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第6話 照れ隠しでも、私を見てくれてうれしかった

 駅前のロータリーには、無数のイルミネーションが灯っていた。

 淡い光が街を包み、吐いた息さえもやさしく照らし出すようだった。


「――直人さん」


 名前を呼ばれて振り向くと、人混みの向こうに瑞葉が立っていた。


 いつもの制服姿ではなく、柔らかな白のニットに、グレージュのロングコート。

 落ち着いた色味のロングスカートに、淡いベージュのマフラー。


 いつもの清楚な印象はそのままに、どこか“大人びた雰囲気”を纏っていた。


「……ごめんなさい。待ちましたか?」


「いや、俺も今来たところ」


 そう返しながらも、視線がどうしても瑞葉の姿から離せなかった。

 

 見慣れたはずの彼女が、まるで別人のように見えて――いや、違う。

 “新しい一面”を見たような気がして、自然と言葉がこぼれていた。


「……その服、すごく似合ってる」


 瑞葉は一瞬だけ目を見開いて、そしてほんのりと頬を染めた。


「……っ、み、見すぎ、です。そういうの、ズルいですから……」


 コートの袖をぎゅっと握りしめ、視線をそらす。

 その仕草がどこまでも瑞葉らしくて、俺は思わず笑ってしまった。


「ほら、行こうか。寒いし」


 差し出した手に、瑞葉は迷いながらもそっと手を重ねた。


 手袋越しの感触。

 柔らかくて、でもどこかくすぐったい。


 それでもしばらく歩くうちに――


「……あの」


 瑞葉が立ち止まり、そっと手袋を外す。

 戸惑いながらも、もう片方の手も。


 そして、素手のまま、俺の手を取り直した。


「……こっちのほうが、ちゃんと繋いでる気がして」


 その言葉に、胸の奥がふっと熱くなる。


 手のひらのぬくもりが、さっきよりもずっと近くて。

 指先から、心まで伝わる気がして。


「……うん、そうだな」


 俺も手袋を外し、指を絡めるように握り返す。

 握ったその温もりは、真冬の空気を忘れさせるほどだった。


 瑞葉が、そっと微笑んだ。


 街の灯りが、ふたりをやさしく包み込んでいた。



 ーーー



 そのまま、水族館へと足を運んだ。


 外の冷たい風とは裏腹に、館内はほんのりとした暖かさと、静けさに包まれている。

 照明は落とされ、天井には青い光が揺れていた。

 まるで、水の底を歩いているような、静かで神秘的な空間だった。


 「……なんだか、不思議ですね」


 「うん。時間の流れが、ゆっくりになる感じがする」


 隣に立つ瑞葉が、少しだけ近づいてくる。

 その気配に、ふと鼓動が早くなる。


 大きな水槽の前。

 深い海を模した水中には、優雅にクラゲが漂っていた。


「……綺麗……」


 瑞葉の声が、思わず漏れる。

 青白い光に照らされた横顔は、まるでそのクラゲよりも幻想的で――

 俺は、言葉を忘れて見入ってしまった。


「……なんだか、今日はずっと、見られてる気がします……」


 気づいた瑞葉が頬を染めて、小さくうつむいた。


「でも……うれしい、です」


 ぽつりとこぼれたその声が、心の奥に優しく染み込んでいく。


 ――そして、ふいに。


「えいっ」


 突然、瑞葉が俺の腕にそっと手を回してきた。

 びっくりして振り向くと、彼女はちょっとだけ唇を尖らせていた。


「……人が多いので、はぐれ防止です」


「いや、そんなこと言って。絶対違うでしょ」


 そう返すと、瑞葉はさらに赤くなって、顔を背ける。


「……からかわないでください」


 その声は、照れ隠しのようで、だけど――ほんの少し、甘えるようでもあった。


 やがて足を止めたペンギンのエリア。

 ちょこちょこと歩く姿に、瑞葉が嬉しそうに目を細める。


「可愛いですね……」


「うん、なんか瑞葉っぽいかも」


「……えっ?」


 言ってしまってから、俺も気恥ずかしくなって、目を逸らす。

 だけど、瑞葉はくすりと笑って、俺の袖をそっとつまんだ。


「じゃあ……直人さんは、アシカですね」


「アシカ?」


「しっかりしてそうに見えて、ちょっと抜けてるところとか。……可愛いって意味ですよ」


 そう言って、悪戯っぽく笑う。

