真のヒロインは悪役令嬢だったらしいけど、全部ぶち壊してしまいました
「アウロラ」
ドアをノックする音で強制的に起こされる。一体誰? わたしが寝ている時は誰も部屋に近寄らないように言ってるのに……。
無視して二度寝をしようとしたら、ドアが開いた。必死に抵抗したけど、布団をはぎ取られてしまう。
「いい加減起きなさい。学校の時間だろう」
「寝かせてぇ……」
必死の抵抗むなしく、侵入者はわたしから完全に奪い取って窓のカーテンを開けた。朝日がまぶしい。最悪だ。
「……どうしてアンドレアお兄様がここにいらっしゃるんですか」
驚いた。侵入者が、祖国にいるはずのお兄様だったなんて。
早くに楽隠居した先代様ご夫婦に代わって、今はお兄様が我が家の当主であり、枢機卿も務めている。忙しいはずのお兄様の顔を見て、嬉しい気持ちと「しまった!」という気持ちが交互に押し寄せてくる。
「可愛いアウロラが留学先で登校拒否をしていると聞いて、駆けつけてきた」
「さてはメイド長の仕業ですね」
わたしを心配したメイド長、もしくは護衛の誰かが本家に連絡したのだろう。余計なことを。お兄様の手を煩わせるつもりはなかったのに……。
「クレイヴル校で何があった?」
「……別に何も。お兄様も知っての通り、アウロラはわがままで怠け者の妹ですよ。理由なんてありません」
登校拒否の理由なんて言えない。言えるはずがない。わたしはお兄様の恐ろしさと、我が家の影響力を理解している。この一件の真相が知られれば、お兄様はきっと本気で怒るだろう。もちろんわたしにだ。
「今日も学校、休みます。お腹が痛いし、熱もある気がします」
「そんなに嫌なのか」
「……はい」
「私も働くのは大嫌いだから気持ちはわかる」
お兄様はベッドに腰掛け、わたしの頭を撫でて微笑んだ。
「お前さえよければ、今日は一緒に過ごさないか?」
「えっ、いいんですか!?」
「今から国に帰るのも面倒だしな」
そうと決まれば寝ていられない!
「じゃあお兄様、一緒にお茶会をしてくれませんか?」
「わかった」
前から気になっていた、街で評判のティーサロン。直接足を運ぶわけにはいかないけど、メイドをお使いに出してあの店のお菓子を揃えれば気分は味わえるだろう。
*
絶対、絶対、ぜーったい誰の先触れも受け付けないことを使用人達に厳命し、わたしはお兄様とお茶の時間を楽しんだ。時折うとうと居眠りしながらだけど、それはお兄様もなので、誰もわたしを叱らない。お兄様と過ごしていると、心が安らぐのを感じる。
「さて、アウロラ」
不意にお兄様がティーカップを置いた。微笑んでいるけれど、目は笑っていない。
「お前は私に隠し事ができると思っているのか?」
「え」
「お前には護衛を何人もつけている。お前の周辺のことは把握済みだ。もちろん、クラウニス王国とアルヴァンド帝国の間で起きたいざこざもな。お前の意思を尊重して、これまで手出しはしなかったが」
嫌な汗が背中を伝った。
「アウロラ、お前の口から聞かせてくれ。この一か月、どうして学校に行かなかったのか」
だめだ、逃げられない。
「わ……わたしはただ、平穏に暮らしたかっただけなんです……」
*
クラウニス王国にある先進的な学校、クレイヴル校。わたしがその校門をくぐったのは二か月ほど前のことだった。
身分も性別も問わずに優秀な子供を集めて、彼らが学べる場所を作りたい──どうしてクラウニスの王妃がそんな夢を持つようになったのかは知らないけれど、とにかくそんな理念の下で五年前に学校が建てられた。クレイヴル校は、クラウニスの王侯貴族を中心にして生徒数をじわじわと広げていったらしい。
やがて我が家にクレイヴル校の入学案内書が届いた。ぜひわたしを留学させたい、と。クレイヴル校の箔付け目的だろう。わたしの家にはそれだけの力があるから。
