⑤視聴覚室
『 簡単に人と繋がり合える時代だからこそ、羨む気持ちも、劣等感に苛まれるような思いもたくさんしてしまいます。
ですが、他人と比較することなく、自分の本当の気持ちを大事にしてほしいのです。
そして、「ありがとう」を忘れずに、自分の選択に誇りを持って生きていきませんか? 』
弁論のテーマは、モノに感謝をしようという、平凡なものだった。SNSの発達やインフルエンサーの急増によって、物欲に支配されている現代人に向けた内容。といっても、ミニマリストに目覚めた私の実体験なのだけれど。
作文の授業で、それくらいしか思い浮かばなかったから書いただけなのに、まさかこれで弁論に再挑戦する破目になるとは思わなかった。
マイクから一歩後ずさり、礼をする。顔を上げると、望月先輩と秋田先生が拍手をしていた。
「活舌がいいな、小波は。読みも丁寧だし、初めてにしてはいい出来だったと思う」
その言葉がチクリと胸を刺す。初めてじゃないのだから、これを褒め言葉としては受け取れない。昨日の時点で思い知っていた。明らかに読みが下手になっている。
「声がすごく聞き取りやすかったよ。一音一音を大切に読もうとしているのが伝わってきた」
文章はただ読めばいいわけじゃない。言葉一つ一つには正しいアクセントがあって、歌を歌う時のように正確なリズムを携えている。とはいえ、私はまだそれを取り戻せていない。平板過ぎて、読まされている感が否めない。
急いで取り戻さないと。
「ただ、次は読む前に一度、じっくりと深呼吸してみて」
望月先輩が、柔らかな笑みを浮かべる。
「落ち着いてやれば、大丈夫だから」
気づかれている? せいていたのは認める。声は正直だ。自分の気持ちを隠せない。取り繕おうとすると却って足元を掬われる。だから、修練を重ねてブレない声の軸を作り上げなくてはならない。
「ありがとうございます」
私は二人の元へ寄る。
「せっかく読んでもらって悪いが、数か所修正がある」
秋田先生から赤ペンを差し出される。受け取って、原稿を長机の上に置く。
「修正は、ボクから」
望月先輩が私の隣についた。
「まず、ここなんだけど……」
ふわっと香るリンゴのようなみずみずしくて甘い匂い。ああ、これかと頭が一瞬白む。香奈の言うとおりだ。離れたくない妙な安心感を与えられる。
「未羽ちゃん? どうかした?」
「あ、いえ、何でもないです」
香奈のせいで変に意識してしまった。
「続けてください」
不思議そうな顔をして、望月先輩は垂れていた横髪を耳に掛ける。
「この、『その波は、鳴りを潜めることはなく、今でも加速し続けています。』の部分が、少し回りくどくないかなって。――こんな感じでどうかな?」
望月先輩は、原稿のコピーに達筆な字でこう書き込んだ。
〝その勢いは止まらず、現在においても加速し続けています〟
文章の流れが自然になった。意味がすっと頭に馴染んでいく。自分の文章の善し悪しは、自分ではわからない。つい百点満点だと過信してしまいそうになるが、それはただ自己陶酔しているだけだ。
「ねえ未羽ちゃん。読書は好き?」
「え、あ、はい。好き、ですけど」
家でやることといえば、ソシャゲの周回をしたり、家庭用ゲーム機で遊んだり、アニメを見たり、そして読書をしたり。日本文学も海外文学もちろん好きだが、一番読むのはライトノベル。息抜きに読むのに丁度いい。
それがどうかしたのだろうか。
「やっぱりそうだったんだ」
望月先輩は、嬉しそうに笑う。
「全体的に、文体がちょっと小説っぽかったから」
読書をしているからだけじゃない。主な原因は、朗読にある気がする。
「そんなことまでわかるんですか?」
改めて文章を読んでみると、途端に耳が熱くなってきた。
「ちょっと、恥ずかしいです」
「素敵な言葉選びだなって思うよ。ただ、発表するための文章と、読むための文章は少し違うから、修正を提案しただけだから。あまり気にしないで」
そう言われても、なんだか自分が文学少女気取りみたいでいたたまれない。どちらかと言えばほとんど二次元オタクなのに。
「ところで、どんな本が好き?」
この流れでライトノベルとはさすがに言えない。何がいいだろうか。海外文学か、日本文学か。ジャンルで選ぶならミステリーが好きだし。純文学も捨てがたい。
「アガサ・クリスティーなんか好きですね。日本文学なら、太宰治が好きです」
「すごい、海外の本も読んでるんだあ」
その表情が、ますます明るくなる。
「ボク、クリスティーの小説読んだことなくて。未羽ちゃんのおすすめ、教えてほしいな」
「アクロイド殺し、ですかね。読む前に、ネットでネタバレ踏んじゃったんですけど、それでも読み応え抜群でした」
望月先輩は、ブレザーのポケットからメモ帳を取り出して、ペンを走らせた。
「アクロイド殺しだね。ありがとう。読んだら感想伝えるね」
「はい、ぜひ」
「因みに、太宰治は――」
わざとらしい咳払いが茶々を入れてくる。
「盛り上がってるとこ、悪いんだが……。そろそろ本題に戻らないか?」
本題? そうだ。弁論の話だったか。
望月先輩は唇を尖らせて、ジトーッとした目を声の主に向けている。
「相変わらず空気が読めないですよね」
「ほんとそうですね。普通このタイミングで話遮らないですよ」
「お前らなあ……」
遠い存在だと認識していた望月先輩に、些細な親近感が湧いた。