ロボット少女がいる非日常(10)
「おにいちゃん! おにいちゃん!」
甲高いネネの声が聞こえる。なんて耳障りなのだ。
妙に体が重い。目を開けるのも億劫なほどだ。
しかし、そばでネネが飛鳥の事を呼んでいる。それも結構切羽詰まったような口調で。
おかしい。朝食が出来たから起こしているにしては、焦っているような気がする。
瞼を開けると、見覚えのない部屋の光景がぼんやりと目に入ってきた。
白い。全てを拒絶するような、潔癖な白いカーテンに囲まれている。天井も、勿論白い。
しかし今は天井の電灯が付いておらず、ベッドの周囲に置かれた機械のLEDと、足元の方に取り付けられた電灯が、淡い光でカーテンの中を照らしていた。
「……んー」
起き上がろうとして。
「んぎ!?」
腹部に鋭い痛みが走り。
「だめ! 起きちゃだめ!」
そうネネが言うのと同時に、起き上がろうとした飛鳥の体が無理やり押さえつけられた。何が起こっているのか、飛鳥には全く理解できない。見ると、ネネは涙をボロボロ零しながら、飛鳥の肩を持ってベッドに押さえつけていた。ネネ本来の体重も相まって、飛鳥の体は完全に起き上がれなくなった。
「ど、どうしたんだよ?」
わけがわからない。ネネはなぜこんなに狼狽しているのか。そもそもここはどこだ。
飛鳥は、泣きながら喚き散らしているネネの顔を見ながら思考したが、全く分からない。
「覚えてないの!? おにいちゃん、刺されたんだよ!」
「ささ、れた?」
言われて、先ほど痛みが走った腹部を撫でてみて。なるほど、包帯のようなもので覆われているのが感触で分かる。
しかし。
「……ごめん、全然知らない。あれ?」
一番最近の飛鳥の記憶は。寝ている間にずいぶんと長い夢を見たせいで遥か彼方のようにも感じられるが、辿ってみると、学校の三時間目の授業から途切れていた。そこからいきなり夢の世界に入って気が付くとここにいた感じだ。
壮絶な違和感に、飛鳥は横になったまま首を傾げた。事故や事件のショックによって短期的な記憶喪失になる人もいる、という話を思い出していた。
「先生に呼ばれて! おにいちゃんが刺されたから一緒に救急車乗ってくれって! しっ、心配したんだからね!」
「そ、それは悪いことをしたけど……」
そもそもその記憶がないのだから、ネネがこんなに泣いていること自体、飛鳥にとっては現実感なんてない。酷く冷静な思考で、涙腺も付いてるのか、すげーな、と場にそぐわないことを考えるほどだった。
「……ごめんなさい、おにいちゃん。ネネが、守ってあげれなかったから」
涙を拭って。ネネがパイプ椅子に座りなおして、項垂れた。一体どれくらい着ているのだろう。皺くちゃになった制服のスカートから伸びる、細く白い脚。涙を両手の腕で拭った後、その膝の上に、両手を置いて、ギュゥ、と強く握りしめた。
「はぁ?」
しかし、そのネネの暴論に釈然としない飛鳥は、素っ頓狂な声を上げることしかできない。
「ネネが、ダメダメだから……おにいちゃんを……」
「ちょ、ちょっと待て! 責任云々の話をするなら、まずどういうシチュエーションで僕が刺されたのかを聞かせて欲しいね? 僕の記憶は月曜日……というか何日たった?」
「二日だよ。現在時刻午前一時二十八分五十二秒」
秒まで伝えてくるネネに、ご丁寧にどうも、と少しおどけた口調で一言添え、続けた。
「ああ、うん、それくらいならいいや。起きたら何年も経ってましたっていう状況だったらどうしようって焦ったけど。……で、僕の記憶は、月曜日の三時間目から無い。だからどういう状況で刺されたのが分からないから。でも、三時間目に刺されたんだったら、ネネは干渉しようがないだろ。校舎が違うんだから」
「で、でもっ! 役目が遂行できないならロボットなんてあってもなくても……!」
「そもそもさっき先生に呼ばれて救急車に乗ったって言ってるけど、ネネは僕が刺されたのを後で知ったんだろ?」
「でもっ!」
「でも、じゃないよ。悪いのは刺したヤツ。誰かは知らんけども。……ただ、それだけだ。僕はネネに、盾の役割は求めてない」
諭すように。布団から、左手を出して、ネネの手に重ねる。熱の管理が上手くいっていないのだろうか。機械の様な冷たさが、飛鳥の左手に伝わってくる。その左手を、ネネは両手で握った。
「納得行ってないな? ……じゃあ、それでいい。そんな悪い子のネネにお仕置きだ。僕の願い事を一つ、聞いてくれ。それで、全部チャラだ。いい?」
飛鳥がちょっと呆れた風にそう言うと、ネネは鬼気迫る表情でパイプ椅子から立ち上がり、飛鳥の方にずずいと顔を突き出した。
「な、なに? 何でも……言って。めいれい、して?」
そんなネネに飛鳥はちょっと引き気味に笑いながら、告げる。
「ご飯、もうちょっと味濃くしてくれよ」
それを聞いたネネは、一瞬キョトン、とした後、追ってボロボロと赤い瞳から再びあふれ出した涙が、飛鳥の手の甲に零れ落ちた。