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君色の旋律  作者: 咲哉
第一章 スタートライン
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⑥自室

 あの後、二か所ほど修正が入った。それに加えて、アクセントやイントネーション、プロミネンスの確認から始めようという望月先輩の意見に従い、図書室へ向かう。目当てのアクセント辞典を借りて、第一回目の練習は終わったのだった。

 褒め上手な望月先輩のおかげもあってか、緊張の糸が緩んできた。読みについては、まだまだ改善の余地ありで、かつての勢いを取り戻せてはいないけれど。

 それも当然だろう。いくら緊張が解れても、トラウマを乗り越えられるわけではない。

 でも、せっかく先輩が寄り添っていてくれているのだから、なるべく応えたい。

 ならば、妥協なんてしていられない。

 スクールバッグから原稿と借りてきた辞典を取り出す。まずは、単語一つ一つのアクセントを調べ上げてノートに書き起こした。アクセントの確認が済んだら、その発音通りに単語を声に出して発声の仕方を定着させる。素人ではないため、然程時間を使わずに済んだ。

 次はイントネーションとプロミネンスの確認。イントネーションは、文章全体の高低の調子で、文全体の声の上がり下がりを示す指針。クラスメイトの教科書の音読を聴いていると、これが整っている人といない人がはっきりとわかる。とはいえ、恥ずかしがって大半の人が一本調子になりがちだ。

 プロミネンスは、その文章の中で一番伝えたいところを意味している。さり気なく重要なところを協調して、聞き手にすんなりと伝わるように話さなければならない。そこが上手くできると、聞き手側は話の内容を整理しやすくなる。

 それらを意識して、原稿を声に出して読む。

 原稿にチェックを入れながらその声をスマホに録音する。自分で判断するために。


 『 「あの子が持っているから、みんな持っているから、私も欲しい」

 そんな言葉を口にしたことはありませんか? 』


 イヤホンから自分の声が流れ込む。骨の振動で伝わる骨導音を除いた気導音のみの音声に抵抗感を覚える。自分だけにしかわからない、声の違和感。誰に訴えようにも決して伝わることのないもどかしさ。この感覚は懐かしい。昔に戻ったみたいで、少しだけほっとした。

 けれど、すぐに不快感が込み上げてくる。

 イントネーションがおかしいわけじゃない。他人が聞いても首を捻られることはわかっている。

 ただ、私が気に入らないだけ。

 必死に足掻こうとして空回りしているこの声が――気に障る。


 『 それは、小学生の頃か、もっと幼い頃だったかもしれません。

 今では、めっきり言わなくなったという方がほとんどでしょう。

 しかし、口にしなくなっただけで、その思考そのものが変わってしまったわけではないと思います。 』


 思わずイヤホンを外した。

 何だこれは。弱い。弱すぎる。こんなのは、ただ読んでいるだけに過ぎない。目の前に用意された原稿を声に出す機械、ロボット。

 弁論も、朗読も、読んだら負けなんだ。読んでいる感が出たら、その声が、言葉が、虚構に崩れ落ちてしまう。気恥ずかしさが表に出るなんて言語道断。論外だ。

 これはまだ素読。わかっている。わかっているけれど、納得できない。

 用意された原稿でもなんでも、フィクションにしてはいけない。

 リアルタイムで紡がれた言葉にして、相手に届けなければならない。

 なのに、思い切り声が出せない。

 私の声はこんなものだったのか。この程度のクオリティで、自分の声に自信を持っていたのか。こんな安っぽい声を、望月先輩は好きだと言ってくれたのか。

 いいや、違う。全然足りない。こんなものじゃない。この程度じゃ、あの日なんて乗り越えられない。


 ――未羽ならできるよ。自分の力を信じなさい。


 何が足りないのだろうか。読みの起伏だとか、正しい発音だとか、そういうことではない何かが、今の私には足りていない気がする。それが何なのかわからない。

 脱力して、ベッドの上に倒れこむ。ふくらはぎがサイドフレームに触れて、ひんやりとして気持ちいい。高ぶった体温を冷ましてくれているみたいだった。

 私がこうして躓いている間にも、きっと()は走り続けている。自分の夢しか見えていない、馬鹿正直でまっすぐな奴。

 私は好きだった。彼の夢が。彼の描く絵が。そんな彼が。

 自分から突き放したくせに、まだ忘れられないなんて。こんなことだから前に進めない。


 ――そんなに必死になって、馬鹿みたい。いつまで続くのかもわかんないのに、学校生活まで犠牲にして……。普通じゃない!


