第1話 振られた痛みと振る痛み
幼馴染に、五度目の告白をして――また、振られた。
その夜、俺に手を伸ばしてきたのは、彼女の“妹”だった。
「私じゃダメですか……?」
◇ ◇ ◇
「……楓。俺と、付き合ってください」
――五度目の告白だった。
小学生の頃から、ずっと好きだった。
これで最後にするって決めてた。
「ごめん。無理」
あまりにも、あっけなかった。
終わった……はずなのに、心の奥がまだ痛みを引きずっていた。
だけど、どこかで期待していた。
努力して変わった“今の俺”なら、もしかしてって――。
楓はため息をついて、ふと視線を外した。
「ねえ直人。私ってよく、文武両道で容姿も整ってるって言われるんだ。
“高嶺の花”って言葉、何度聞いたかわかんないよ」
他人事みたいな声で、淡々と喋る。
「でもね、それって“努力してるから”なんだよ」
俺は息をのんだ。
どこか、自分のことを言われているような気がして。
「……君も、そうだったでしょ?」
楓の瞳が、俺を射抜いた。
「昔は“普通の男の子”だったのに、それなりに立派になったもんね。勉強も運動も外見も。
私に釣り合うように――頑張ったんだよね?」
返せなかった。
それは、全部事実だったから。
だが、その目は冷たかった。
誉め言葉のはずなのに、胸に刺さって抜けない。
「でもさ――“私のために”頑張ってきたなら――今この瞬間、全部ムダだったってことだよ?」
その一言が、一番痛かった。
ぐらり、と足元が揺れたような気がした。
でも、それでも……。
……ムダだなんて、勝手に決めつけないでくれ。
たとえ報われなかったとしても、俺はこの積み上げた努力を、誇りに思いたかった。
「……ま、ストーカー扱いしないで友達でいてあげるだけ、感謝してね?」
軽く笑ったその声に、心の奥がじんと焼けた。
楓は屋上のドアまで去っていく。
俺はそれをただ呆然と見ていた。
ドアノブに手をかけた楓は、扉を少しだけ開きかけたところで、ふっと小さく呟いた。
「……ごめんね」
――確かに聞こえた。
「……え? ごめんって…何が?」
思わず声が出る。
けれど楓は、横を向いたまま言う。
「……さぁ? 空耳じゃない?」
視線は合わせてくれなかった。
その声はかすれていた。
ほんの少し、迷っているような表情にも見えた。
俺は、その表情を見たら、それ以上なにも言えなかった。
そして、楓はドアの向こうへ消えていった。
――だが、最後。
扉が閉まるその一瞬、ほんのわずかに、手が迷ったように見えた。
……空耳じゃない。
あの「ごめんね」は、きっと本当だった。
けれど、それまでの言動と、どうしても一致しない。
――楓が何を考えているのか、分からなくなった。
俺は屋上の端まで歩いて、柵にもたれ、深く息をついた。
夕焼けは曇り空へと変わっていた。俺の気持ちみたいに、どこまでも重たく。
そのとき、背後で小さな足音がした。
「……え?」
振り返ると、そこには楓に似た少女が立っていた。
楓と同じく腰まで伸びた黒髪。
楓と違って、おとなしく、どこか不安げな表情。
――久遠瑞葉。楓の妹。
子どもの頃は、いつも俺たちの少し後ろを歩いていたあの子が、今はぎこちなく、両手を胸元で握りしめていた。
「ご、ごめんなさい……直人さん……」
涙を堪えるような声で、顔を伏せていた。
「……瑞葉?」
驚いて名を呼ぶと、彼女はおそるおそる視線を上げた。
「さっきの会話……全部、聞こえてて……」
「えっ」
「直人さんのあとを追ってたら……屋上の階段の踊り場で、出るに出られなくなっちゃって……
その、告白……聞いちゃって……」
しどろもどろに話しながら、頬を真っ赤にしていた。
肩がかすかに震えていて、視線はまた下を向いていた。
「ご、ごめんなさいっ!」
深く頭を下げる瑞葉に、俺は思わず苦笑した。
「いや、いいよ。瑞葉にはバレてるもんな。俺が何回もフラれてるかなんて」
冗談めかして言うと、瑞葉はそっと顔を上げた。
でも、その目は少し潤んでいた。
しばらく沈黙が流れたあと、彼女はぽつりと呟いた。
「……なんで、そんなに……何度も……?」
視線を伏せたまま、言葉を続ける。
「中学生のころから……何度も告白して……全部、だめだったのに……」
「…………」
「私だったら……一回振られただけで、きっと……心、折れちゃうのに……
だから……私だったら絶対告白なんて出来ない……」
その声は、まるで自分を責めるように、静かだった。
制服の裾をぎゅっと握る手が震えていた。
唇が、なにかを言いかけて、でも、閉じられた。
言いかけた言葉の輪郭だけが、どこか心に引っかかった。
……まるで、“好きな人の名前”を飲み込んだかのような。
「……やっぱり、好きだから、かな……」
思わず、そんな言葉が漏れた。
十年以上、ずっと楓のことを想ってきた。
小学生の頃は、瑞葉も交えて三人でよく遊んだ。
あの頃の笑顔が、まだ忘れられない。
だから俺は、五度も告白するような未練がましい真似をしてるんだろうな。