わたしの家は、世界中の国が国教として定める聖泉教、その頂点に立つ七つの家の一つ……通称七使徒家の一角を担っている。
七使徒家の開祖は聖泉教を広めた七人の大天使であり、我がコルツィオーネ家は眠りと癒しの天使ファゴーロンを始祖に持つと言われていた。……正確に言うと、わたしは分家筋から養女にもらわれた身なのだけど。
正直面倒だったけど、七使徒家にはわたしと同世代の子供、すなわち入学対象である十三歳から十六歳の年齢の子供が、わたしともう一人しかいなかった。
もう一人は、愛と豊穣の天使アスモディオを始祖とするベスティア家のロレンツお兄様。わたしの二つ年上の十五歳だ。
ロレンツお兄様は十七歳になったら枢機卿になることが決まっていて、その勉強が忙しいからよその学校になんて行っている暇はないらしい。だから、行くなら十三歳になったばかりのわたしだろう、と当主会議で話し合われたそうだ。
当主会議で承認が下りたことに駄々をこねるのは余計に面倒だったので、わたしは祖国を離れてクラウニスに留学することになった。
けれどそこで、わたしは三つの大きな壁にぶち当たる。
一つ目は、コルツィオーネ家の長女という肩書が、クラウニス王国……クレイヴル校では、わたしが思うほど役に立たなかったこと。
二つ目は、前世の記憶を取り戻してしまったこと。
そして三つ目は、前世の記憶を持っているのがわたしだけではなかったことだ。
「お前がアウロラ・コルツィオーネだな」
「そうですけど、皆様は?」
入学初日。入学の式典を終えて教室を出ようとしたわたしに、最上級生の一団が声をかけてきた。金髪碧眼の美少年を筆頭に、五人のイケメンがわたしを取り囲む。
一見すると夢のようなシチュエーションだ。ただ、わたしはお兄様や他の七使徒家の方々で目が肥えていたし、なにより彼らの目つきから友好的な態度を感じ取れなかったので、無邪気に胸が弾むことはなかった。
「ふん。お前のような下賤な者に名乗る名など持ち合わせていない」
「下賤って……」
確かにわたしは外国人で、貴族でもなんでもない。でも、七使徒家は聖泉教を崇める国の人間、特に王侯貴族であれば無視できないような家柄だ。
聖泉教のトップである教皇とナンバーツーの枢機卿達には、七使徒家の当主か次期当主でないとなることはできない。
聖泉教は各国に大きな影響力を持っている。政治にすら口を出せるレベルの、国境のない権威。それが聖泉教の上層部、すなわち七使徒家だ。
もちろんこれはわたし個人の権力ではないから、むやみに振りかざすつもりはなかったけど、初対面でのあんまりな言われように、さすがにちょっとイラッとした。
「いいか、アウロラ・コルツィオーネ。この学園は、学生達の自治によって運営されている。この意味がわかるか?」
「何の話でしょう」
「コルツィオーネ家の栄光も、ここには届かないということだ! 我がクレイヴル校生徒会は、お前がコルツィオーネの名を振りかざして狼藉を働くことを許さない!」
金髪のイケメンはわたしに向かってびしっと指を突き付けた。それに合わせて、他の四人もやんややんやとわたしに罵声を浴びせてくる。一体なに?
そういえば、この人達はお揃いの腕章を腕につけている。これが生徒会とやらの証なのだろうか。
「はぁ」
別に悪いことをするつもりなんてないし、わざわざそんな宣言をしなくても……。
……ん? クレイヴル校……生徒会……? それにこの、目の前の金髪碧眼のイケメン……なんだか既視感があるような……?
「あ」
お、思い出した!
この男、『悪役令嬢が溺愛されるのはおかしくないですか!?』に出てくる逆ハーメンバーの一人、クラウニス王国の王太子ミシェロ・ド・クラーウェンだ!!
