冷めきった紅茶
「そう言えば、最近彼女と一緒に居ませんね」
私の婚約者であるアニェッロは、角砂糖三つ入った紅茶をクルクル回しながら呟いた。それは、庭の花が咲き誇る中で行われた午後のお茶会のことだった。
私はケーキに乗った大きなイチゴをフォークで刺しながら「ああ」と呟く。
「そりゃあ、私は君の婚約者だからね。他の女と一緒に居たら、気分が悪いだろう?」
私がそう言って笑うとアニェッロは微かに眉間に皺を寄せた。イチゴは、甘酸っぱくて美味しかった。
「まぁ最悪ですよ……それに学園内で噂になっていましたよ。『ヴォルピーノ王太子殿下とメラーヴィリア嬢は懇意である』と。」
アニェッロは紅茶を啜りながら、じろりと私を睨む。その視線が居心地悪く、私は肩を竦めた。
「ホント愉快だよね。ほんの少し傍に居るだけで、そんな噂が立つんだから」
私は笑いが堪えきれずにクスクスと笑みをこ零すと、アニェッロは額を抑えた。
「どこがほんの少しですか…ひと月は共に過ごしていたのに。」
「ありゃ、そんなに経っていたの。一週間ぐらいだと思っていたよ」
アニェッロは、耐えきれずため息をついた。お行儀は悪いが、机に肘を着けながらチョコケーキを頬張る彼女の姿は、愛玩動物のようで可愛らしい。私の視線に気が付いたのか、彼女は不愉快そうに眉を顰めた。人当たりの良い顔で微笑みかけると、彼女は腕をさすり「鳥肌立ちました」と呟く。
アニェッロの反応は、代わり映えのしない側近や学園の人々の媚びへつらう態度よりもずっと新鮮で楽しい。まぁ、私には向けない笑顔を他者に向ける姿は面白くないが。
それでも彼女は、初めて会った時からずっと変わりない。私に媚びへつらうどころか、さっさと婚約を解消して欲しいみたいだし。傍に置いといたら勝手に面白いこと(面倒事とも言う)が起こるところも、私の世界に彩りを与える。
特に、見合いのとき「結婚したらさっさと死んでくれ」なんて言い放った時から彼女は他の行儀の良い令嬢よりも好印象だ。
それに私が進んでアニェッロを傍に置きたがると、周りの人も彼女自身も「なぜ?」と首を傾げるからもっと面白い。
ニコニコと笑みを浮かべる私の心情を察したのだろう、呆れたと言わんばかりにため息をついた。私は、やっぱり他の人とは違う反応に肩を揺らしながら笑った。
彼女は咳払いをする。ケーキを食べる私を横目に苦言を呈した。
「殿下は時間にルーズすぎますよ。どうして時間感覚が人外なんですか」
「そんなつもりはなかったんだけどなぁ…」
私が首を傾げると、アニェッロは頭を抱えた。
「婚約者どころか、友人そっちのけで、ひと月もメラーヴィリア嬢を傍に置いたのに?」
アニェッロが目を細めながら私に言う。私は鳩が豆鉄砲を食らったような気持ちになった。
「だって、平民なんて珍しいじゃないか」
〜〜〜〜
アニェッロ視点:
私の婚約者であるヴォルピーノ王太子殿下は、ニコニコと貼り付けた笑顔からきょとんとした顔になる。
顔だけは整っているため、彼の中身を知らない令嬢だけでなく貴公子も老若男女問わず見惚れてしまうだろう。しかし私は、彼の中身が残念なことを知っているため、そんなヘマは起こさない…はずだ。
彼は、なんでもない顔で「だって、平民なんて珍しいじゃないか」と平然と言った。
そりゃあ、珍しいだろう。何せ、下町に降りたことがない生粋の箱入り王子なのだから。
私は胃がキリキリと痛むのを感じながら、誤魔化すように紅茶を飲む。
彼は胃を痛める私に気付かずに続ける。
「ただの平民かと思えば、『聖女の適性がある』なんて噂があったんだよ? だから声をかけたのに…彼女教養ひとつないんだよ」
酷く楽しげに肩を揺らす。
王太子相手にあんなにもベタベタ触っていたら、どんな人でも察せることである。それすら楽しむ彼は本当にどうかと思うが。
「何も知らない平民でも、私に対する態度は弁えているのにね」と、ケーキを食べながら彼は玩具で遊ぶ子供のように笑う。
私は空を見上げた。おそらきれいだな。
