ロボット少女がいる非日常(9)
飛鳥にとって、ある意味幸運だったかもしれない。人目に付く場所で、人目に付く時間に、その凶行が行われたことにより、止血処理が早めに行えたことが。
そして、犯人の男子生徒が使っていたカッターが小さく、また、男性生徒自身も非力であったことから、あまり深いところまで刃が到達しなかったことが幸いした。
救急車で運ばれた先で迅速に輸血され、腹部の傷も縫合され、飛鳥は一命を取り留めたのである。
今は、個室になっている病室で、泥の様に深く、現実世界を拒絶するように眠っていた。
妹、ということで、呼び出され、一緒に救急車に乗ったネネは、病院についてから、買い与えられていた携帯電話で、和飛に連絡した。
するとどうだろう、ものの一時間ほどで、和飛と椎葉が病院に駆け付けたのである。
曰く、研究所のヘリを使った、という。
今は、ネネは飛鳥の横で、飛鳥の左手を両手で握っている。
飛鳥を守れなかった。人型情報端末は、主人のサポートだけでなく、主人を守ることも役割だと思っていたのに。役割が遂行できないなら、自分なんていなくても、と、自分すら否定する自己嫌悪の思考に陥っていた。
まず校舎が違うのだから、ネネが飛鳥を守るなど、このケースに限っては不可能だった。無茶な話である。だが、それでも、ネネは納得できなかった。人間の思考をトレースできる凄い思考回路を積んでいても、使い物になんてならない、と。
押しつぶされそうな感覚が怖い。時折、その目の端から、涙を流しては、両手で拭う。
そして、ネネに輪をかけてイライラしているのが、和飛だった。
和飛は、病室の壁に寄り掛かって、腕を組んだ姿勢で、右手の指で左腕を、まるで貧乏ゆすりの様にタップしている。
普段息子不幸な行動ばかり取ってきた和飛も、ただの一人の親バカな父親だった。息子を極度に心配し、頭の血管が切れてしまいそうだという表現がピッタリな、強いストレスが見え隠れしている。
そして、予想通りと言えば予想通りだった。病室に入ってきた椎葉は、こんな時だというのに、その表情は酷く穏やかだ。
「死ぬようなことは無いってお医者さん言ってるんだからぁ、焦っても仕方ないでしょう?」
言いながら。ギロッと睨みつけてきた和飛を宥めすかすように、頭をポンポンと撫でた。
「ねぇ? 殺しても死なないような和飛さんの息子なのよぉ? 生命力が人一倍あることくらい、分かり切ってることじゃない。飛鳥を信用しなさいよぉ。お父さんでしょぉ?」
肝が据わっているというか、据わりすぎて地面に根を張っているんじゃないかと言っても過言ではないほど。椎葉が動揺した姿を、夫である和飛すら見たことは無かった。
「はぁ……」
組んでいた手を解いた和飛が、深いため息をついた。椎葉にはかなわないのだ。結婚した当時から分かっていたことじゃないか。和飛のストレスが、少しだけ和らいだのが見えた。椎葉に呆れてしまったと言った方が正しいのかもしれないが。
次に椎葉は、ネネの隣に、壁に立てかけてあった折り畳みいすを出して据わった。
「ネネちゃん? ネネちゃんは、悪くないのよ?」
言いながら、ギュッと、ネネの茶色い髪に覆われた頭を抱きしめた。
「で、でも……ネネ、おにいちゃんを守るっていう役目も……」
「無理よぉ。学年が違うんだからぁ。どうにもならないことって、たくさんあるのよぉ? それを責めても、しょうがないの」
そうは言われても。ネネには全く納得出来なかった。罪悪感は全く消えない。
ポロポロと流れる涙が、顎を伝って、椎葉の和服の袖に零れ落ちた。
「飛鳥だって、ネネちゃんが悪いなんて絶対に言わないし、そもそも思っても無いわよぉ。だから、ね?」
しかし、それでも。ネネは、首を横に振ることしかしない。自分を否定することしか、しない。
局所解だ、と和飛は思った。ネネが悪くないことなど、和飛でも分かる。しかし、ネネは自分が悪いという事実しか認めない。誤った解が正しいと思い込んでしまっている。人工知能の学習においてはよくある事象だ。
椎葉が何を言おうが。目を覚ました飛鳥が何を言おうが。きっと、ネネは自分を責め続ける。ロボット故の頑固さ。ロボット故の、融通の利かなさ。
改良の余地在りか、と。こんな時でも考えてしまうのは、職業病であろう。
しかし。感情表現豊かにするために、涙腺をつけたのは失敗だったな、としみじみ思う。女性の涙は、苦手だった。