その瞬間、ぶわりと記憶がよみがえる。わたしのものであってわたしのものではない、奇妙な記憶の数々が。
わたしはアウロラ・コルツィオーネ。でも、わたしは“アウロラ・コルツィオーネ”を知っている。わたしがわたしとして生を受ける前……いわば前世のわたしが、“アウロラ・コルツィオーネ”の登場する漫画を読んだことがあったから。
タイトルは『悪役令嬢が溺愛されるのはおかしくないですか!?』。ヒロインはクラウニス王国の公爵令嬢、クリスティアーナ・ロンメリア。彼女には前世の記憶があり、自分が異なる世界に転生したことを知っている。
銀髪ツリ目で美人だけど性格のキツそうな顔立ちと、王太子の婚約者である名門公爵家の令嬢という身分から、彼女は自分を「いずれヒロインにすべて奪われて何もかも失う悪役令嬢」と定義した。そこで彼女は、いつ没落しても一人で生活できるように前世の記憶を使ってお金を稼いで名声を確立していくも、何故か王太子には溺愛されるし他のイケメン貴公子達にも粉をかけられちゃうしで困っちゃう……というストーリー。
その漫画に出てくる悪役が、アウロラ・コルツィオーネなのだ。
可愛いストロベリーブロンドの髪にきゅるんとした大きな目の、甘いお菓子みたいな可憐な容姿。彼女も前世の記憶を持っている。
スタイル抜群のあざと系美少女として生を受けた彼女は、自分がこの世界の主役だと信じて疑わない。アウロラは、自分より人気者のクリスティアーナに嫉妬して、周囲に対して嘘をついたり媚を振りまいたりして、クリスティアーナを孤立させようとする。
ミシェロをはじめとするクリスティアーナの逆ハーメンバーは、アウロラを警戒して厳しく対応しようとするけど、強力な媚薬を使われてアウロラの言いなりになってしまうのだ。そしてアウロラの目論見通り、クリスティアーナは孤立してしまう。
アウロラは勝利を確信。でも、実はクリスティアーナは、身分を隠して留学しているアルヴァンド帝国の皇太子ファルディナン・アグニスと親しくなっていた。
ミシェロにひっつくアウロラが、意気揚々とクリスティアーナ達の婚約を破棄させた瞬間……ファルディナンが正体を明かし、アウロラの罪を暴く。
そしてクリスティアーナは真ヒーローのファルディナンの求婚を受け入れて帝国に渡り、アウロラは大罪人として裁かれた。ミシェロ達五人のイケメンは媚薬を使われたということでおとがめナシだが、最愛のクリスティアーナを永遠に失って苦しむことになる。
アウロラの末路は確か、コルツィオーネ家から除籍されて、四肢を切断されたうえで炭鉱での奉仕活動だったはず……。
コルツィオーネの人間として、怪我や疲れを癒す力は持ってるけど……メインの刑罰はそれじゃない。ぼかすけど、つまりそういう役目だ。怖っ! わたし、まだ十三歳なのに! いや、年齢だけが問題じゃないけど⋯⋯!
そうだ、アウロラへのざまぁがそんな残酷な描写だったせいで、それまで好きで読んでた漫画が一気に嫌いになったんだよなぁ⋯⋯。
「急に黙って、どうした? 己の愚かさを省みているのか?」
「……ええと。まず何からお話ししたらいいか」
前世の記憶あります! でも、わたしは漫画のアウロラみたいなことをするつもりはありません! なんて言って、王太子達は信じてくれるだろうか?
「ふん。狡猾な手段でコルツィオーネ家にもぐりこんだ女狐め。同じように私達のことまで籠絡できると思ったら大間違いだぞ。どんな詭弁を弄そうとも、私達はお前などに操られはしない!」
「……ああ、わたしが養女であることもご存知なのですね」
「はっ。おおかた、娼婦の娘か何かだろう。その淫乱な体躯を見ればわかる。 母娘で聖職者をたぶらかすとはなんとおぞましい! 末恐ろしい悪女だな!」
失礼な。確かにわたしは同世代に比べると発育がいいけど、そこまで言われる筋合いはない。
わたしのお母様は、正真正銘コルツィオーネ家の人だ。両親が早逝したので、伯父夫婦である先代様に引き取られただけ。
でも、そのあたりの細かい事情はミシェロ達にとってどうでもいいらしい。イケメン達は口々にわたしを罵っている。
漫画では、王太子ミシェロ達がアウロラに注意しに行くのは、ここがなんらかの恋愛系創作物の世界だと思い込んだアウロラが『偶然を装って高貴なイケメンに近づくラッキーハプニング』をしつこく起こそうとしたからだ。
でも、わたしは何もしていない。彼らにわざとぶつかったり、声かけられ待ちで周辺をうろうろしながらわざとらしく「迷っちゃった~」とか言ってない。
クリスティアーナが転生者なのは確定だ。
しかも設定通りの転生者じゃない。彼女の中身はわたしと同じ、あの漫画を知っている人間だろう。
だって漫画だと、アウロラが入学した時点では漫画のクリスティアーナはアウロラのことなんて知らなかった。アウロラが分家筋の養女だということを突き止めるのも、もっと後……皇太子ファルディナンがアウロラのことを調べてくれてからだし。
つまり王太子ミシェロ達は、すでに転生者の入れ知恵を受けている。悪役が動く前に釘を刺してほしいとでも言われたのだろう。アウロラが転生者なら、その意味を理解できると踏んだに違いない。
そっちがその気なら乗ってやる。わたしだって炭鉱送りはごめんだ。
「わたしは、クリスティアーナ様に楯突こうとは思っていませんし、皆様と学友以上に親しくなるつもりもありません」
「なに!? 何故クリスティアーナの名を知っている!? やはりお前は彼女の言っていた通り、私達に近づこうとして私達の周囲を嗅ぎまわっていたんだな!」
逆効果!?
