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8:触れ合い

 ディアルが暮らす村は、大平原地帯の端に位置し、家々の数も二十軒ほどと決して大きくはない。村長や長老と呼ばれる者がいるにはいるが、何か明確な“統治制度”があるわけではなく、狩猟や農耕、家畜の飼育による生活をみんなで支え合っている形だ。

 一方、この村から少し離れたところには、名前も明らかでないような小さな集落や、移動を主とする遊牧民のような一団が点在している。その中には、村人たちが“カレン族”や“ゲルダ族”と呼ぶ部族もあり、どこも一様ではない生活様式をもっているらしい。彼らとはときどき物々交換や情報交換を行うが、土地の取り合いや狩猟領域を巡って衝突することもある。そのため、村の大人たちには常に一種の警戒心が根付いていた。


 そうした大人の思惑に対して、子どもたちはいささか自由である。ディアルが7歳を迎える頃、村の外れの草原で遊んでいると、遠方からやってきた“ゲルダ族”の子どもと遭遇した。髪の毛を大胆に編み込み、動物の骨を首飾りにしているのが印象的な少年で、年齢はディアルと同じくらいに見える。

 言葉こそお互いに通じにくいが、その子――仮に“トア”と呼んでおこう――はディアルが手に持っていた棒切れに興味を示したようだ。狩猟の仕草をまねるディアルに笑みを浮かべ、何かを喋りながらそっと指さす。最初こそ緊張があったが、互いに威圧的な態度ではなかったこともあり、しばらく草むらで一緒に虫を探しては、大きな声を立てて喜び合った。

 ディアルにしてみれば、これは人生で初めて“よその集落の子ども”と触れ合う経験だった。自分が住む村とは違う風貌や風習をもつ子と遊ぶうちに、「言葉が違っても、一緒に何かをするだけで楽しい」という当たり前の事実を実感し、同時に強い好奇心がかき立てられていく。


 その後、ゲルダ族の一団が村の近くを通りがかり、小さな物々交換が行われる機会があった。村の大人が乾燥野菜や革製品を差し出し、相手方は珍しい薬草や獣の角を提供する。ディアルは家の外からそれを見守りつつ、先日出会ったトアらしき少年の姿を探す。すると、向こうもこちらに気づいたのか、笑顔で手を振ってきた。

 大人たちは慎重な面持ちで交渉を進めるが、少なくともこの場では大きな衝突は起こらない。こうした交易を通じて物資だけでなく、互いの言葉や風習がわずかでも伝わり合う。たとえばゲルダ族は挨拶するときに胸のあたりで手を合わせる習慣があるらしく、ディアルがそれを見てまねると、「お前はすぐに覚えがいいな」と村の人々に笑われた。

 しかし、その簡単な挨拶一つとっても、ディアルにとっては非常に新鮮な体験だった。前世で日本人として生活していた頃、自分自身が海外の文化に興味を抱いたのと同じように、今この世界でも多様な人々がいることを改めて感じ、知識欲が刺激されるのを止められない。


 ディアルは、周囲が驚くほど学習能力が高い。すでに村で使われる言語は一通り習得済みで、文字の読み書きもかなりこなれてきた。ただし、ゲルダ族やほかの部族が話す言葉は違う音を含んでおり、一朝一夕には覚えられない。それでも“どこかで共通する単語や発音はないか”と意識を向けることで、基礎的なコミュニケーション方法を模索し始める。

 ときには、前世での勉強や読書で得た“言語学の初歩”のような知識が頭をよぎることもある。もちろん日本語とまったく関係ない言語だから直接照らし合わせることはできないものの、“単語の音が重複する箇所”や“身振り手振りとの合わせ方”を観察するなど、見よう見まねの工夫をするのだ。

 村の大人たちにはそうした分析が理解できず、「子どもが変な考えをめぐらせている」と首をかしげられることもある。だが、ディアルにとっては“意思疎通をはかる手段”そのものが大きな関心事だ。自分たちの常識とは違う文化の相手と、どうやったら仲良くなれるのか――そんな問いを抱きながら、彼は日々、微細な変化を観察している。


