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第3話 楓がいない夜、君がいた夜

 待ち合わせ場所に着くと、瑞葉がもう来ていた。


 秋風に揺れる白い着物。淡くあしらわれた桜模様が、どこか儚げに見える。

 髪も、いつもより丁寧に結い上げられていた。


 ……思わず見とれた。


「すごく似合ってるよ」


 目を奪われた。

 いつも見慣れているはずの瑞葉が、浴衣姿だとこんなにも違って見えるなんて。


 心臓が、少しだけ騒がしくなる。

 ――なんだよ、これ。


 そんなふうに思ってしまった自分に、戸惑いすら覚えていた。


「……見すぎです、直人さん」


「え…? あ、ああ、すまない」


 恥ずかしそうに言う瑞葉に思わず謝る。


「でも、嬉しいです……直人さんも、浴衣、似合ってます」


 いつもと少し違う空気が流れた。

 気づかないふりをするように、俺は辺りを見渡す。


「……楓は? 一緒に来てると思ったけど」


「あ、えっと……ちょっと外せない用事があるって。すぐ追いつくって言ってました。

 たぶん、10分くらいで」


「そっか」


 時間つぶしに、瑞葉と他愛のない会話をしていた時だった。


 瑞葉のスマホが震えた。


 画面を覗き込んだ彼女の顔に、ふと影が差す。


「……あの…お姉ちゃんが、来られなくなったって…」


「え?」


「どうしても外せない用事ができたみたいで……

 『楽しみにしてたのに本当にごめんね。2人で楽しんできてね』って。

 あと、『直人にも謝っといて』って……」


 瑞葉が、申し訳なさそうに顔を伏せた。


「お姉ちゃん、突然行けなくなって……すみません」


「いや、仕方ないよ。用事なら、しょうがない」


 無理に笑って言いながら、瑞葉の目を見た。

 どこか、俺よりも残念そうに見えた。


「……それじゃあ、行こうか」


「はいっ」


 並んで歩く道は、夏よりも少し涼しくて、灯りがやわらかくて――

 隣にいる彼女の存在が、なぜだか今日は近く感じた。


 屋台の並ぶ通りを歩きながら、チョコバナナやわたあめをつまむ。

 なんてことはない会話をしながら、少しずつ空気が和らいでいく。


「あっ、射的……」


 瑞葉が足を止めた。


 視線の先にあったのは、景品として並べられた人形。

 その中の、ドレスをまとったお姫様に、彼女の目がとまっていた。


「……あれ、ほしいかも……」


 それは、独り言のような、小さなつぶやきだった。


 でも俺は、ちゃんと聞こえていた。


 …せっかく、瑞葉が誘ってくれたんだしな。


 そう言って、千円札を差し出した。

 狙うのは――あの、お姫様の人形。


 いける気なんて、最初はなかった。

 でも、当てたかった。


 瑞葉がほんの少しでも、笑ってくれたら。


 しかし、狙いを定めた俺の弾は、見事に外れた。

 最後の一発も、わずかに逸れた弾が、隣のくまのぬいぐるみに当たる。


「……あー、ダメだったな」


 店主に渡されたぬいぐるみを持て余しながら、隣の瑞葉に聞く。


「これ、いるかな?」


 正直、自分用に持ち帰るにはちょっと恥ずかしい代物だ。

 だが、瑞葉は目を見開いて、ぱっと顔を明るくした。


「えっ、それ……一番欲しかったやつです! ありがとうございます!」


「え? お姫様のやつじゃなかったのか?」


 そう返すと、瑞葉はちょっとだけ恥ずかしそうに笑って、視線を落とした。


「……あれ、前にお姉ちゃんが“可愛い”って言ってたんです。だから、つい……」


 その声は、どこか申し訳なさそうで――

 それがかえって、彼女の優しさを際立たせていた。


 こんな時まで、彼女は姉のことを考えてるなんて――


 ふいに、楓の姿が胸の奥に浮かんだ。

 もう“そこにいない”彼女の影が、そっと心に触れた気がして。


 胸の奥に、きゅっと何かが差し込むような痛みが走った。


