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神じゃなく作者のままで異世界を  作者: 糸本基


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2/2

第2話 自分が描いた世界へ

 二〇二三年十月二十一日は、待ち望んだ日だった。

 十月も下旬に入ったというのに、最高気温が二十七度という前日の珍妙な陽気を引きずるような生温い空気の纏わり付く土曜日。

 製本された五十冊の同人誌を受け取ったのは昼下がりだった。

 十四時から十六時という指定時間の中で、十四時七分に届けてくれた宅配のお兄さんに感謝しつつ段ボール箱を開ける。

 印刷されたばかりの本でしか味わえないインクと糊とが醸す薫りが鼻腔を満たす。

 自分が書いた小説を実物として目の前にする。

 待ちに待った初めての体験に反応した、素直な心臓の心拍数が上がる。

 紙に印刷された本。それは俺にとって特別な意味を持っていた。

 紙の本が好きだ。

 実際にページを指でめくるという行為は、スマホやタブレットでは得られない快感を伴っていると思う。


「お? おお、重っ……!」


 一冊を手に取るとA五判で五百四ページとなった本の厚みと、予想よりズシッと手に伝わる重みを感じた。

 文学マーケットという文学作品限定の展示即売会に初めて参加すると決めた時、いきなり長編の分厚い同人誌を出品するのは無謀だと思った。

 それでも初めて製本してもらう同人誌は『ミシェル戦記』にしたかった。

 密かに期待した小説投稿サイトでの完結直後の盛り上がりも無く、数多あるWeb小説の一つとして埋もれてしまった作品を加筆修正した小説だったとしても「自分の空想をありったけ詰め込んだ物語」を本にしたかった。

 表紙込みの五百四ページで五十部。早割を使っても約二十六万円也。

 二十五歳の会社員にとって貴重なボーナスが一瞬で吹き飛ぶ額を見積もりで目にしたときは躊躇もしたが、今まさに自分の手の上にあるずっしりと重い本が与えてくれる満足感には代えられないと満足できた。


「さてさて……」


 大きめに深呼吸した俺が、いよいよ目にする活字への期待を膨らませながら『ミシェル戦記』とオレンジ色の明朝体で記された黒いコート紙の表紙をめくった、その刹那。意識が飛んだ――



 意識を失っていた時間が、どれくらいだったのかは分からない。

 意識が戻った時、俺の眼前にあったのは大きな祭壇だった。


「は……!? 教会……?」


 三鷹市下連雀にある狭いワンルームマンションの自室にいたはずの俺は、天井が高くて荘厳な造りの聖堂としか思えない場所に立っていた。


「んん? 夢……?」


 思わず声を漏らした時、背後から凜と通る女性の声がした。


「創造神様……?」


 その声に振り返った俺と、声の主である女性の目が合う。

 すらりとした長身に純白のローブを纏い、長く艶めく髪は淡い朱色というアニメかゲームのコスプレにしか見えない姿の女性が立っていた。


「創造神であられるユーゴ様でございますね?」


 女性の口調は確認するものだった。

 瑠璃色の瞳がまっすぐに俺を見つめている。


「クロエ・カミナードと申します」


 状況を飲み込めないままの俺は、女性が名乗った名前を聞いて別の驚きを持つことになった。

 クロエ・カミナード。

 その名前は俺が書き上げ、今まさに手に持っている小説『ミシェル戦記』のヒロインの名前だった。


「驚かれておいででしょう。わたしも驚いております。創世神のお告げのままに創造神様が応現なされたのですから」


 俺は言葉を探した。

 何から確認すればいいのか……この場所について? 俺の設定通りに淡い朱色の髪を持つクロエと名乗る女性について?

 クロエを名乗った女性は、俺のことをユーゴと呼んだ。

 俺のペンネーム千代田(ちよだ)悠吾(ゆうご)のこと、なんだろうな?


「あの……どこから確認すればいいのか……ここは、どこですか?」


 動揺しながらも何とか質問を切り出した俺に、クロエはすぐさま答えてくれた。


「ガッリア王国の王都パリーズィにある聖母大聖堂です」


 クロエの口から出た固有名詞は全て『ミシェル戦記』で俺が付けたものと合致している。


「……聖紀元暦は?」


 俺は『ミシェル戦記』で用いたオリジナルの暦で訊いてみた。

 聖紀元暦は地球の西暦とリンクしていて、ほぼ同じ時代背景を持つというのが『ミシェル戦記』の設定だった。


「一七七一年です」

「一七七一年……ですか?」

「はい。魔王エンリルの討伐から十年が経っております」


 ラストシーンから十年が経過した『ミシェル戦記』の世界だと聞いた俺は、


「ミシェルやルドヴィク、ギュスターヴ、ニナたちもいるんですか?」


 と勇者ミシェルとパーティーを組んで戦った主要キャラクターの名前を出してみた。


「現在はそれぞれの土地で、それぞれの役職に就いております」


 瑠璃色の瞳に微かな憂いを覗かせて答えるクロエを見て、この状況を否定しようとする自分がスッと消えてしまった。


「……本当に、俺が書いた小説の世界なんですね」


 あっさりとクロエの言うことを信じて受け入れてしまった俺に、クロエが穏やかな微笑を浮かべみせる。


「はい。創造神様が創られた世界です」


 創造神……作者の俺は創造の神って扱いで、自分が書いた小説の世界に転移した……ってことで、いいのか?

 いや、待て。


「創世神のお告げというのは、どういったものでしたか?」


 俺が向けた質問はクロエにとって想定したものだったらしく、すんなりと答えをもらえた。


「昨夜、創世神はわたしの前に顕現すると、本日の正午、聖母大聖堂に創造神であるユーゴ様が応現なさるとお告げになられました」


 創世神……俺が作中で設定した異世界の神格も、この世界には神として実在する?

 俺が『ミシェル戦記』で設定した創世神は概念としての神格で、人間の前に顕現できるタイプの神じゃない。

 この異世界は『ミシェル戦記』の世界と完全には一致してないってことか?

 俺を創造神なんてポジションに定義したのも、その創世神ってことなら……俺とは別の神性、更に上位の存在ってことになるのか?


「理解が追いつきませんが……あの、ひとつお願いしてもいいでしょうか?」


 語尾が遠慮がちになった俺に対してクロエは、


「なんでしょうか」


 とやわらかい微笑みを返してくれた。

 クロエの反応に背中を押してもらった俺は、思い付きをそのまま口にしてみた。


「その……握手してもらってもいいですか。どうしても目の前にいるクロエさんが、夢の中にいる存在じゃないって実感が持てなくて……」


 語尾が遠慮で弱くなった俺に、朗らかな笑みを向けたクロエは、


「かしこまりました」


 と右手を差し出してくれた。

 クロエの右手をそっと握ってみる。

 思ったよりも細くて柔らかい、ほんのりと温かい手のリアルな質感とダイレクトな感触を否定できない俺は、異常な事態を否定する気も一緒に失せてしまった。

 クロエという存在を肯定することで、事態を受け入れる覚悟すらできてしまった。

 俺は、自分が設定した異世界……いや、創造した世界に転移したらしい。

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