 ある日の夕方、再びゲルダ族の子どもたちが村の近辺に来ていた。今度はディアルだけでなく、村の少年少女も一緒に集まり、小さな“遊び”のような時間が生まれる。お互いが自分の文化にある遊びや競争を試してみるが、言葉が通じないせいで意図が伝わらず、ちょっとした言い合いになる場面もあった。

 それでもディアルが間に入って、「こうすればどう?」と身振り手振りを交えながら提案すると、そこから不思議と笑いが生まれて問題が解決することがある。これは前世でサッカーをやってきた経験が大きい。自分たちと違う仲間が加わったときにどう連携するか、また衝突が起きたときにどう落とし所を見つけるかを、ある程度“肌感覚”で理解していたのだ。


 周囲の大人からすれば、昔ながらの方法で交流し、必要であれば距離を保ってきた部族との間に、こんなに積極的に関わろうとする子どもがいるのは珍しいことだった。ディアルがほかの子よりも少し際立って見えるのは、やはり前世由来の思考と知識が働いているせいかもしれない。

 ある夜、イシュヴァルとリィアがしみじみとした表情で言葉を交わしていた。「ディアルは、やはり少し変わっているわね。あの子どもらしさもあるけれど、時々大人のような目をしている」「部族同士の関係なんて、大人でも苦労するくらいなのに、あの子はそれを自然にやろうとしている」。

 その会話を小耳にはさんだディアルは、正直少しだけ恥ずかしかったが、同時に“自分にしかできないかもしれない”という気負いも芽生える。いつかこの大陸に広がる多様な部族と、その文化を理解し合える日が来るのだろうか――そう考えると、知識欲がますます燃え上がっていくのを感じた。


 村の長老や巡回神官が来る時には、ディアルは積極的に質問を投げかける。たとえば「ゲルダ族はどういう風に暮らしているのか」「交易のルールがほかにもあるのか」「昔の言い伝えでは部族間の紛争はどう解決していたのか」など――大人でも答えに困るような問いを次々に発するため、周囲からは「その若さで何を目指しているのか」と半ば呆れられるほどだ。

 だが、その一つひとつがディアルにとっては大切な疑問であり、前世で得た本好きの探究心をくすぐるテーマでもあった。将来的に、大陸全体のことをもっと知りたい、いろんな地域を見て回りたい――そんな淡い憧れを抱きながら、彼は“いま自分ができる学び”に全力を注いでいた。


 前世の高校時代、黒木遼という存在だったときに抱えていた“どこか周囲に流されがち”な性格は、この世界での少年期を経て、少しずつ変化しつつあった。自分から疑問を発し、答えを得ようとする姿勢は、ある意味で前世で成し得なかった“自主的な選択”へのチャレンジだといえる。

 部族交流という視点から見れば、ディアルの行動はまだ子どもの遊びの域を出てはいない。しかし、言葉の壁や風習の違いがあるにもかかわらず、それをなんとか乗り越えようとする小さな努力は、やがて周囲を少しずつ動かし始める。たとえば「子どもたち同士なら、争いごとより先に共通の遊びを見つけられるんじゃないか」という発想を大人たちに与えることにもつながっていくのだ。


 こうした経験を通じて、ディアルの中には“もっとたくさんの部族や地域を知りたい”という願望がますます強く根を下ろしていく。自分たちの村の常識が、きっと世界の常識ではない。戦いや衝突を嫌うなら、互いを理解するための手立てを増やすしかない――そうした考えが自然と育っていった。

 そして何より、ディアルは自分に宿る“異世界で生きる転生者”としての知識と経験を、もっと形にして役立てたいと思うようになっている。ファンタジー要素としての魔力や精霊に関しては、まだ深く触れられる状況ではないものの、いずれその力が大きく動く場面が訪れるかもしれないという漠然とした予感もあった。


――こうして小さな村の少年期を経て、ディアルは少しずつ外の世界へ目を向けはじめる。隣り合う部族との触れ合いをきっかけに、言葉や文化の違いを肌で感じながら、その先に広がる未知の大地を夢見る日々。前世でのサッカー経験や読書経験が支える“柔軟な思考”は、この世界でさらなる飛躍の糧となるのだろうか――。それを知るのは、まだ少し先の未来のことだった。


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