「そっか…きっと喜ぶよ、楓」


 自然と、そう言葉がこぼれていた。


 それから、屋台の灯りが揺れる通りを少し歩いた後、混雑が激しくなった。

 人波に押されそうになるたび、俺は少し不安になって、思わず口にした。


「……瑞葉。手、繋ごうか」


 一瞬だけ、瑞葉が驚いたようにこちらを見て――でもすぐに、ふっと笑って、手を差し出してくれた。


「……はい」


 そっと握ったその手は、思ったよりも小さくて柔らかかった。

 たったそれだけのことなのに、胸がどきりと跳ねる。


 彼女も同じだったのか、すぐ隣で少しだけ息を呑む気配がした。


 屋台を一通り回り終えたころ、神社裏の広場にぽつんと空いたベンチを見つけた。

 2人並んで腰掛ける。


 空を見上げると、夜の帳はもうすっかり降りていた。

 あとは、花火を待つだけだった。


 しばらく待つと、夜空に、大輪の花火が咲いた。

 橙や紅の閃光が、静かな夜をゆっくりと染めていた。


 瑞葉の横顔が、それに照らされて淡く揺れる。

 白い浴衣に映えるその表情は、どこか幻想的で、思わず息をのんだ。


「……きれいですね」


 ぽつりと、瑞葉が言った。


「ああ。……なんか、昔より綺麗に見える気がする」


「ふふ、それは年を取ったからですよ」


 くすっと笑う声が、夜気に溶けた。


「それもあるけど――」


 言葉を探しながら、俺はふと彼女の手元に視線を落とす。

 つないだ手は、あたたかくて、少しだけ汗ばんでいた。


「……隣にいる人が、変わったから、かもな」


「えっ」


 瑞葉の肩が、わずかに揺れる。


「いや、変な意味じゃなくて……

 なんていうか、今こうして一緒にいられて、ちょっと嬉しいって。それだけ」


 俺の言い訳に、瑞葉は視線を外し――それから、ふっと笑った。


「……変な意味でよかったのに」


 その言葉が、花火よりも胸を打つ。


「……お姉ちゃんも、見たかったでしょうね。今日の花火」


 唐突に、瑞葉が呟いた。


「きっと、なんだかんだで喜んだだろうな。

 ……俺とじゃなくても、瑞葉と来てたら」


 それに、瑞葉は静かに言った。


「それでも、私、ちょっと嬉しかったんです」


「え?」


「今年の花火、直人さんと見れて……嬉しいなって」


 夜空に新たな花火が咲く。

 瑞葉はその音に紛れるように、少し照れくさそうに微笑んだ。


「……昔は“3人”が当たり前だったのに、今日は“2人”なんですよね」


 その声は、どこか寂しさを含んでいて。

 でも同時に、ほんの少しの――希望にも聞こえた。


 夜空に、ひときわ大きな花火が咲いた。


 橙と白の光が重なって、瑞葉の横顔を照らし出す。

 その表情が、少し眩しそうに、けれど穏やかに見えた。


 ――ああ、そうだ。

 思えば俺は、何度も楓に告白して、そのたびに砕けて、

 それでも笑っているふりをして――


 だけど、本当は何度も折れそうになっていた。


 そんな俺の隣には、いつも瑞葉がいた。


「……瑞葉」


 俺は、ふと名前を呼んでいた。


「はい?」


 瑞葉が、ゆっくりと俺を見つめる。


「色々と……ありがとうな」


「……え? と、突然どうしたんですか?」


 少し驚いたように目を瞬かせて、彼女は笑った。


「いや……普段、いろいろと助けてもらってるしさ。

 今日は改めて、ちゃんと伝えたくなったんだよ」


 瑞葉は、ほんの一瞬だけ目を伏せると、

 すぐに、柔らかな笑みを浮かべた。


「じゃあ……お礼、ひとつお願いしてもいいですか?」


「……ん? なんだ?」


「来年のお祭りも――2人で一緒に来てください。

 それが、お礼。……約束ですよ?」


 冗談めかして笑うその顔は、いつもより少しだけ大人びていて。

 それなのに、どこか幼さが残っていて――

 俺の胸に、不意に“どきり”としたものが走った。