ヴォルピーノ王太子殿下にはこういう所がある。相手の部を弁えない態度や脅迫じみた発言、セクハラetc……どれもこれも、「面白いな〜」と言って放置をするのだ。そのせいで、昔から彼に着いている側近は頭を抱え、国王様は胃薬が手放せない。
彼に護衛をつけようにも、当の本人があまりにも自由奔放なせいで護衛に就く人がブラックになる。かと言って、他の人間にヴォルピーノ王太子殿下を任せようにもイマイチ信用出来ない。
そこで抜擢されのが私である。初対面で「結婚したら(豪遊できるほどの金残して)さっさと死んでくれ」と言ったことがアダとなった。もっと媚びへつらう態度であるべきだった。彼に気に入られたのが運の尽き。その前に大分不敬罪なのだが。
あれよあれよという間に婚約させられ、『悪意を持っていたり、色んな意味で危険な人物は随時報告し、できるだけ遠ざける』という、国王自らが誰得かわからない役目を与えた。(押し付けたとも言う)
ぶっちゃけ、見合い時のあの発言は本来不敬罪……死罪に値するのだが、王太子殿下が気に入ったのと、国王や側近が四徹目であったことなどの不幸が重なり婚約することになったのだ。頭がおかしいと思う。
私は、もう既に味がしなくなった紅茶を飲む。
「弁えているというか…あれはただ殿下に見惚れていただけでは」
彼は首を傾げ「おや、そうなのかい?」と何とものほほんとした返しをする。これだから自分の顔の良さを自覚していない男は嫌いなんだ。
私はため息をつく。人よりもズレた彼の相手は酷く疲れるものがある。
少しの間。彼はいつもよりも楽しそうに笑いながらケーキを食べ切っていた。
(相変わらず、マイペースに食事を摂る人だなぁ)
彼はケーキスタンドからマカロンを手に取り、頬を緩めながら味わうように食べている。こんな状況でなければ、私も今頃2、3切れは食べていただろう。何せ、国王直属の料理人が作った普通の貴族ではお目にすらかかれないスイーツなのだ。
1、2、3……小動物のようにマカロンを頬張る姿を見れるのは、私だけの特権なのだろう。そう思うと気分が良かった。
マカロンを食べ終えたタイミングで、私は本題に戻す。
「どうして最近は彼女を傍に置かないの?」
個人的には、そのまま二人がくっつけばいいと思っている。王太子殿下と聖女…良い絵図らだ。それに、彼女の方が断然私よりも顔が良い。頭は弱いが。
彼は悩むように首を傾げたあと、屈託のない顔で言う。
「だって彼女、私に惚れちゃったからさ」
(当たり前だろ)
この男、先程も言ったが顔だけはいいのは。八方美人ーー正にこの男のために作られたような言葉だ。顔が良く、成績優秀で将来有望。愛想も良い。欠点のない完璧美人に惚れない人間はいないだろう。
私は彼に惚れた哀れなメラーヴィリア嬢に心の中で合掌を送った。南無三。彼に惚れた方が負けなのだ。
「あ、そういえば。」
彼は思い出したような声色で私を見た。
「その……メラー…? メ、…フーリッシュ嬢」
「メラーヴィリア嬢」
「そう、ソレ」
私は何とも言えない気持ちになりながら、続きを促す。
「彼女が、『アニェッロ様に虐められたんです!』なんて言ってたよ」
私は頭を抱えた。彼はやっぱり私の様子に気づくことなく、他人事のように続けた。
「君の悪い噂を流して私の婚約者になろうって魂胆かな〜」
彼は楽しげに肩を揺らしながら、この先起こるであろう面倒事に目を輝かせていた。
ああ、今日も胃が叫び声を上げている。ごめんね、胃。私にはこの諸悪の根源はどうにもできないのだ。
あれから数週間が経った。噂はすっかり学園全体に広まったが…誰も噂を真に受ける者は居なかった。
逆に生徒の大半が面白がって、噂に尾びれだけでなく、背びれ胸びれ腹びれ臀びれまで付け始めたのだ。
曰く、アニェッロ公爵令嬢は口から火を吹きメラーヴィリア嬢のドレスを灰にした。
曰く、アニェッロ公爵令嬢は烈火のごとく怒り、メラーヴィリア嬢諸共国を滅ぼした。
曰く、アニェッロ公爵令嬢はメラーヴィリア嬢の恋路を邪魔しているらしい。
曰く曰く…。このように一部人間とは到底思えないものがあるが、所詮噂はそんな程度である。暇を持て余した貴族たちのお遊びなのだ。
