第一章:風が吹くまま
俺はマルセイユにあるBAR、「ネメシス」で酒を飲んでいた。
本来、BARで飲むのは余りしない俺だが、自分でも驚いているがここで飲んでいる。
どうしてかは、分からない。
ただ、飲みたいと思ったからとしか言えない。
話は変わるが、ネメシスで酒を飲んでいるのは俺だけじゃない。
3人の女と一緒だ。
ガブリエル、ウリエル、クレセント。
俺の家に住んでいる女達だ。
ガブリエルは俺の相棒を自負する女だが、つくづく性別を間違えたと思う。
男臭いんだ。
何から何まで男臭い。
下手な男より男っぽいから尚更だ。
隣でバーボンのストレートを飲むガブリエル。
麦色の・・・バーボンの源の髪をしたこいつは無造作に後ろで1本に纏めた髪型に、男物の衣装とトレンチコートを着ている。
ここでもこいつが如何に男臭いか解かるだろ?
そしてガブリエルとは逆の方向に座るのはウリエル。
こっちはガブリエルに比べれば女らしいが、性格はガブリエルに負けないほど苛烈で男臭い性格だ。
まぁ、服装に到っては女らしい・・・最近の女が着る服装だが、どうも似合わないと思う。
それなのに着続けているのは謎だ。
そのウリエルはガブリエルと違い、俺と同じくカクテルを飲んでいる。
カクテルの王と謳われるマティーニで、数あるマティーニの中でも知られているドライ・マティーニだ。
007の小説にもジェイムズ・ボンドがこれを頼んでいるが、こいつは「ゴードン・ジン3、ウォッカ1、キナ・リレ1/2をシェイクしてくれ」と頼み、それをシャンパン・グラスに注がせた上にレモンの皮を入れさせている。
こいつを産み出した作家が大の美食家だから、こういった所にも拘りを感じる。
だが、俺から言わせれば邪道だ。
本来ジンで作る筈のマティーニをウォッカを使用するばかりか、それをシェイクするなど邪道以外の何でもない。
これはステアーで飲んでこそ本当の味が楽しめるんだ。
まぁ・・・・これは俺個人の考えであり、他の奴らには無理やり押し付ける気は更々無いが。
ウリエルはガブリエルと違い、カクテルの方を好んでおり特にこのドライ・マティーニを何よりも好んでいる。
こいつは“紅蓮の天使”などと渾名されているが、酒に関して言えば「冷たい味」を好んでいるという面白い所がある。
そして俺ら3人から少し離れた場所に腰を降ろすクレセントの方は酒を飲まずに煙草を蒸かしている。
こいつは俺の護衛を務める暗殺者だ。
俺が皆殺しにした一族の娘だが、気紛れで助けた経緯で部下となった。
こいつの腕は、ハッキリ言えば俺も手こずる。
流石は俺に何度も挑み、その度に傷を負わせた一族の娘だと改めて思い知らされる。
こいつもガブリエルと同じく男臭いが、暗殺者としての性だろう実用性を何よりも重んじてああいう格好になったんだと思う。
そんな事を思いながら、俺はマルガリータを飲んだ。
ロサンゼルスのバーテンダーが、恋人の死を憐み作り上げたカクテル。
俺もこれには深い思い出がある。
彼女が初めて飲んだ酒で気に入っている酒だ。
『私・・・これが初めてのお酒なんです』
白いマルガリータが注がれたカクテルグラスを持ち、目が覚めるほどの笑顔を振りまいて俺に彼女は告げた。
あの笑顔は、どんな金銀宝石よりも光り輝いていた。
その笑顔がマルガリータと妙にマッチしているのを今でも覚えている。
「・・・・美味いな」
俺は飲み干したマルガリータのグラスを置いた。
塩の味が、後味的に良くて気分が心地よい。
「先に帰る」
俺はカウンターから立ち上がり背を向けた。
「今日は出かけるの?」
ガブリエルの声が背中越しに聞こえてくる。
「あぁ。少し・・・行く場所がある」
俺はそう答えてネメシスを出た。
店を出て、足を動かす。
まだあると良いんだが・・・・・・・・・・・・
