表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
君色の旋律  作者: 咲哉
第一章 スタートライン
2/53

①職員室

「嫌です」


 反射的にそう答えていた。しまった、と思ったものの後の祭り。それどころか、スカートの裾を掴む右手にも力が加わる。


「嫌、か」


 秋田(あきた)先生の視線が、手元の原稿用紙に向けられた。


小波(こなみ)のものが一番いいと思ったんだけどな」


 そう言われても困る。中学の時だって、国語教師に促されて弁論大会に出てみたら、あのざまだった。もう一度なんて考えられない。それも、まったく同じ【青少年弁論大会】ならなおさら。


「発表するのが嫌だってことだよな」


 カッターシャツの上からジャージを羽織った角刈り頭に、発表なんて口にされるとかなり違和感がある。上背があって筋肉質、浅黒い肌も相まってか、いかにも鬼コーチ。

 国語教師なんて名乗らずに、いっそのこと体育教師にでも転任すればいいのに。

 口には出さない。八つ当たりのように胸中で毒づく。

 弁論なんて単語さえ出なければ頷いていた。それができなかったのだから、正直な態度をとってしまっても構わないだろう。


「人前に立って話をすることなんてできませんよ」


 それに、と唇を噛んでみせてから、そっと吐き出した。


「向いていませんよ、絶対に」


 発表中に涙を流してしまう、私になんか。

 机に原稿用紙を置いた秋田先生が、腕を組んで黙り込んでしまった。

 静寂紛いの錯覚から逃れるべく、周りの作業の音に意識を散布させる。心地いいタイピング音やお腹に響くコピー機の振動音に紛れて、楽しそうに教師と雑談する生徒の声。あちらこちらから漂うコーヒーの匂い。

 どうしてこんなところにいるのだろう。早く帰ってゲームがしたい。

 視線を正面に戻すと、ばっちりと目が合った。


「なあ小波。どうして自分には向いてないなんて思うんだ?」


 小さな目が、射貫くような視線を向けてくる。気後れするが、ここで引いてしまったらきっと同じ轍を踏む。

 だから、何としてでも断らなければならない。


「人の視線に晒されるのは、得意じゃないので」


「それが得意な奴なんてそうそういるもんじゃないぞ?」


「上がってしまうんですよ、私」


 あながち嘘ではないだろう。


「それは――」


 何かを言いかけて、秋田先生は言葉を詰まらせる。


「ちょっと考えなきゃならんかもしれんが」


 何を言おうとしたのか気になるけれど、怯んでいる今が攻め時。


「だから、人前で発表するのは避けたいんです」


 秋田先生は、苦虫を噛み潰したような顔をした。


「克服するためだと思って、な?」


 言われなくても、いつかはしないとだめだと思っている。でも、何も今じゃなくたっていいはず。あれからまだ一年も経っていない。無理やり克服させようとすれば、ますます嫌いになるということがわからないの?

 そこまで言っても駄目なら、仕方ない。


「……声にだって、自信なんてありませんよ」


「そんなことはないだろう。小波の声は凛としていて、よく通る声をしている」


 声は、私にとって大事なものだし、それなりに練習して鍛えてきたもの。中学三年生の時には放送委員長を務めていたし、声優になりたいなんて思い上がってもいた。

 今でもその気持ちは、胸の片隅に残っている。それくらい、声を出すのは好きだった。

 高校に入学してから、まともに声を出したつもりはなかったのに、誤魔化せなかったのだろうか。しかし、どんなに破綻したことを言っていたとしても、頷くわけにはいかない。


「私がステージに上がっても映えませんよ」


「映えって、お前な」


 呆れたと言わんばかりに、秋田先生が頭を掻く。


「弁論に見た目なんか関係ないんだけどなあ」


 それはそうだ。何でもいいから、断る理由を引っ張り出したいだけ。

 容姿に関していえば、寧ろ少し自信がある。色素の薄い瞳は、イギリス人の血を半分引いているお母さん譲りのもの。鼻筋も通っていて、よく羨ましがられる。肌だって真っ白だし、肩を撫でる髪は亜麻色。あえて欠点を述べるなら、目つきがきついところくらいだろうか。睨んでいるつもりなんてないのに、勘違いされてしまうことがある。