「えっとぉ……」
あー、もう! クリスティアーナは一体どんな風に彼らを焚きつけたんだろう。「敵意がなさそうだったら放っておいていいから」とか言ってくれればいいのに!
「私達の心は、クリスティアーナただ一人に捧げられているんだ! お前のような卑しい女の付け入る隙はない!」
「そうですか! あいにくですが、わたし、他に好きな人がいますので! 皆様の邪魔など絶対にいたしませんから! どうぞクリスティアーナ様とお幸せに!」
周囲にはわたしと同じ一年生達が集まってきていたし、このままだと先生や他の上級生達も来てしまうだろう。今いる目撃者に向かって大声で無実を表明し、わたしはその場から逃げ出した。
ミシェロ達に話は多分通じない。わたしが何を言っても曲解して、わたしにとって都合の悪い事実を捏造するつもりだ。だったら逃げるに限る。
好奇の目を振り切って、なんとか屋敷に帰ってきた。ここはわたしがクレイヴル校に通うにあたって、お兄様がクラウニス王国に買ってくれた別荘だ。
「はぁ……」
漫画のアウロラが五人のイケメンを本格的にロックオンするのは、簡単に言ってしまえばプライドを傷つけられたからだ。
最初はただ、ヒロインとしてイケメンにちやほやされてみたいという夢見がちなお花畑願望からくるものだった。でも、「自分には心に決めた人がいる。迷惑だ」とイケメン全員からはっきりきっぱり拒絶され、しかも全員が全員とも同じ女に夢中になっている。それがアウロラの怒りと闘争心に火をつけた。
漫画のアウロラは、本気で五人のイケメンを落としたかったわけではなかった。
イケメンにちやほやされたかったのは事実だ。でも、そんな自分の姿を見て嫉妬してほしい人がいた。
それがアウロラの本命──アンドレアお兄様だ。
振り向いてくれないお兄様を嫉妬させたくて、五人のイケメンにちょっかいを出した結果、当て馬のつもりだった五人にすら相手にされない。まだ子供とはいえアウロラも女だ。だけどその、女としてのプライドはズタズタにされた。
わたしもそう。漫画のアウロラと同じように、アンドレアお兄様に恋をしている。お兄様とわたしは正確に言うと従兄妹であり、兄妹としては義理に当たる。聖泉教は聖職者の婚姻を認めているし、いとこ婚も許されている。わたしの恋は、決して叶えられないものではない。
唯一の障害といえば年の差だろう。お兄様とわたしは七つも年が離れているから、お兄様はわたしを子供としてしか見てくれない。
結局、漫画のアウロラはお兄様に失望されてしまった。そして最愛のお兄様から勘当を伝えられ、お兄様はクリスティアーナに謝罪をする。見目麗しいお兄様が、クリスティアーナに見惚れてしまうというおまけつきで。
自分のせいでお兄様に膝をつかせたあげくに捨てられて、他の女に心を奪われるところを見せつけられる……もしかしたら炭鉱送りより、そっちのほうがアウロラにとっては大ダメージだったかもしれない。想像しただけで震えてくる。
「これからどうしよう……」
クリスティアーナに対して敵意はないと伝えたいけど、イケメン五人衆のガードは固そうだ。
……ん? イケメン“五人”?
ええと、確かクリスティアーナの逆ハーメンバーは、王太子ミシェロと、騎士団長の息子である双子と、宰相の息子と、大商人の息子のはず……。
そうだ。皇太子ファルディナンはあの中にいなかった。
つまり、つまりだ。
可能性は二つある。
一つは、クリスティアーナが放った突撃部隊の中に加わっていないだけで、人目を忍んでいちゃいちゃしている可能性。
もう一つは、そもそもクリスティアーナがファルディナンと接触していない可能性。
あの漫画を知っているクリスティアーナなら、わざと地味なモブに扮しているファルディナンの変装姿も知っているはずだ。会おうと思えばいつでも会えるだろう。
漫画だと、人けのない中庭でミシェロの(媚薬のせいだけど)心変わりを嘆いていたクリスティアーナに、通りがかりの男子生徒がそっとハンカチを差し出す……というのが二人の最初の出会いだった。
でも、今のクリスティアーナにそれを待つ必要はない。だって、先んじてアウロラを牽制した以上、そもそもの『媚薬を使われたミシェロが心変わりをする』というフェーズを発生させるつもりがないってことだ。
ということは、クリスティアーナの本命はミシェロ?