俺は・・・・もうかなり年月が経ち、もう朽ち果てているかもしれない場所に足を向けた。
俺が足を向けた場所は、もう朽ち果てる寸前のオペラ・ハウス。
パリのオペラ・ハウスに比べれば見劣りするが、それでもここはマルセイユの者たちにとっては思い出ある場所だ。
ここが完成した時、彼等はこう言った。
『この街をパリに負けない位の都にしよう』
ここが出来上がった時、彼等は崇高な願いと希望を持ち開拓をした。
だが、年月が経つに連れて、その崇高な願いと希望は、建物と同じく朽ち果てて行った。
「・・・時は哀しい物だ」
最初はあんなに輝いていたのに、何れは朽ち果てて行くのだから。
俺は、オペラ・ハウスの中に足を入れた。
床が腐り、足元が崩れ落ちそうだ。
それでも構わず足を進めて行く。
舞台の見える観客席に行き、座れそうな場所に腰を降ろした。
「・・・・・・・・・・」
右目しかない金色の瞳を閉じた。
目を閉じれば、昔に戻った気がする。
舞台では華やかな衣装を着た演奏者が演奏をしている。
“死と乙女”だった。
これも彼女が初めて見て、聞いた曲だ。
シューベルトが作曲した歌曲で病床に着く乙女と死神との対話を描いている。
一般的には死は恐怖であり、死神の言葉は誘惑であり脅迫と解釈されているが、俺は違うと思う。
この曲を作った国はドイツだ。
ドイツでは「死は眠りの兄弟」と言われている。
これは死と言う概念が恐ろしいものではなく、安息という側面を謳っている。
ドイツの歌曲やワルツなどは、他の国に比べて何かしら違う面がある。
魔弾の射手でもそうだ。
悪魔は、契約者の命を狙った。
魔弾を使用する若者ではなく契約者の命を、だ。
それは契約を結んだからだ。
悪魔は契約が絶対不可侵の掟だ。
契約に反する事はしない。
だから、魔弾を使用した若者を狙わなかった。
正確に言えば、狙いたくても契約をしなかったから駄目だったと言った方が正しい。
悪魔である俺の意見では、ドイツが一番そういった面では俺らをよく理解していると思う。
他の国に比べれば、死と乙女の面でもそう言った部分がよく理解できる。
俺は演奏者たちが奏でる音楽に耳を傾けながら、死と乙女の場面を思い描いた。
病床の乙女は現れた死神を見て、乙女は言った。
『ああ、私は願う。どうか遠くへ、死神よどうか遠くへ行って欲しい。
私はまだ老いていない。生に溢れているのだからどうかお願い、触らないで』
しかし、死神は乙女にこう語り掛けた。
『美しく繊細な者よ。恐れることはない。手を伸ばせ。
我は汝の友であり、奪う為に来たのではないのだから。
ああ、恐れるな。怖がるな。誰も汝を傷つけない。
我が腕の中で愛しい者よ、永劫安らかに眠るが良い・・・・・・・・・・・』
そして乙女は息絶える。
しかし、その顔は恐怖など微塵も感じられない安らかな笑顔だった。
音楽が終わり、俺は目を開けた。
そこは朽ち果てた舞台で、観客は誰も居ない。
だが、俺は拍手をした。
誰も居ない舞台に向かって。
「素晴らしい演奏だった」
誰も居ないのに俺は拍手をしながら称賛した。
そして立ち上がり、出た。
オペラ・ハウスを出ると背中越しに声が聞こえて来た。
『またのお越しをお待ちしております』
振り返れば、大勢の演奏家たちとオペラ・ハウスで働く者たちの姿が見えた。
「あぁ。また来る。今度もまた素晴らしい演奏を聞かせてくれ」
『勿論です。何か望みの曲はございますか?』
「いや。お前達の素晴らしい曲なら、駄作でも一流になるさ」
『お褒めに預かり光栄です。では、またの御来店を・・・・・・・』
そう答えて一礼した。
そして俺は歩き出した。
まだ家には帰らない。
今日は、もうしばらく夜を歩きたい気分だ。
何処に行く?
さぁな。
風が吹くままに足を進めるだけさ。