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最終話 たったひとつの答えに、たどり着いた日


 年が明けた。

 瑞葉と並んで歩く初詣の帰り道。

 夕空は、冬にしてはやけにやわらかい色をしていた。


 瑞葉は、俺の隣で変わらず微笑んでくれていた。

 まるで、俺の揺れた気持ちすら、すべて包み込むように。


 ふとした沈黙の合間。

 瑞葉が、ぽつりと口を開く。


「今日、ちょっと元気ないですね……」


 振り返ったその顔には、問い詰めるような色はなかった。

 ただ、俺の心の奥をそっと撫でるような、静かなやさしさがあった。


「……え? そんなことないって」


 思わず、取り繕うように言葉を返す。

 でも、そんな薄っぺらい強がりは、瑞葉にはすぐに見透かされると分かっていた。


 彼女は何も言わず、小さく笑って、歩幅を俺に合わせてくれた。

 それだけで、少しだけ息がしやすくなる。


 ……俺は今、ちゃんと“隣”にいる。

 それでも――数日前の会話が、まだ胸に少し残っていた


 少し歩いた先の公園で、俺たちは足を止めた。

 ベンチの上には、冬の乾いた風に落ち葉が舞っている。


「ちょっとだけ、座っていきませんか?」


 瑞葉がそう言って、俺を振り返った。

 その声に逆らえず、隣に腰を下ろす。


 ポケットに手を入れようとしたとき、瑞葉が温かい缶ココアを差し出してくれた。


「はい。疲れてるときは、甘いやつです」


 ふと笑って、それを受け取る。

 指先が、ほんの少しだけ触れた。

 それだけで、胸がちくりと痛んだ。


 飲み口から立ち上る、甘くて懐かしい匂い。

 遠い夏の日の、祭りの夜の残り香のような。


「……お姉ちゃんと、話したんですよね」


 その一言に、手が止まった。


「……なんで分かるんだ」


 苦笑まじりに問い返すと、瑞葉は小さく笑った。


「直人さん、嘘つくとき……口元、ちょっと曲がるんです」


「うそだろ……そんなのあったか?」


「ふふ、冗談です」


 そう言いながらも、その笑顔は少し寂しげで、優しかった。

 本当は、何も聞かなくても分かってたんだろう。

 俺の気持ちの揺れを、空気で、気配で、ずっと感じていた。


「別に、責めてるわけじゃないです。……ただ、ちょっとだけ、ずるいなって思いました」


「……ずるい?」


「私には……そんな顔、見せてくれなかったから」


 その声に、責める色はなかった。

 だからこそ、余計に胸に突き刺さる。


 ……ずるいのは、俺だ。


 瑞葉の手を握っているくせに、心のどこかで楓の涙が離れなかった。


「……少しだけ、数日前の楓の顔が、まだ離れなくて……」


「いいんですよ」


 瑞葉は、やさしく首を横に振った。


「私も……お姉ちゃんのこと、大好きですから。

 だから、直人さんの気持ちが全部、私に向いてないってことも、ちゃんと分かってます」


 瑞葉はそう言うと――


「でも――手は……握っててくれるでしょ?」


 そう言って、そっと自分の手を俺の手の上に重ねた。

 小さなその手は、やさしくて、まっすぐで。

 まるで過去も弱さも、全部まるごと抱きしめてくれるようだった。


「だったら、私はそれでいいんです。……今は、ですけど」


 ぬるくなった缶ココアを見つめながら、瑞葉が微笑んだ。

 その微笑みが、どこまでも静かで、まぶしかった。


 しばらく、沈黙が流れた。


 俺は少し俯いてから、口を開く。


「……ごめん。ちゃんと整理できてると思ったのに、まだ……引っかかってて」


 瑞葉は、一瞬だけ目を伏せた。

 けれど次の瞬間、ふっと息をつくように微笑んだ。


「……うん。そういうの、無理に整理しようとしなくていいんです」


「……いいのか、そんなことで」