……それとも、さっきの突撃は牽制じゃなかった? わざとアウロラを刺激してプライドを傷つけて、最短で媚薬を使わせるため……?
「……クリスティアーナは、アウロラをキャラクターとしてしか見ていない……?」
わたしも前世の記憶を持っていると、クリスティアーナもアタリを付けていると思った。
だけど、それはあくまでも、漫画のアウロラを知っているからだ。クリスティアーナはわたしのことを、漫画のアウロラのような『自分が何かの創作物の世界に転生してしまったと思い込んでいる転生者』としてしかみていない……つまり、『悪役令嬢が溺愛されるのはおかしくないですか!?』を知っている転生者だとは思っていないとしたら?
わたしがクリスティアーナの名前を知っていることにミシェロが驚いたのも、クリスティアーナが「アウロラというビッチがラッキーハプニングを起こそうと狙っているから気をつけて」みたいな忠告をされたからなんだろう。前世の記憶があるから……ではなくて、ストーキングしていたからミシェロの婚約者を知っている、と解釈された。まったく不名誉なことだ。
わたしがミシェロ達に付きまとうフェーズを、クリスティアーナが無駄だと思ったなら?
クリスティアーナにとっては退屈でどうでもいい過程は全部飛ばして、さくっとざまぁをするつもりだったら?
初対面のくせにわたしを散々コケにしたイケメン達を、媚薬を使って跪かせる……なるほど、それは確かに楽しそうだ。
漫画でアウロラが使っていた媚薬、実はわたしにも心当たりがある。というのも、クレイヴル校への入学が決まったときに餞別代わりにもらったからだ。
これをくれたのは、同じく七使徒家の一つである、ベスティア家の嫡男のロレンツお兄様。
ベスティア家しか作り方を知らない強力な媚薬『アスモディオの弓矢』は、一過性だけど効果は抜群らしい。
『アンドレアが倫理の壁を越えられないなら、壁をぶち壊す力をアウロラに貸してやる』
『でも、媚薬でアンドレアお兄様を虜にしても、コルツィオーネ家の祝福があればあっという間に治ってしまいますよ?』
七使徒家は、ただの箔付けで大天使の末裔を名乗っているわけではない。本当に大天使の血を引く一族だ。
その証拠に七使徒家の人間は、始祖である大天使にちなんだ、不思議な力を持っている。コルツィオーネ家の場合は、病原菌を不活性化させたり毒を消し去ったりする癒やしの力と、夢を見る力。わたしも少しだけ天使の祝福の力を使えた。
力の代償として、抗いがたい強い眠気に突然襲われることがあるけど、そういうときは夢を見る力を使って乗り切っている。コルツィオーネ家の人間がみんなものぐさなのも、代償のせいらしい。
『すぐには治らないさ。その前に既成事実を作ればいい』
『き、既成事実』
『ははっ、アウロラにはまだ早いか』
いや、まあ、おませなので意味はわかるけど! 口にするのははばかられるのだ。
『まあいい、お守り代わりに持ってろよ。アンドレアは俺にとっても大事な兄貴分だからな、お前達のことは応援したいんだ』
ロレンツお兄様からもらった、愛の天使の秘薬はここにある。結局アンドレアお兄様に使えなくて、かといって家に残していったら見つかってしまうかもしれなくて、仕方ないから持ってきたのだ。
でも⋯⋯わたしがイケメン五人衆の挑発に乗って彼らに媚薬を使うなら、きっと漫画の通りになるだろう。なにより、クリスティアーナの思う壺では?