 心の距離が、また一歩近づいた気がした。


 その後も、水槽の前で立ち止まっては話し、ゆっくりと歩く。

 けれど、ふと顔を向けた瞬間――瑞葉の顔が、思ったより近かった。


 お互い、はっとして目を見開いたまま、しばし沈黙。

 やがて彼女が、気まずそうに目を逸らす。


 館内を出たころには、すっかり夜の帳が下りていた。

 吐く息が白く染まり、空気がひんやりと肌を刺す。


「寒くない?」


「……むしろ、心が温かくなってきた気がします」


 その言葉が、胸の奥で優しく反響した。


 思わず手を握り直すと、瑞葉はびくりと少しだけ肩を震わせて――

 それでも、そっと握り返してくれた。



 駅近くの小さなレストラン。

 店内は温かな灯りと控えめな音楽に包まれていて、外の冷たい空気とは別世界のようだった。


 席につくと、瑞葉は少しだけ緊張した面持ちでメニューを開く。

 けれど、ふと俺と視線が合うと、すぐに小さな笑みがこぼれる。


「……あまり、こういう場所、慣れてなくて」


「俺も。だから、ちょっとだけ特別感あっていいなって思ってる」


 ワイングラスに注がれたぶどうジュース。

 乾杯の音が静かに響いて、グラス越しに瑞葉が目を細める。


「なんだか、大人になった気分ですね」


「……うん。少しだけ」


 料理が運ばれてくるまでのあいだ、会話は自然と昔話に流れていった。


「……覚えてますか? 中学の頃、直人さんが朝、図書室に通ってたこと」


「ああ、そういえばそんな事してたな…」


 本を買うにも金はかかる。

 図書室はよく利用してたっけ。


「毎週、本を借りて……最初は恋愛小説とか、難しそうな本もたくさん」


 瑞葉は、懐かしむように笑った。


「でも、小説とかは、たぶん……お姉ちゃんの好みに合わせてたんですよね」


「―――」


 心臓が一瞬、強く跳ねた。


「無理してるって思ったこともありました。

 でも……少しずつ、話し方も、表情も、着てる服も変わっていって――

 誰かのために、そこまで努力できる人がいるんだって。すごく、衝撃だったんです」


 瑞葉は、グラスの水を揺らしながら視線を落とす。


「気づいたら、目で追ってました。……どこにいるのかなって」


「……瑞葉」


「たぶん、あの頃です。

 お姉ちゃんの隣にいる直人さんを見て、“いいな“って、思ってしまったのは」


 そして、少しだけ恥ずかしそうに笑う。


「私はずっと、“隣にいること”しかできなかったけど――

 それでも、そんな直人さんを、好きにならずにはいられなかったんです」


 不意に訪れた静寂。


 俺は言葉を失って、グラスの縁を指でなぞった。

 ――本当に、大切なことは、静かに届くものなんだなって思った。


 食事が終わる頃には、気づけば自然と笑顔が増えていた。

 緊張も解けて、ささやかな会話が心地いい。


「ごちそうさまでした。……すごく、美味しかったです」


「そっか。なら、よかった」


 ふと、会計のあと、店を出る前。

 瑞葉が立ち止まって、ほんの少しだけ俺の袖をつかんだ。


「……こんな夜、ずっと前から、夢見てたんです」


「え……?」


「お姉ちゃんのことを気にしてる直人さんじゃなくて――

  私の隣にいてくれる、今日みたいな時間が。……いつか、って」


 その言葉に、胸の奥がわずかに波立った。

 言葉を返せないまま、俺は黙り込んでいた。


 けれど――瑞葉は、そんな沈黙すら包み込むように微笑んだ。


「……さ、外に出ましょう。寒くなっちゃいますから」


 そう言って背を向ける。

 柔らかな髪と揺れるコートの裾が、灯りの中に溶けていく。


 その後ろ姿が、なぜか遠く感じた。

 手を伸ばせば届くのに、簡単には届かない気がして――


 ……きっと、俺は怖がっていたんだ。


 それでも、立ち止まるわけにはいかない。


 今日、瑞葉に告白する――そう決めてきた。


 そして今、改めてその想いを確かにした。


 瑞葉の背中を見つめながら、俺は静かに歩き出した。

 心の中で、もう一度、決意をなぞるように。


 ――この想いを、瑞葉に届けるんだ。

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