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7:成長

 ディアルが歩き始める頃には、両親の会話や村の人々とのやり取りを聞いて少しずつ言葉を覚えるようになっていた。赤子としての時期こそ長く感じられたが、言語を学び取るスピードは周囲が驚くほど早い。前世で日本語という言語を使いこなしていた“記憶”が、どこかで働いているのだろうか。

 もっとも、母リィアや父イシュヴァルが話す言葉は日本語とはまったく異なる響きだ。それでもディアルは、単語を聞いて自分で口を動かし、少しでも近い発音を探ろうと試みる。はじめは「パパ」「ママ」のような幼児的な言い回しだったが、日を追うごとに正確な言い回しへと近づいていく。どうやら彼の頭の中では、“未知の言語を推測しながら真似する”という作業が自然と行われているらしい。

 イシュヴァルは息子の成長を見守りながら「やけに呑み込みが早いな」と笑い、リィアも「そのうち長老の知恵も追い越すんじゃないか」と冗談めかして言う。家族のあたたかな空気に包まれ、ディアルは言葉を身につける喜びと、この世界で“生きている”実感を少しずつ膨らませていった。


 前世で本を読むことが好きだったディアルは、こちらの世界でも不思議なほど“字のあるもの”に興味を示した。もっとも、ディアルの暮らす村には、書物らしい書物はほとんど存在しない。読み書きを教えられるのは、隣村から来る巡回神官や長老のように学識をもった一部の人間だけだ。

 それでも、村にわずかに残されている“古い書き付け”や“伝承の記録”に目を向けるうちに、ディアルは簡単な文字を覚えるようになっていく。最初は父イシュヴァルが仕事で使っている木簡――小さな木の札に文字や印を刻んだもの――に興味を示し、そこに刻まれた記号のような字がどういう意味をもつかをしつこく尋ねた。

 自分で書いてみようと木炭片を握れば、幼いながらにも何とかその形を真似する。まだまだぎこちない線だが、記憶力の高さもあって一度教えられた文字はすぐ頭に入るようだ。周囲の大人からは「こんな小さな子が、もう文字を読み書きできるのか」と驚かれることも多く、リィアやイシュヴァルはまるで誇らしげにディアルの努力を見守っている。


 ディアルの家では、朝になればリィアが台所で簡単な朝食をこしらえ、イシュヴァルが家畜の様子を見に外へ出る。ディアルは、いずれ自分も手伝えることが増えていくだろうと期待しつつ、今はほんの些細な用事を任される程度。たとえば、食卓の周りを掃くとか、乾燥させた野草を分類するとか、そういった雑事を嬉しそうにこなしている。

 村の子どもたちは大体、5歳くらいから簡単な畑仕事や家畜の世話を手伝い始めるという。ディアルはまだそこまで行かないものの、早め早めに色々覚えていきたいという意欲があるようだ。両親や村人に「これは何?」「どうしてそうするの?」と積極的に質問を繰り返す姿が目立ち、周囲は「本当に物好きな子だ」と冗談交じりに評するが、そのまなざしはどこか温かい。


 前世でサッカーを愛好し、県予選準決勝までチームを導くほど活躍していた黒木遼。転生後のディアルはまだ幼いとはいえ、その運動感覚はどこか常人離れした片鱗を見せる。たとえば、子どもながらに重たい桶を運ぶときも、足元を巧みに踏みかえてバランスを崩さない。ときどき村人の手伝いで外に出れば、不安定な地面でもつまずきにくい。

 狩猟に使う小さな網や弓矢はまだ持たせてもらえないが、父が指導する“棒切れを使った動き方”を学ぶ段になると、ディアルはわずかに身をかがめて棒を構え、動物の動きを先読みするように身構える。もちろん、実際に狩りをする段階には至らないが、「相手がどう動くかを考えて先回りする」という発想は、サッカーで培った戦術眼に近いものだ。本人は自覚していないが、こうした反射的な判断力や身体バランスは、前世の経験がしっかり根付いているのかもしれない。

 両親も「この子は何か変わった才能があるのか?」と首を傾げることがあるが、ディアルがどこで学んだわけでもなく自然に身につけているため、その答えは謎のままだ。


 ディアルが5歳を迎えるころには、言葉のやりとりにまったく不自由を感じないほど上達していた。いくつかの難しい単語――たとえば北方の狩猟民との呼び方や、村人と他所の集落の違いを示す語彙など――にも挑戦し、会話の中で間違わずに使いこなそうとする。その姿を見た隣人の老婆は「まるで長老の昔話を聞いているみたいだ」と感嘆の声を漏らした。

 さらに驚かれたのは、文字の読み書きを吸収するスピード。巡回神官が村へやって来る際、たまに“聖典”と呼ばれる書物を携えているのだが、ディアルはそれにも興味津々で、「そこに書いてあることを教えてほしい」と積極的にすがりつく。神官は最初こそ面倒くさそうにしていたが、あまりにも熱心な眼差しにほだされて、基礎的な読み書きの手ほどきを教え始めた。

 ディアルの脳内には前世の読書体験と、日本語や英語の基礎知識が断片的に残っている。しかし、それらを直接この世界の文字理解に活かすことは難しい。それでも「文章を目で追い、意味を推測する」というプロセスそのものは彼にとっては慣れた行為であり、だからこそ短期間で文字を覚えられるのだろう。周囲はこれを“天才”と呼びたがるが、ディアル本人としては「前世で培った勉強の要領を思い出しているだけ」の感覚に近かった。


 生活環境は厳しくも暖かい大平原の小さな村。ディアルが日常の中で感じるのは、家族を愛し、村人と助け合いながら、自然と共に生きるということだ。食糧が乏しい季節には、皆で分け合いをしたり、近隣の集落まで遠征して物資を交換したりする一方で、天候に恵まれれば一気に収穫期を迎える。そうした上下の差が激しい暮らしを幼いながら目の当たりにし、“地道な準備”や“周囲との連携”の大切さを実感している。

 また、時おり父や近所の青年たちが近隣部族との摩擦を警戒するときには、ディアルも張り詰めた空気を感じ取る。いつ危険が起こってもおかしくはない――そういう緊張感に包まれた環境であっても、彼はむしろ“どうすればみんなが争わずに済むか”を考えるようになった。前世でサッカーを通じて学んだ“相手の状況を読む”という思考法が、ここでも無意識のうちに役立っているのかもしれない。

 ディアルがこの世界へ生まれ落ちてから、およそ5年。彼の心には、「もっと学びたい」「もっと多くの知識を得たい」という強い意欲が芽生え始めていた。文字を覚え、村の仕組みを知り、いずれは狩猟や農耕の手伝いも本格的に行うようになるだろう。何より、この世界に“転生”した意味を考えたとき、彼はまだごく浅い答えしか見いだせていない。

 しかし、この少年期の日常こそが、後々のディアルにとって強固な“基礎”となる――家族の愛情、村人との交流、そして自然の厳しさと恩恵。そのすべてを素直に受け止める感性が、やがて自分を大きく成長させる糧になるのだと、彼はうすうす感じていた。


――こうして幼いディアルは、言葉と文字を吸収しながら、村の日常に溶け込みつつも、どこか大きな夢や好奇心を胸に秘めて少年期を過ごしていく。サッカーで培った運動感覚や瞬時の判断力が、いつしかこの世界の狩猟や農業に“形を変えて”活かされる日が来るかもしれないことを、誰もが期待しているとは知らぬままに。


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