「まあ、なんだ、その……。小波は顔、整っている方だと思うから安心しろ」


 頭を掻きながら、秋田先生は溜息を吐いている。

 何これ。この空気。意味わかんない。


「保身のため言っとくが、セクハラとかいうのは勘弁な」


 そんな失礼なこと言わないし、そもそも私が言わせたようなもの。別に容姿を褒められたかったわけではない。何だか空回りしているような気がする。

 というか、どうしてこんなに必死に食い下がってくるのだろうか。代わりの生徒なんていくらでもいるはずなのに。

 そっちがその気なら、意地でも拒んでやる。


「こんなに出たくないって言ってるのに、何で帰してくれないんですか」


 生徒にここまで正直に言われれば、さすがに諦めざるを得ないだろう。


「あのなあ……。俺は、何としてでも小波に弁論大会に出てもらいたいんだ」


 ことは上手く運ばなかった。しかも、縋るような目を向けられる。


「何でそうなるんですか。私は絶対に、弁論大会なんかに出たくないんです」


「弁論大会なんか、なんて言わずに、頼むから考え直してくれないか」


「利害は不一致です」


 背を向ける。


「もう、帰ってもいいですよね」


「まあ待て待て待て」


 背後で、椅子の動く音がした。仕方なく振り返る。

 秋田先生は、額に脂汗を浮かべてかなり焦っているようだった。


「一度、視聴覚室に顔を出してくれ」


 視聴覚室に? そのまま強引に練習させる気ではないだろうか。


「そこに弁論部の三年生がいる。そいつと一度顔を合わせてくれないか」


 弁論部があるのなら、わざわざ一年生の中から選抜しなくてもいいのでは?

 それに、二個上の先輩の誘いなら、断り切れないと考えているのかもしれない。なんて姑息で意地汚い大人だ。


「やるかやらないかは、そこで判断してくれ」


 両膝に手をついて、頭を下げてくる。


「もしそこで小波が断るなら、俺ももう弁論大会なんかに出ろなんて言わない」


 何だか皮肉交じりに聞こえた気がしたが、正直もう疲れたし、それで帰れるのなら引き受けよう。


「わかりましたよ。視聴覚室に行けばいいんですね」


「俺も作業を終えたらすぐに向かうから、先に行っていてくれ」


 その安堵したような顔を軽く睨みつけてから、職員室を後にする。


「はあ、面倒くさい」


 飛び出した本音に従ってボイコットしてやろうか。頭を掠めた幼稚な考えは、花火のように霧散した。代わりに、あの日の失態が呼び起こされる。

 去年の【青少年弁論大会】の発表中のことだった。途中までは何事もなく順調に発表できていた。だというのに、機械のように言葉を発している自分のことが、急に怖くなった。作った原稿を頭に叩き入れて、伝えたい想いもなく、ただ単調に発表していたそんな自分が。

 言葉の持つ、絶大な力。私はそれを知っている。人を喜ばせたり、楽しませたり、悲しませたり、傷つけたり……。

 発した言葉は取り消せない。何があっても、なかったことにはできない。だから、言葉を発する側には責任がある。その言葉が、相手をどんな気持ちにさせるのか、きちんと考えておかなければならない。

 そのことを思い出した途端、後悔が頬を伝って、声が出せなくなった。大勢の人の前で言葉を発している自分のことが、怖くてたまらなかった。

 どよめく観客席。心配そうに私を見つめる国語教師。顔色一つ変えなかったお母さん。


 結果は――惨敗。


 もう二度と、ステージに上がるなんて考えられない。

 どんな相手だろうと、何を言われようと、絶対に私の意志は揺らがない。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