「もちろん。そういう“時間”も、必要ですから」


 彼女の声は、あたたかくて、まっすぐだった。

 それだけで、ふわっと心が軽くなる気がした。


「でも、それでも……私はずるい妹なんですよね」


 言いながら、彼女は目元に涙を浮かべた。

 それでも笑っていた。


「だって、私、ずっと直人さんが好きだったんですもん」


 その言葉に、胸が熱くなった。


「……瑞葉」


「だから……ずっと、今日みたいな日が来たらいいなって、願ってました。

 苦しいくらい、ずっと……」


 言い終えると同時に、ぽろりと、涙がこぼれた。


 そのまま、瑞葉はそっと俺の肩に顔を寄せた。

 頬が触れ合うほど近い距離で、彼女は震えながら、小さく笑った。


「……私、ちゃんと報われたって、思っていいですか?」


「……ああ。もちろんだよ」


 俺がそう答えた瞬間――

 瑞葉は堰を切ったように、勢いよく俺の胸に飛び込んできた。


「……ありがとう、直人さん……ありがとう……っ」


 俺の胸元に顔をうずめたまま、こらえていた涙があふれ出す。

 震える両腕が、俺の背にぎゅっと回された。


 俺は驚きながらも、その細い体をやさしく受け止める。

 彼女の体温が、まっすぐに胸の奥まで届いてきた。


(……ああ、ようやく……届いたんだな)


 こぼれた涙の温かさが、俺のシャツをじんわりと濡らしていく。

 でもそれすら、どこか誇らしく思えた。


「直人さん。……私、好きになってよかった」


 彼女の声は震えていたけれど、そこには確かに、あたたかな幸福があった。



 日はすっかり落ちていた。

 街灯の下、俺たちは並んで歩く。


 人通りも少なく、夜風が頬を掠める。

 だけど、寒くはなかった。


 瑞葉が、そっと袖を引く。


「……直人さん。今日は、手……つないでもいいですか?」


「……ああ。もちろん」


 俺が手を差し出すと、瑞葉は嬉しそうに笑って、指を絡めてきた。

 その手は少し冷たくて、でも、確かにそこにあった。


「……私、ちゃんと支えになれてますか?」


「うん。瑞葉がいてくれるだけで、前に進める気がするよ」


 その言葉に、瑞葉は目を細めて、少しだけ顔を伏せた。


「……よかった」


 その呟きが、夜空に溶けていった。


 ――あの夜の涙は、たぶん忘れることはない。

 でも、今はもう、前だけを見ていたい。


 今、俺はここにいる。

 この手を握る、瑞葉の隣にいる。


 もう迷わない。


 俺は、瑞葉を選んだんだ。

 そしてその選択を、誇りに思っている。


 ずっと好きだった人に、振り向いてもらえなかった。

 でも、ずっと好きでいてくれた人に、俺は――救われたんだ。


 過去の想いじゃ、前には進めなかった。

 俺の手を引いてくれたのは、瑞葉だった。


 だから、俺は――

 もう二度と、彼女の手を離さない。


 それが、俺の出した――

 たったひとつの答えだった。


「瑞葉……ありがとう。

 俺は、瑞葉と出会えて、ほんとうによかった」


 並んで歩く彼女の横顔が、今夜はやけに眩しかった。


「こちらこそ、ですよ…

 ……これからも、ずっと隣にいますからね…!」


 瑞葉の声が、まるで未来を照らす光のように、まっすぐ胸に響いた。



  終




最後まで読んでいただき、本当にありがとうございました。


この物語が、少しでも心に残ってくれたなら――それ以上の幸せはありません。


もしよければ、ブクマや評価で応援していただけると、とても励みになります。


そして、フォローもしていただけたら、次回作の時にまたお会いできるかもしれません。


またいつか、別の物語でお会いできる日を願って。

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