④教室
「未羽、やっぱり今日元気ないよね?」
コンビニ弁当を食べながら、友人の香奈は言った。
机を挟んだ向かい側で、菓子パンを齧るもう一人の友人――梨々花が頷く。
「いつもはクールな感じなのに、今日は陰キャって感じ」
今朝からずっとそう言われているが、私はのらりくらりと躱していた。
辛気臭い空気になるのは好きじゃない。お互いに気を遣い合わなくてはいけなくなるから。互いに必死に言葉を探って心理戦みたいになる。そういうのは面倒くさい。
「陰キャは元から」
それだけ言って、卵焼きを口に放り込む。
弁当は毎日お母さんの手作り。目の前の二人は、愛されてるね~と私を揶揄してくるけど、もしそうだとしたら、昨日みたいな言い方はしないはず。
絶対夢は叶わないとか、普通娘に言わないだろう。
あのあと、お母さんは何ごともなかったかのように接してきた。喧嘩をしたと思っているのは私だけだったみたいだ。ぶっきらぼうに弁当を受け取って家を出たが、やはり釈然としない。
いつも通りなところが、逆に本音のように感じられてしまうから。
「弁論しなくちゃいけなくなった」
だからテンションが低い。と簡潔に説明しておく。
「ああ、秋センに呼び出されてたやつか。さっすが優等生」
そういう振りを心掛けてきた。でも、もうそうはいかない。少なくとも、秋田先生の前でだけは。
「超優等生な先輩の圧に負けて、仕方なくやるだけだから」
そう、惰性でやるだけ。そのはずだった。
「弁論……優等生……」
一度ストローを吸い上げてから、香奈がハッとした表情を浮かべる。
「もしかして、それって望月先輩?」
最近知ったばかりの名前が出てきてドキッとした。どうして香奈が望月先輩のことを知っているのだろうか。
「誰その人、知ってるの?」
神妙な面持ちで香奈は口を開いた。
「女子高生カウンセラー」
変な語呂合わせが聞こえた気がしたのだけれど、どうやら聞き間違いではないみたいだ。
「二年と三年の間では、そう呼ばれているらしい」
「ふーん」
梨々花は一生懸命にパンを齧っているが、目だけはしっかりと香奈を捉えていた。
「メンタルヘルスしてくれる感じ?」
香奈は静かに頷く。
「悩み相談だけじゃないの。望月先輩は、弁論で人の心を動かす天才」
弁論、天才。落とされていく言葉たちを一個ずつ拾い上げていく。あの自信に満ち溢れたオーラは伊達じゃない? 本当にすごい人だったということか。
「それだけじゃないよ。望月先輩は、学校一の学力を誇る才色兼備で気配り上手。加えて聖女のような微笑みに魅了された男女問わずファンも多い。体育は苦手だけどそこはご愛敬。さらに秘書並みの洗練された所作で教師陣の度肝をも打ち抜きもはや敵なしのスーパーアイドル的存在なんだよ望月先輩は!」
途中から、遠い世界の住人の話のように聞こえて呆然としてしまった。この桜田高校に入学するだけでも超が付くほどの難関だ。県内で一位二位を争う高校だというのに、望月先輩はその中でもトップ? そんな人が相手なら、当たり前だけど勝てるわけがない。
開いた口が塞がらない私たちをよそに、香奈は立ち上がった。
「そして何より声が可愛い!!!!」
一瞬、教室が静まり返った。このメンツの中の誰よりも大人しく見える香奈が、クラス中から大注目を浴びる。珍しく、熱くなりすぎているみたいだった。
「うっさ」
梨々花の眉間にしわが寄る。
「っていうか何でそんなに詳しいの、普通にキモイんだけど」
香奈は、スッと腰を下ろして声を潜めた。
「いやー、お姉ちゃんが望月先輩のファンだからさー」
よほど恥ずかしかったのだろう、香奈は頻りに眼鏡の位置を調節している。
「この間お姉ちゃん経由で会ってみたんだけど、ほんっと可愛くて推したくなっちゃった」
「キモ」
呆れたように、梨々花は溜息を吐く。
「これだから声ブタVキチは」
「酷い言い草」
対して、香奈は鼻を鳴らす。
「梨々花だって2・5次元にガチ恋してるんだから、こっち側の人間でしょ」
この二人がいがみ合うのはいつものこと。中学の後半から知り合った私とは違って、二人は小学生の時からこんな感じだったらしい。
私は黙って弁当を食べ進める。生姜焼きは、私好みのもやし入りだった。
「ねえ未羽」
梨々花が、こちらに目を向ける。
「この声ブタうるさいから、サインでも貰ってきてくんない?」
「芸能人じゃないんだから」
「サインは一度頼んだんだけど、できないからって代わりに握手してもらった」
「いや頼んでたんかい」
「ふわふわでふにふにだった」
香奈の興奮状態は冷めやらぬまま。
「しかも、もっちー先輩からめっちゃいい匂いしてさ~」
もっちー先輩って……。もはや、先輩について話しているとは思えない反応。香奈にとっては推し活の対象。その内、うちわとかアクスタとか作り始めそうな勢いだ。
「いいな~、未羽は」
両頬に手を添えて、香奈は窓の外を眺める。
「もっちー先輩に弁論を指導してもらえるなんて、幸せ者じゃない」
いつかASMRとかやってくれないかな~、と冗談なのか本気なのかわからないことを言いながら、香奈は自分の世界に浸っていった。
「やっぱ香奈はエクストラ級にヤバいよ」
私の語彙が死んだ。
ケロッとした顔で、香奈が首を捻った。
「え、普通じゃない?」
普通じゃないでしょ、とは言わないでおいた。
そんなに望月先輩のことが好きなら代わってくれてもよかったのに。なんて、そうではないだろう。こんな考えばかりに着地するから、お母さんは私を見限ったのではないだろうか。このままでいいわけがない。今度こそ上手くやると言ったのだ。ここから先は惰性では許されない。
今日の放課後も視聴覚室に行くことになっている。というか、本番まできっと毎日だろう。中学の時もそうだった。ほとんど部活みたいなもの。あの時は国語教師とマンツーマンだったけれど、今回はどうやら違うらしい。
香奈がそこまで執心するほどの望月先輩。昨日とは見る目が変わりそうだな。なんて意識しだすと、今から少し緊張してきた。