自嘲しながら、ふっと笑った。
「……でも、それでも諦めるつもりはないよ」
その言葉は、自分への宣言でもあった。
「報われなかったからって、やめたら俺じゃない。――そう思いたいんだ」
もちろん、本気で嫌われてるってわかったら引くつもりだ。
でも今は、まだ“友達”ではいられてる。
「だからこそ、また、より努力しなきゃな」
そう呟くと、瑞葉が小さく息をのんだように見えた。
瑞葉は一瞬、何かを迷うような顔をしてから、真っすぐに俺を見つめた。
「……直人さん。大事なお話があります」
声をかけたあと、瑞葉はほんの少し唇を噛み、言いかけた言葉を飲み込むように黙り込んだ。
一瞬、屋上に風の音だけが流れる。
それでも、瑞葉は意を決したように、小さく深呼吸をして――
「私……直人さんのことが、好きです……」
いつになく真剣な声音だった。
その言葉に、思わず目を見開いた。
「え……」
声が、かすれた。
「十年以上前から……ずっと好きでした」
瑞葉の声が震えていた。
だけど、真っすぐで、必死だった。
「当時はまだ、直人さんのお姉ちゃんへの“好き”とは違っていたと思います。
でも……」
彼女は一度、唇をかんだあと、続けた。
「それからずっと、お姉ちゃんに一途に向かう直人さんを見て……
何度断られても努力し続ける姿に、私……どんどん惹かれていきました」
その声は、涙を堪えるようにかすれていた。
「……お姉ちゃんには、ちょっとだけ、悪い気がしちゃうんです」
小さく笑ったその顔は、どこか自嘲気味で――でも、優しさに満ちていた。
「ずるいですよね、私……」
俺は何も言わず、ただ彼女の言葉を待った。
「だけど、それでも――私は、直人さんのことが好きです」
一度、言葉を切るように呼吸を整えると、瑞葉はまっすぐに俺の瞳を見つめた。
その目には、迷いのない光が宿っていた。
「……直人さんが、どれだけお姉ちゃんのことを大切にしてきたか、知ってます。
それでも――そんな過去も全部含めて、私は、今の直人さんを好きになったんです」
言葉を重ねるたびに、声は少しずつ熱を帯びていく。
まるで、胸の奥に積もらせてきた想いが、ようやくこぼれ落ちたかのように。
「今の私は、自信を持って言えます。“大好き”ですって……!」
瑞葉は、目を潤ませながら、声を震わせて言った。
「だから……直人さん。私と付き合ってください!」
俺は、言葉を失った。
まさか、そんなにずっと想ってくれていたなんて……知らなかった。
その気持ちは、痛いほど伝わってくる。
でも、それでも――
「……ごめん。それは、できないよ」
伏せた瑞葉の身体が、かすかに震えた。
その肩が、小さく揺れる。
頬をつたう涙が、ぽたりと膝に落ちるのが見えた。
「……私じゃ、ダメですか……?」
――その声は、かすれていて、泣いているのに、どこまでも静かだった。
俺は、視線を落としながら、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「違う……俺が……どうしても、まだ――楓のことが、好きなんだ」
それは、誰よりも未練がましく、誰よりも残酷な言葉だった。
自分でも、わかっていた。
振る側になって――初めて気づいた。
これほどまでに真剣に、勇気を出して想いを伝えてくれた相手を――
その気持ちごと、断ち切るということが、どれほど残酷なことなのか。
その人が、どれだけの月日を胸に抱いて、積み上げてきた想いなのか。
そして、その想いを否定することが、どれほど相手を傷つけるのか。
それを考えたら、たとえ楓の態度が冷たくとも、五回も告白してきた彼女に申し訳なく感じた。
瑞葉はゆっくりと顔を上げた。目元が潤んでいた。
その表情が、胸に刺さる。
十年以上、妹のようにそばにいてくれた――あの瑞葉を、今、俺は傷つけてしまったんだ。
それでも彼女は、微かに笑って言った。
「そうですか……
……でも、私、諦めませんから」
彼女が顔を上げると、瑞葉は涙をこぼしながらも、まっすぐ俺を見つめていた。
「直人さんは、五回も告白して、振られても、それでも諦めなかった人です。
なら……私だって、一度振られたくらいで、心なんて折れません…!」
声が震えていた。涙が頬を伝って、制服の胸元を濡らしていく。
「だから……絶対、絶対、直人さんを振り向かせてみせます…!」
宣言するように、言い切った。
そのまま、瑞葉はくるりと背を向けて、静かに、涙をすすりながらも、
けれど確かな足取りで屋上の扉へと歩いていった。
遠ざかる足音だけが、屋上に残された。
俺は、その場に立ち尽くしていた。
今日は――振って、振られた日だった。
心が痛むのは、どちらも同じだった。
けれど。
瑞葉の涙を見たとき、俺ははっきりと思った。
……五回振られたあの日々より。
「振った」今日が、一番、胸に刺さった。
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