 間違っていたのはきっと私だ。自分の気持ちを押し殺して、周りの動きに合わせて息をして。逸れ者にならないためだけに毎日思い悩んで。押し退けられた夢は、日々の雑踏の下敷きになって、息を殺して泣いていた。

 中学校なんて、下らない価値観を押しつけ合うだけの、たった一瞬の舞踏会に過ぎなかったのに。たったそれだけのために、私は夢を、彼を否定した。

 ――声優になりたい。

 今更それを語る権利なんてないかもしれない。追いかける資格なんてないかもしれない。人の夢を貶して、自分の夢からも逃げ出した。そんな私に……。


 ――いいし! 今回は絶対に上手くやってやるんだから!


 いつも肝心な時に勢いで言葉を発してしまう。傷つけたいわけでもなく、自信があるわけでもなく、咄嗟に口をついて言葉が出ていってしまう。そして後悔する。その繰り返し。そんな堂々巡りのどうしようもない自分が大嫌いだ。

 ――変わりたい。もっと、強くなりたい。

 願うだけでは何も変わらない。動き出さなくては何も始まらない。そんなことはわかっている。でも、何をどうしたらいいのかわからない。

 夢があって、越えなくてはいけない高い壁があって、向かうべき場所だって定まっている。それなのに、自信が持てなくて、向き合うのが怖くて、逃げ出したいって思ってしまう。本当に意気地なしだ。

 どうして声優になりたいなんて身のほど知らずの夢を、未だに抱いているのだろう。

 どうしてまた弁論大会に出場することになっているのだろう。

 それは、人に強制されているから?

 いいや、違う。私の意思でやっているはずだ。乗り越えなくてはいけないと自覚しているからやっているのだ。声優だって、まだ諦めたくないから。

 ――本当に?

 どうして諦めたくないのだろう。

 そもそも、どうして声優になりたいのだろう。

 酸っぱい味が、口の中に広がっていく。口内の水分が、吸い上げられていく。そのまま、この思考も消し去ってほしい。切実に願う。

 しかし、それは叶わなかった。

 一度考え出すと、歯止めが利かなくなる。よくないとわかっていても、負の思考の連鎖は止められない。

 人前で発表ができなくなるくらいのトラウマを抱えたくせに、まだ夢がチラつく。恐怖に足元を掬われて、目を背け続けたくせに。

 三段ボックスから、適当に一冊の文庫本を抜き取る。パラパラとページを捲って、付箋の貼ってある部分に目を落とす。

 ガールズアクションものの主人公のセリフ。窮地に陥って、生きることを諦めようとしたヒロインに手を伸ばしながら叫んだこのセリフが、あの頃は好きだった。


「『手を伸ばして! 届かないと思うならなおさら……。だって、諦めたら……。諦めたらそこで、本ッ当に全部終わっちゃうんだよ!』」


 今成せる全力を持って表現したつもり。でも……。

 何て臭い演技。その言葉を信じ切れていないから、こんなにも嘘臭さが拭えないんだ。キャラクターの気持ちに寄り添えないで、自分のことばかり考えて、それでいい演技なんてできるわけない。上辺だけの言葉じゃ、誰にも真意は伝わらない。

 やっぱり、あの頃から何も変わってないんだ。自分の感情が隠し切れずに顔を出して、演技の邪魔をしている。

 即興だったから上手くいかなかっただけ。いや、そんな自己弁護は無用だろう。


 ――未羽ちゃんの声、好きだな。


「ああ、そうか」


 喉が震える。


「私はいつも、場の空気に流されているだけなんだ……」


 声優になりたいと思った動機も、夢を追いかけている彼に触発されたから。

 今の私の気持ちも、勢いに任せているだけに過ぎない。頑張ろうとしているのも、望月先輩に上手く乗せられただけだし、お母さんに、今度は上手くやるなんて表明してしまっただけ。全部そうだ。だから、判断を間違える。いつも適当なことばかりを口に出すし、理由もわからないのに、夢なんか追いかけてしまうんだ。

 自分の核なんてないくせに。



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