だけどこのまま手を打たなければ、痺れを切らしたクリスティアーナはもっとひどい嫌がらせをしてくるかもしれない。
⋯⋯使う相手とタイミングは、もう少し見極めたほうがよさそうだ。
*
生徒会に喧嘩を売られたせいで、入学早々わたしの評判は地に落ちた。というか、普通にいじめられた。「クリスティアーナ様があの一年生を嫌っているらしい」という噂のせいだ。
さすがにこのままだとコルツィオーネ家の名誉にもかかわるので、わたしは汚名返上のために(面倒だけど)聖女ムーヴをすることにした。
なんのことはない、コルツィオーネ家が持つ癒やしの力を『女神様への祈りがもたらす奇跡』として振りまき、学生達や教師達の怪我を治して倦怠感を払ってあげたのだ。自分が怪我をさせられても、祝福ですぐに治せる。その姿を見せつければ、みんなとても驚いていた。
それからついでに、夢を見る力でクレイヴル校や学生達のことも調べて様々な秘密を掴み、『女神様のお告げ』と称して占いもどきのこともしてあげた。するとだんだんわたしへの嫌がらせは収まってきて、それどころかわたしを本物の聖女と崇める声が上がってきた。これでもしわたしがミシェロ達に事実無根の罪を被せられても庇ってもらえるだろう。
そして同時進行で、夢を見る力を使ってクリスティアーナの身辺調査を行った。
夢を見る力というのは、簡単に言うと幽体離脱だ。わたしが寝ている間、わたしは意識だけの状態で世界を自由に見て回ることができる。誰にも見つからないし、気づかれることもない。
まるで夢を見るかのように、移動も展開も自由自在。わたしが『欲しい』と思ったものは現実にも影響を及ぼす。たとえばわたしが夢の中で誰かを見ているときに、(タライが急に落ちてきたら面白いな〜)と思うと、わたしの視点では本当にタライが落ちてきて、視えないタライを食らったその誰かさんは謎の頭痛に見舞われる⋯⋯という風に。
クリスティアーナのことを調べた結果、彼女はまっくろくろだった。
人けのない中庭で、皇太子ファルディナンと二人きりで睦み合う姿は、何も知らない人が見ても恋人だと判断するに違いない。
クリスティアーナの本命は、皇太子ファルディナンで間違いないだろう。
おおかた、あの漫画通りに功績を積み上げて皇太子妃になるだけの箔をつけたはいいものの、漫画と同じく逆ハーメンバーまでついてきた。さっさとファルディナンと一緒になりたいから、邪魔な逆ハーメンバーにわたしをぶつけて、わたしへの断罪劇を恋の踏み台にしようとした、といったところだろうか。
じゃあ、クリスティアーナのお望み通り、彼女が結ばれる手助けをしてあげよう。
「ああ⋯⋯。わたくし達の愛には障害が多すぎるわ。許してファルディナン、わたくしの女としての心は貴方を強く求めるのに、最後の理性が邪魔をするの」
「なんという悲劇だろう。私達はこれほど愛し合っているというのに、運命は私達が結ばれることを許してくれない」
そーれっ。
木陰のベンチで抱き合ってキスをする二人の頭に、『愛の大天使の弓矢』を振りかける。
瞬間、二人はばっと顔を見合わせた。
「そうだ! 運命などどうでもいいじゃないか! 自分の道は自分で切り開いてこそだろう!」
「ええ、そうよファルディナン! わたくしはもうためらわない! わたくし達の恋路を阻む大いなる意志とも、貴方と一緒なら立ち向かえるわ!」
二人は手を取り合って、校舎に向かって走り去っていく。お幸せにー。
⋯⋯というところで、わたしは夢から覚めた。
起きて学校に行くと、上から下まで大騒ぎのてんやわんや状態だ。
聞けば、突然クリスティアーナがミシェロに婚約破棄を宣言し、正体を明かしたファルディナンと一緒に学校を出ていったらしい。学校の警備員達が慌てて二人の行方を追っているそうだ。
「どうしましょう聖女様⋯⋯」
「それがあの二人の望みなら、好きにさせてあげたらいかが?」
クリスティアーナは前世持ちの転生者として、漫画のように様々な発明や改革に取り組んでいた。だから人々からの信頼も厚かったらしいけど、突然の乱心は積み上げてきたものを崩してしまうのに十分だったようだ。
「どうしてだクリス! 私の一体何が不満だったというのだ!?」
王太子ミシェロを筆頭に、捨てられた五人衆は大げさなぐらい悲しんでいる。
その姿を見て、ある一人の学生がぽつりと呟いた。
