメイトに指摘され、それが恋だと気づき、しかし気づいたからと言ってどうすればいいのか、という自分の袖の振り方への答え。
別に生活が劇的に変化したわけではない。飛鳥も悩んでいる風であったが、妹であるネネにあまり心配かけたくないという兄としての配慮は行っているらしい。そして当のネネも、自分がどうすれば良いのか分からず、思考の渦に入り込んでしまうことが多々あった。勿論、飛鳥の前ではあまり悩まないようにしている。この気持ちを、飛鳥に知られるのはまずい、と、なんとなく分かっていた。
お互いが、お互いに悟られないようにし合っている状態。軌道に乗り始めた兄妹としての生活に生じた、ちょっとした溝。
それを作った元凶、瑠璃、そして月代。ネネは、ちょっとだけ、この二人を恨んでいた。
自分勝手な理由で、自分と飛鳥の間に土足で入り込んできたことを。
特に、瑠璃。自分には、血の繋がった妹という設定と、機械だということ、という絶望的過ぎる二つの壁があるのに。瑠璃は、あろうことか月代という協力者に、飛鳥へ想いを告げることを、丸投げをした。自分で苦労せずに、飛鳥に気持ちを伝えた。なんて、卑怯。
人間を恨む、ということをさも当然にやっていることに、ネネは気付いてなかった。本来ならば、命令に従わねばならない相手であるはずの、人間、それも、個人に対して敵対的思考を行ってしまっている。
それは、本来ネネには不可能なはずの思考、だった。
そろそろ入梅したかという、ジメジメとした雨の日の放課後。
住宅地を、ネネは一人で歩いていた。
右肩にスーパーで買った食材を詰めたエコバッグを提げ、左手に持った傘の支柱を、左肩に置いて。
近所の小さなスーパーでは売っていない、ちょっと珍しい食材を求めて、学校をはさんで家とは反対側にある大手スーパーに行った、その帰り。
飛鳥はあの傷害事件以降、微妙に体調が優れないことが多くなっていた。記憶が飛ぶほどのショックを受けたのだ。その上、あの瑠璃に対する心労である。当然といえば当然であろう。
というわけで、学校が終わったら飛鳥はそのまま家に帰り、ネネが買い物に行くことも多い。
どれもこれも、あの人のせいだ、と。瑠璃に全て押し付ける、黒い思考に陥りながら、帰路を歩いていたネネが、立ち止まる。
学校の近くだった。下校する生徒は、もう無い。雨故にグラウンドを使用する部活も行われていない。静まり返った、住宅街。
道路の端に、生徒が一人、しゃがみ込んでいた。傘を右手に、左手を道路わきに放置された箱の中に差し伸べている、小柄で地味そうなメガネの少女。
「瑠璃先輩。どうしたんですか?」
話かけて。ネネ自身が、驚いた。自分の声の、どうしようもない暗さに。
瑠璃が、髪を揺らしながら慌てて立ち上がり、こちらを向いた。
「い、いえっ、その……」
ネネは、無表情で瑠璃に詰問するように歩み寄る。
そして、瑠璃の足元の箱を見下ろした。
「……猫、ですか」
水を含んで今にも崩れそうな小さな段ボール箱と、その底に敷かれた濡れきったタオル、の上に寝かされた、小さな猫。生後間もないわけではないが、大人というには小さすぎる、子猫。
衰弱しているということは、誰の目からも明らかだった。
「ひ、酷い、ですよね。モノじゃない、のに、捨てちゃうなんて……」
どもりながら、しかし必死に、捨てた人を非難する瑠璃の目の端に、光るものがあった。
だがしかし。そんな瑠璃は、ネネをイラつかせた。相手が、このところネネを悩ませ続けている元凶であるという事実が、ネネをそんな感情に駆り立てる。
そもそも瑠璃の気持ちなど知らなければ、ネネも自分の気持ちに気づかず、こんなに悩む必要などなかったのだ、という、酷く自分勝手な考えを、ネネは抱いていた。
「何が分かるんですか、瑠璃先輩に?」
「……え?」
てっきりネネも同意してくれるものと思っていた瑠璃が、絶句して動かなくなった。信じられない、という風に、ネネを見つめる。
「例えば、この猫が、飼い主に虐待されるような環境にいたとしたらどうです? 痛めつけられながら、いきていくよりも、ここで、こうして死んでしまった方が、この子にとっては幸せなのかもしれません。どういう生き方が幸せなのか、本人しか分からないと思いますよ?」
「そ、そんな……ひ、ひどい、酷い……です……」
「じゃあ飼ってあげればいいじゃないですか。そうして手を差し伸べて、同情するだけして、可愛そうだと思って"あげて"いる自分に、酔っているんですか? ホント、人間のエゴってどうしようもないですね」
違う。本当はネネはそんなことを言ってはいけない。ロボットは人間を、肉体的にも、精神的にも、傷つけてしまうことは禁じられている。
しかし。芽生え始めてしまった、人間特有の、嫉妬や憎悪という汚らしい本音が、ネネを突き動かしていた。ロボット工学三原則などまるで無視した行動に、駆り立てていた。
「で、出来ないんですよ!」
この人が、そんな声を出すのか、と。瑠璃の罵声に、ネネも驚き、たじろいだ。
「家が! アパートが……ぺ、ペット……禁止、なんです! 許されるなら、私だって! 飼ってあげたいですよ!」
今まで、瑠璃が誰にも向けたことが無いような、人見知りという殻を突き破った、むき出しの、強い、強い激情。
「何なんですか、さ、さっきから! 私、何かネネちゃん、が、い、い、嫌がるようなことを、しましたか!?」
していない。少なくとも、瑠璃が、直接何かしたというわけじゃない。ネネが勝手に、瑠璃を恨んでいただけ。
そう思い。自分の汚さに、ネネは自分が嫌になっていくのを感じた。異常に頭が冷めていくのを感じた。
ネネの憎悪の精神。それは人間特有のもの。しかし、瑠璃の慈愛の精神。それも、人間特有のもの。
そして、そのどちらが、人として相応しいか。そんなもの、ネネにだって分かる。
こんな汚いことを考える自分なんか、飛鳥には似合わない。ネネは、自己完結してしまった。
「いえ何も。……ごめんなさい」
そして、沈黙。
いっそう激しくなった雨だけが、二人の間を降り抜けていく。
嫌な沈黙がしばらく続くが、先に動いたのは、ネネだった。携帯電話を、バッグのポケットから取り出す。飛鳥の番号をダイヤル。
しばらくして飛鳥が電話に応答した。
『もしもし。どうしたの?』
「あ、おにいちゃん? 猫、拾った」
『はぁ!?』
「猫。連れて帰る。確かペット禁止じゃないよね? お兄ちゃんは猫の飼い方とか調べててよ」
『いや、えっ?』
「じゃ」
今一理解しきっていないような飛鳥の文句をかき消すように、通話を切る。そしてネネは、箱から猫を抱き上げ、空いている右手で支えた。
「意地悪言ってごめんなさい。瑠璃先輩はいい人です。お兄ちゃんと一緒になっても、きっと上手く行きますよ」
そう言い残して、ネネは瑠璃の前から立ち去った。
あまりに急なネネの行動に、瑠璃は何の反応も示せなかった。ただただ、呆然と、その場に立ち尽くしていた。