もしこの噂が私関係でなければ、私も意気揚々と噂を面白可笑しく広めていただろう。
ちなみに、「不敬罪ではないのか?」という疑問があるかもしれないが、この学園では皆地位関係なしに扱われる。他の学園ではありえないことだが、この学園は特例なのだ。
流石に暴力はないが、容赦のない言葉が一部の甘っチョロな親元で育ったお花畑に刺さる刺さる。面白いぐらいに刺さるので、先代国王が腹を抱えて笑いながら「いいね! この方針で行こう!」とヒーヒー言いながら許可した唯一の学園なのだ。先代国王もそういう奴である。先代王妃様は何時もとても疲れた様子だった。
しかもこの先代、何が悪質かと言うと、ちゃんとした場面では生真面目なのだ。他国からの評価は高い。なにせ、自前の頭のキレ良さと不測の事態に瞬時に対応できる適応能力がずば抜けて高いのだ。この先代ありにしてこの男あり。基本はハイスペックでなのだ。
先代の他国に対して生真面目であることの反動がこの学園のシステムなのだろう。一人の国民としての意見で言えば、別のところに反動が行って欲しい。食欲とか。
私は、学園の端の方にある大図書館で人知れずため息をついていた。
胃がキリキリする。原因は婚約者である彼もあるが、最近面白可笑しく改変されている噂も追加された。
(どうしてこうも誰も彼もが冗談が好きなのか…)
図書館の中心付近にある椅子に腰かけながら本を開く。この学園唯一の安らぎ気の時間である。何せ、休憩時間のみならず授業中や放課後には噂好きの友人やクラスメイト、はたまた先輩や先生に囲まれ、噂の詳細を尋ねてくるのだ。これがまぁうざい。捌いても捌いても減らない。最近は面倒くさくなって「うん、そうだよ」としか言わなくなった。肯定botの完成である。
本を読み始めてから数十分。私は本に夢中になっていた為、背後から迫る影に気が付かなかった。
ーー不意に、背後から肩を叩かれびくっと体が跳ねた。
後ろからはクスクスとバカにしたような笑い声が聞こえ、恐る恐る振り返る。
「やぁ、こんな所で何をしているんだい?」
「それはこっちのセリフですよ…王太子殿下」
私が睨みながらそう言うと「おぉ、怖い怖い」と両手を挙げながら肩を竦めた。
「前のお茶会の時も言ったけど、二人きりの時は名前呼びがいいな。アニェッロ公爵令嬢?」
彼は人当たりの良い笑みを浮かべながら私に言う。私は遠慮なく呼び捨てで呼んでやろうとしてーー口を噤んだ。
「…名前、なんでしたっけ」
静かな図書館に男の笑い声が響いた。
「パウラだよ。パウラ。ピエターちゃん」
「ああ、そんな名前でしたね。虫唾が走るので名前で呼ばないでください」
「酷いな〜」
彼はケラケラと王族らしからぬ大口を開けて笑った。私が「ヴォルピーノ王太子殿下」と咎めると、一気に表情が抜け落ちる。真顔で私を見下ろす姿は、居心地が悪い。私は蚊の鳴くような声で彼の名を呼ぶ。
「パウラ」
途端にぱっと人懐っこい犬のような顔になり、「なぁに」と甘ったるい声色で首を傾げた。
「…噂、どうするんですか」
「ああ、『ピエターが火を吹いた』だの『国を滅ぼした』とかいうトンチンカンな噂?」
彼は「面白いことになったよね〜」と口元を隠しながらクスクスと笑う。頭が痛くなってきた。
「…メラーヴィリア嬢の様子は?」
「ん〜アレねぇ…最近、般若が取り憑いたよ」
頭の上で人差し指を立て、「鬼が出たよ」なんて笑う彼にほとほと呆れる。鬼になった女ほど、恐ろしい者はない。
「祓ってやりなさい」
「やだよ。私の目にはピエターしかいないのに……」
その言葉に、体が石のように固まる。彼はすぐ、こちらが勘違いするような言葉を吐く。そんなところが、嫌いで仕方がない。
「…私は別に、貴方が居なくても生きていけますよ」
精一杯の強がり。結局、私は彼に情が湧き、恋心が芽生えたのだ。この事がバレてしまえば、きっと彼は私に興味を無くす。現に、メラーヴィリア嬢がいい例だ。あのまま惚れていなかったら、卒業まで傍に置いていただろう。