 ……俺は、楓が好きだった。

 ずっと一筋の想いを貫いてきたはずなのに。

 その妹に、こんなにも心を揺さぶられている――


 そんな自分に、少しだけ嫌悪すら覚える。

 けれど、それでも――今だけは。


「……わかった。来年も、一緒に行こう」


 そう応えると、瑞葉はほっとしたように、そして嬉しそうに微笑んだ。


 夜空に咲いた、最後の花火の余韻が静かに落ち着きはじめた頃――


 瑞葉が、ふと目を伏せてつぶやいた。


「……もし、今年じゃなくて“来年”も2人で来れたら……私、ちょっとだけ期待してもいいですか?」


 その声は、夜の空気と混じって淡く消えてしまいそうで。

 だけど、俺の胸には、はっきりと残った。


 ――期待。


 それが意味するものを、俺は理解していた。

 今ここで、笑ってごまかすこともできた。

 でも、彼女のその瞳があまりにも真っ直ぐだったから。


 俺は、まっすぐに見つめ返して、ゆっくりと息を吐いた。


「……その時、俺も同じ気持ちだったら」


 瑞葉の肩が、わずかに震えた。


「……え?」


「……その時、俺も“来年も2人がいい”って思えてたら――

 その時は、ちゃんと答えるよ」


 そっと繋いだ手に力をこめる。


「その“期待”を、大事にしてくれたら……嬉しい」


 瑞葉が小さく微笑んだその隣で、俺はそっと夜空を見上げた。


 ――来年の祭りまでに、俺は楓との関係に、ちゃんと決着をつける。


 瑞葉を中途半端な気持ちで振り回すつもりはない。


 答えを出すのは、俺自身だ。


 ……その時までに、ちゃんと決めるよ。

 誰の気持ちにも、甘えてるだけの俺じゃなくなるために――


「……はい。……じゃあ、期待しちゃいますね」


 その笑顔が、花火よりもずっと眩しかった。


 夜空に、また一輪、花火が咲いた。

 その音が、少しだけ遠くに感じられたのは――

 きっと、俺たちの距離が、ほんの少しだけ近づいたからだ。


 俺は、瑞葉の手を握ってる。

 それなのに、胸の奥には、別の誰かの影が揺れていた――



  ◇ ◇ ◇



 静かな部屋に、遠く花火の音が響いていた。


 楓はベランダに立ち、ひとり夜空を見上げている。

 頬を撫でる風が、少しだけ冷たかった。


「……今、2人も花火、見てる頃かな」


 ぽつりと、誰に言うでもなくつぶやく。


 手に持ったスマホを開く。

 そこには、幼い頃――三人で写った夏祭りの写真。


 金魚を手に笑う直人。

 浴衣姿で顔を隠すように笑う瑞葉。

 その隣で、はにかんでいた自分。


 楓はそれを見つめ、小さく微笑んだ。


 親指で写真をそっとなぞる。

 指先が――ほんの一瞬、直人の顔に触れた。


「私が……隣に立っちゃ、駄目かな」


 漏れた声は、自分でも驚くほど弱々しかった。


 ……今さら、何を言ってるんだろ。

 あれだけ、自分から拒絶したくせに。


 瑞葉は、優しい。

 きっと、あの子のほうが直人には似合ってる。


 それでも――

 胸の奥に、どうしようもなく冷たいものが残っていた。


「……瑞葉が羨ましいなんて、思うわけないのに」


 口元が歪む。

 強がりが、少しだけ剥がれ落ちる。


 ……私がいなければ、きっと自然にうまくいく。

 だから、今日は“用事ができた”って――自分から身を引いた。


 数日前、階下から聞こえた楽しげな声。

 瑞葉が「直人さん、またドジですね」って笑ってて、直人もいつになく楽しそうに返してた。

 ……なんだか、その声だけで十分だった。

 もう、私の入る余地なんて――


 そのはずだったのに……

 なのに、胸の奥が、締めつけられるように痛い。


 遠く、夜空に大輪の花火が咲く。

 その光が、彼女の横顔を淡く照らしていた。

※お読みいただきありがとうございました。

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