「そういえばミシェロ殿下達は、アウロラ様が入学して早々アウロラ様に暴言を吐いていたよな。⋯⋯もしかしてこの一件は、聖女であるアウロラ様を愚弄したことに怒った女神様の天罰なんじゃないか?」
えっ。
「なるほど! それなら確かに、クリスティアーナ様のご乱心にも説明がつく!」
「女神様、ひいてはアウロラ様の怒りを解けば、クリスティアーナ様も戻ってくるんじゃないか?」
「だが、クリスティアーナ様はあれほど大々的に“わたくしの真実の愛はファルディナン殿下のものです!”とおっしゃったんだぞ? 真実がわかったとはいえ、何事もなかったようにはできないだろう」
「どうやらクリスティアーナ様は、ファルディナン殿下と共にアルヴァンド帝国に渡ったらしいですわ。女神様の思し召しだとしても、準備がよすぎるというか⋯⋯」
「しっ! 女神様の思し召しということにしなければ、王家も剣を収められないだろう。最悪、帝国と戦争になるぞ」
視線がわたしに注がれる。顔を真っ青にしたイケメン五人衆が、すごい勢いでわたしにひれ伏した。
「アウロラ様! 愚かな人間をお許しください!」
「我々が間違っていました! どうか、どうかクリスティアーナをお返しください!」
「わたしに言われても⋯⋯」
確かにわたしは、クリスティアーナとファルディナンに媚薬を使った。
でも、いくら恋心が暴走したとはいえ、駆け落ちを選んだのは二人だ。わたしがそう命じたわけじゃない。
王太子の婚約者が国から消えて、他国の皇位継承者と一緒にいる──その醜聞は、クレイヴル校どころかクラウニス王国の上層部すらも揺るがした。
「女神の怒りを解いて、クリスティアーナを返してくれ」と、イケメン五人衆やクリスティアーナの実家であるロンメリア公爵家の人達が毎日のようにわたしに泣きついてくる。
女神の怒りを理由にして、クリスティアーナは祖国への帰還を拒んでいるらしい。でも、媚薬の効果はとっくに切れているころだ。それでもクリスティアーナが戻らないというなら、それが彼女の選択なのだろう。「今なら女神のせいにして、全部なかったことにできるから」という大人の説得を、彼女は逆手に取ったわけだ。
ひっきりなしにやってくる人達の相手が面倒になり、わたしは屋敷に引きこもることを選んだ。それが一か月間の不登校の真相である。
相手は政治家だ。聖泉教の重鎮の娘であるわたしを侮辱したせいでこんなことになった、と教会の総本山の聖地ルドに知られれば、破門だなんだともっと面倒なことになる。だから内々に済ませてくれるだろうとたかをくくっていたのだけれど⋯⋯。
「なるほど。陰ながら愛し合っていた真の恋人達に、ベスティア家の秘薬を使ったわけか」
「はい⋯⋯。ごめんなさい、お兄様⋯⋯」
わたしとクリスティアーナに前世の記憶があって、ここが漫画の世界であることだけは伏せて、お兄様に告解する。お兄様は秀眉をひそめてため息をついた。
「これは子供のいたずらの域を超えているぞ。祝福の力を乱用したこともそうだし、お前に秘薬を渡したロレンツも懲らしめてやらねばな」
「反省してます⋯⋯」
「いいか、アウロラ。恋とはすべてが美しいものではないんだ。内に秘めておいたほうが、幸せになれるものもある。クリスティアーナ嬢とファルディナン皇子の恋などまさにそれだ」
クリスティアーナは、ファルディナンと結ばれると確信があったからイチャイチャしてたんですよ、とは言えない。漫画の話をしないといけなくなるからだ。
「今回の一件は、教皇聖下に報告しよう」
「えぇ⋯⋯」
教皇のおじさまは、普段は優しいけど怒るととっても怖いのだ。
「大丈夫、私も一緒に怒られてやるから」
お兄様はわたしの頭を優しく撫でた。子供扱いはいつものことだ。いつまで経っても、お兄様はわたしを一人前のレディだとみなしてくれない。
「ファルディナン皇子は、クリスティアーナ嬢との婚約を新しく宣言した。だが、アルヴァンドの皇帝はそれを承認していない」
「そうなんですか?」
「皇帝も、わざわざクラウニス王国と事を構えるつもりはないんだろう」
「じゃあ、クリスティアーナ様はどうなるんです?」
「そうだな。仮にクリスティアーナ嬢の婚約破棄宣言が、ミシェロ王子に対する女神の罰だと教皇聖下が認定するのなら、教皇聖下はクラウニス王国側に説明を求めるだろう。クラウニス王国とロンメリア公爵家は責任を取らなければならない。教皇聖下の許しを得るために、彼らは相応の代償を支払うだろう」
