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第7話 私じゃダメですか?――その答えの夜

 帰り道、駅前の喧騒を抜けて、人気のない大きな公園へと足を踏み入れる。

 冬の空気は澄んでいて、木々の隙間から星がちらほらと瞬いていた。


 街灯の灯りが、ふたりの影を長く落とす。

 その影が、やがてひとつに寄り添うように重なっていくのを、俺は意識しながら歩いていた。


 黙って並んで歩くだけで、不思議と心が落ち着く。


 何を話すでもない沈黙が、こんなにも優しく感じられるのは、隣にいるのが瑞葉だからだ――

 そんな確信めいた想いが、じんわりと胸の奥に広がっていく。


 ふと、さっきまでいたレストランの情景がよみがえった。

 テーブルに置かれたグラスに注がれたのは、鮮やかな赤紫のぶどうジュース。


 『こういうの、ちょっと“大人”って感じですね』


 そんな言葉を照れたように笑って言う瑞葉が、妙に新鮮で、どきりとした。


 ほんの少しだけ指先を震わせながら、グラスを持ち上げる彼女の仕草。


 それが緊張からなのか、嬉しさからなのかはわからなかったけれど――

 いつもの“幼馴染の妹”とは、どこか違って見えた。


「……さっき、ぶどうジュースのグラスで乾杯した時も思ったんです」


「ん?」


「直人さんとこうやって一緒にいると、なんだか……“おとな”になった気がするなって」


 恥ずかしそうに言いながらも、その言葉の中には、少しだけ背伸びをした感情が滲んでいた。

 俺はそれが愛おしくて、自然と笑みがこぼれた。


「じゃあ俺も、おとなになった気がするよ」


 そう返すと、瑞葉は目を細めて微笑んだ。


 その笑顔が、青い光のなかで揺れて――

 “幼馴染の妹”だった少女が、確かに“恋の相手”へと変わったことを実感する。




 ふと立ち止まって、瑞葉の方を向く。

 彼女も驚いたように足を止め、こちらを見つめ返してきた。


 街灯の下、コートの裾がわずかに揺れる。

 その奥に隠されたワンピースの白が、淡く、やわらかに光を受けていた。


「……瑞葉」


 俺の声に、瑞葉は小さく瞬きをする。


「今日、ずっと思ってたんだ」


 ゆっくりと、言葉を紡ぐ。


「気づけば、もう楓のことばかり考えていた頃の自分じゃなくなってた。

 瑞葉といる時間が増えて、瑞葉のことばっかり、目で追ってて……

 ……気づいたら、好きになってた」


 その瞬間――瑞葉の瞳が、はっきりと見開かれた。

 まるで、心の奥底にそっとしまっていた願いを、突然呼び起こされたかのように。


「……え……?」


 小さく震える声が、夜の静寂に溶ける。

 頬が紅潮し、瞳が潤み――しばらくのあいだ、言葉を見つけられずにいた。


 それから、ほんの少しだけ唇を噛んで、うつむきかけた顔をふわりと上げる。

 こらえきれない微笑みが、彼女の頬をそっとほころばせた。


「……ふふっ……うそ、みたいです」


 笑みの奥に、ずっと抑えていた感情がにじんでいた。


 戸惑いと喜びが入り混じったようなその瞳は、まるで夢を見ているかのように揺れている。

 ほんの少し、頬を赤らめながら、彼女はそっと目を伏せた。


「私……今日、もう一度告白するつもりだったんですよ。

 “やっぱり諦めたくない”って。……でも、まさか、先に言われちゃうなんて――」


 言いながら、目尻に小さく涙がにじむ。

 それはきっと、驚きと、喜びと、長く胸に秘めていた想いが、報われた証。


「……嬉しいです。ほんとうに」


 その微笑みは、少しだけ涙ぐんでいて――けれど、世界でいちばん幸せそうだった。

 冬の夜風がそっと吹き抜けても、隣にあるこの温もりだけは、確かだった。


「じゃあ……返事は?」


 問いかける俺に、瑞葉は静かに、けれどまっすぐな声で答えた。


「――もちろん、いいですよ」


 瑞葉がそう言ったあと、ふと、わずかに視線を落とした。

 頬にかかった髪が揺れ、声が少しだけ揺れる。


「……でも、なんだか……」


 言葉を探すように、唇がかすかに動いた。


「何故か分からないんですけど……お姉ちゃんに、ちょっとだけ、悪い気がしちゃうんです」


 小さく笑ったその顔は、どこか自嘲気味で――でも、優しさに満ちていた。


「ずるいですよね、私……」


 俺は何も言わず、ただ彼女の言葉を待った。


「だけど、それでも――私は、直人さんのことが好きです」


 その言葉は、思わず息をのむほど真っ直ぐで、胸に響いた。


 瑞葉自身が、自分の想いに驚いているようにも見えて――

 それがまた、いじらしくて、切なくて、何より嬉しかった。


「ずっと、好きで……今日、その気持ちがもっと、大きくなってしまいました」


 顔を上げた瑞葉の瞳は、まっすぐだった。

 揺れて、それでも、決して逸らすことのない強さを宿していた。


 「だから……これからは、自分の気持ちに正直になっても、いいですか?」


 俺は何も言わず、ただ静かに、頷いた。

 その瞬間、瑞葉の頬に、ほんのりと赤が差し――そっと、微笑んだ。


 その言葉が、夜の空気に溶けていく。



 瑞葉の瞳がわずかに揺れる。

 その揺らぎは、不安でも迷いでもなく――あたたかくて、優しい光だった。


 しんと静まり返った夜の公園。

 イルミネーションの残り光が、木々の隙間から差し込んで、彼女の頬をやさしく照らす。


 俺は、そっと手を伸ばした。

 迷いのない手だった。ゆっくりと、けれど確かに、瑞葉の肩を抱き寄せる。


 彼女は驚いたように一瞬身をすくめて、それから――

 自分から、胸に顔をうずめてきた。



「……あったかいです」


 小さくこぼれた声が、胸にじんわりと染みていく。

 肩にかかる髪がふわりと揺れて、かすかにシャンプーの匂いがした。


 すぐそばで、瑞葉の鼓動が静かに響いている。

 こうして抱き合っているだけで、心の奥にあったざらつきが、不思議と消えていく気がした。


 俺の胸の中で、瑞葉の肩が震える。


「……夢みたいで、信じられないくらい嬉しくて……

 ずっと、こうなれたらって、願ってたんです。

 あの日、“私じゃダメですか?”って言ったこと……ずっと、心の中で繰り返してたんです」


 彼女は目を潤ませながら、ぎゅっと俺の服を握りしめていた。


 その声は、震えていて、でも確かに“本音”だった。

 心の奥に長く押し込めていた願いが、ようやく言葉になったんだ――そんな気がした。


 そのまま、しばらく何も言わずに、抱き合った。

 瑞葉の腕が、俺の背中にまわされる。

 不器用で、少しぎこちない抱擁。


 でも、それはまさしく、今この瞬間を求め合ったふたりだけの答えだった。


「これからは……ちゃんと、隣にいてくださいね」


「もちろんだ…」


 耳元で囁かれたその声が、なぜか涙が出そうなほど、嬉しかった。


 ――もう、戻れなくてもいい。

 この手の中にある温もりを、守りたいと思った。


 そっと顔を離すと、瑞葉が笑っていた。

 その笑みが、ただの“好き”を超えて、信頼とか、安心とか――

 もっと深い何かに満ちているように思えた。


 冬の夜風が頬を撫でる中、俺たちはそっと、歩幅を重ねて歩き出した。

 まるで、これから始まる未来を確かめるように。








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