彼は「ふぅん」と酷くつまらなさそうに呟く。
私は、その目から逃げるように本に視線を落とした。
〜〜〜〜
ヴォルピーノ視点:
彼女の強がるような言葉はあまり面白くない。
(素直になればいいのに)
私に興味を無くした彼女は、本に意識を向けていた。その瞳に映るのが、己ではなく文字の羅列なのが気に入らない。
私なしで生きていけると言う君なんて、居なくなってしまえばいい。
メラーヴィリア嬢を傍に置いたら、流石のピエターも嫉妬してくれる(別の顔を見せてくれる)と思ったのに。なんともないじゃないか、側近の嘘つき。実家に帰ったら減給してやろう。
私は、彼女の前の椅子に座る。机を挟んだ前に居るアニェッロを見つめた。
(ああ、つまらない)
机に肘を着き、私は心の中で呟く。
メラーヴィリア嬢の件で愛想つかされて婚約破棄になっても可笑しくはなかった、と思う。しかし、残念なことに彼女はもう私の身内によって外堀が埋められている。我ながら最低だとは思うが……ご愛嬌である。私たちはそういう一族なのだ。
学園の生徒たちが良い例だ。なぜ、私が他の女性を傍に置いて『懇意にある』と言っても『アニェッロ公爵令嬢と婚約破棄をし、メラーヴィリア嬢と婚姻を結ぶ』とは言われなかったのか。
そもそも、国王自ら彼女に役目を与えたのか。正直な話、護衛を学園内に生徒として紛れさせた方が早いのだ。幾ら平等な関係だからといって、王太子相手に悪意を持ったり、発情する人間が罰せられないはずがない。おじい様はそういうところでは歴代国王の中でも大分シビアに見ている。
では、なぜ彼女に頼んだのか?
故意に思う人は、他の者に取られないように傍に置くものだろう。誰のモノであるか、しっかりと周りに教えなければ、不届き者が必ず現れる。それらを制すのにも使えるし、私自身が傍に置きたかった。
だって、初めだったんだ。あんなに真っ直ぐな目で私を見た令嬢は。
発言は不敬罪で裁かれるようなものでも、取り繕うことなくハッキリと言い切ったその姿と言ったら!
こんな面白い女性をみすみす逃す男はいないだろう?
そこからは早かった。寝不足で判断力が劣っている父上や側近を言いくるめて、彼女を私の婚約者にした。
大事に囲えば囲うほど、彼女は一層美しく気高くなる。美しいものには、毒があるから惹かれるのだ。
どんな姿も愛玩動物のようで可愛らしい。私を睨む姿は、威嚇する懐かない猫のようで可愛らしい。
はじめて、心の底から手元に置いておきたいと思ったのだ。私を嫌ってくれてもいいし、早く死んでくれと願ってくれて構わない。
ただ私が死んだ後、他の誰かと添い遂げようなどと愚かなことは考えないで欲しい。
アニェッロ……いいや、もうすぐヴォルピーノになるのか。
ピエターには、いつまでも健やかで幸せになって欲しい。それは、今でも思う。
それでも、私が死んだ後は孤独で寝ていてほしい。
私以外と添い遂げずにひとり寂しく死んでくれ。
それだけが、私の願いなのである。
〜〜〜〜
とある午後のお茶会にて。
ピエター・アニェッロ公爵令嬢は、角砂糖三つを紅茶に入れ、クルクル回していた。
アニェッロ公爵令嬢は、ため息混じりに目の前に座る男に尋ねた。
「……最近、メラーヴィリア嬢の姿が学園で見えないのだけれど…どうしたのかしら?」
男ーーパウラ・ヴォルピーノ王太子殿下は、ニコニコと人当たりの良い笑顔を浮かべながら、「さぁ、知らないな」と返す。
ケーキの上に乗った真っ赤なイチゴにフォークを突き刺し、男は嗤った。
「まぁ、鬼は居なくなったんだからいいでしょ」
そんな王太子殿下の言葉にアニェッロ公爵令嬢は眉を顰めた。
「誰のせいだと思っているんですか」
「ん〜魅力的すぎる私のせい?」
「十回ぐらい死んで欲しい。」
楽しげに肩を揺らして、無邪気に男は笑う。
何も知らない女は、冷めきった紅茶をひと口飲むと、ため息を落とした。
二人のお茶会は、月が昇るまで続く。
男はそこまで好きではない甘ったるいケーキを一口食べる。そして不愉快そうに眉を顰め、男の方を見ながら紅茶を啜る女を見てまた楽しそうに笑った。