ミシェロ達は公衆の面前でわたしを侮辱して、クリスティアーナはわたしへのいじめを扇動した。つまり、教会のメンツを潰した。それを償う機会を得るということだ。
「⋯⋯認定されなかったら?」
「女神の罰など下されていなかった、ということになる」
言い換えれば、償って許しを得るチャンスをなくしたということでもある。何をどこまですれば教会の怒りを解けるのかわからないから。むしろそのほうが、王国の偉い大人にとっては大打撃なのかもしれない。
「無論、名目が変わるだけでなんらかの制裁は下されるし、お前への謝罪は非公式にでもさせるが」
「散々謝ってもらったのでもういいです⋯⋯」
教会のメンツを守るために大人の事情が働いて、何かしらの圧力がかかるのは仕方ない。それを止める権限なんてわたしにはないし。それはそれとして、ミシェロ達に縋りつかれるのはもうごめんだ。
「公に下される罰がないということは、公にできる罪もなくなるということですよね?」
「ああ。女神が罰を下す理由がないなら、神罰を駆け落ちの建前にはできない。王国は醜聞を消すために、帝国に渡ったのはロンメリア公爵家ともミシェロ王子ともなんの関係もない、ただの女性だということにするだろうな」
⋯⋯うーん。それを主導するのは本当に王国なんだろうか。
なりゆきとはいえ、勝手に女神の名前を持ち出して自分の行動を正当化しようとしたクリスティアーナへの、教会からの制裁の一環なのでは⋯⋯?
結局、お兄様の言った通りのことが起きた。
クリスティアーナとミシェロの婚約は、クリスティアーナが病気になったことを理由にして、穏便に解消されたことになる。
帝国に渡ったのは、ロンメリア公爵家とは何も関係ない女性。後ろ盾どころか身分すらない彼女は、正式な皇太子妃になることはないだろう。でも、二人の愛が本物なら、愛人ぐらいにはなれるのでは?
わたしはアンドレアお兄様、それからロレンツお兄様と一緒に、教皇のおじさまにたっぷり叱られた。
⋯⋯まあ、炭鉱送りになるよりはマシか。アンドレアお兄様からの絶縁宣言だってなかったし。
学校に戻ると、わたしをいじめていた学生やミシェロ達からやっぱり謝罪の嵐を受けた。いちいちあしらうのも面倒だ。聖女ごっこはもうしたくない。反省。
ちなみに、久しぶりに見たミシェロ達イケメン五人衆は、クリスティアーナに捨てられたショックですっかり干からびていた。彼らも偉い大人にこってり絞られたらしい。ざまぁ。
「アンドレアお兄様、アウロラは反省いたしました」
「よしよし。可愛いアウロラも、これでよくわかっただろう? 一番楽だと思って選んだ道が、時には一番面倒なことになるんだ。迷ったらいったん立ち止まって、周りの大人に相談しなさい」
アウロラはまだ子供なのだから、とお兄様は目を細める。⋯⋯わたしはいつになったら大人になれるのだろうか。
「ではお兄様、アウロラの悩みを聞いていただけますか?」
「いいとも。なんでも言ってごらん」
「アウロラは、お兄様をお兄様と呼びたくないのです。⋯⋯子供のアウロラでは、お兄様にはふさわしくないのでしょうか?」
お兄様はきょとんと首をかしげる。でも、わたしの手に、液体がたっぷり入った薄桃色のガラスの小瓶があることに気づき、お兄様はぎょっとしてそれを取り上げようとした。
「待ちなさいアウロラ、それはお前にはまだ早い!」
小瓶自体は『アスモディオの弓矢』とそっくり。でも、中身はただの水だ。
取り合いになって、こぼしてしまえばこっちのもの。媚薬に溺れたふりをして、お兄様を誘惑してやる。だってわたし、卑怯な悪女なんだもの。
「アウロラ、私はお前を大切にしたいんだ! 可愛いアウロラだからこそ、お前を傷つけるような真似はしたくない!」
「え」
「お前はまだ子供だ! せめてあと二年は待たないと!」
十五歳。聖泉教では、十五歳以上が結婚可能な年齢と定めている。そのしきたりに合わせて、十五歳を王侯貴族の正式な社交界デビューの年齢に定めている国も多い。成人年齢は十七歳だ。
「あと二年経ってもお前の心が変わらないなら、その時また改めて話そう!」
「約束ですよ、お兄様!」
猶予は二年。媚薬なんかに頼らなくてもいいように、アンドレアお兄様を振り向かせてみせるんだから!




