表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/27

6:幼き日々

 ディアルが生まれ落ちた世界は魔力や精霊が息づき、多くの部族や集落が点在する点で、ディアルの知る地球とは大きく異なっていた。北部は厳しい寒冷地帯が広がり、雪と氷の世界が長い冬を司っているという。一方で南部へ向かうほど温暖な気候となり、大河に沿って豊かな農地が開けている。東部は湿潤で雨も多く、高木が生い茂る森や沼地が存在し、西部には切り立った大山脈や高原が連なるのが特徴だ。


 ディアルの両親、イシュヴァルとリィアは、大陸のほぼ中央部に近い位置にある大平原地帯の端に住んでいる。周囲は一面の草原が広がり、土地の一部を耕作しては麦のような穀物を育て、合間には家畜を飼うなどして生活を成り立たせていた。とはいえ、彼らの村は大平原の中心にポツンとあるわけではなく、少し北寄りの丘陵に差しかかった辺りにある。平地の気候に比べると、若干寒さが厳しいこともあって、作物の収穫量は多くはないらしい。


 生後しばらくのディアルには、村の外を見渡す機会はまだ限られている。それでも、両親が会話の中でしばしば“草原”や“狩りの獲物”について話すのを聞くことで、生活の基盤を推測できるようになった。どうやらこの村の周辺には大きな森は少なく、穏やかな起伏のある土地に、背の高い草が風になびいているのが日常の風景らしい。

 農耕に頼りきるだけでなく、イシュヴァルは小さな弓や罠を使って野ウサギや鳥を捕ることもある。村人の中には移動に馬を使う者もいて、定期的に隣の集落との間を往復し、物々交換のような形で物資をやり取りするらしい。ここには貨幣は存在するようだが、まだ十分には流通していないようで、農作物や毛皮を直接交換することが多いようだ。


 この村の周辺には、別の血統や文化をもつ部族がいくつも暮らしているらしい。ときには交易や技術の情報交換で協力し合うこともあれば、狩りの領域や放牧地を巡って衝突が起こることもあるという。特に、大平原を自由に移動する“遊牧民”に近い部族との関係は、常に微妙なバランスの上に成り立っているようだ。

 イシュヴァルが弓を手入れしながら「また北の集団が近くに来ているようだ。村長が警戒を強めろと指示している」と母リィアに話しているのを、ディアルは赤子ながら耳にする。その口調は険しいというより、あくまで“必要な備え”としての冷静さを帯びていた。まだ戦闘になるほどの切迫感はないようだが、この地域が完全に平和というわけでもないのだと、ディアルはそこで初めて悟る。


 実際にディアルが外に連れ出されるのは、天気のいい日にリィアが日光浴のつもりで抱きながら散歩をするときくらいだ。母親の腕の中で村の風を受けると、大平原らしい広大な景色が目に飛び込んでくる。遠くには薄い緑色の大地が果てしなく伸び、その先の方は地平線と空が溶け合うようにして見える。

 風は時に冷たく、時に日差しが強烈だが、あのサッカーコートしか知らなかったディアルにとってはすべてが新鮮だ。赤子の身体では自由に動けない分、視界の広がりが自分の世界観を変えていくような感覚がある。


 ディアルの暮らす村では、おおむね農耕が主だが、狩猟も無視できないほど重要な収入源となっている。特に家の中には弓や革製の道具、獣の毛皮が何枚もあり、村人たちの話し声から察するに、野生の動物を捕ることも生活の糧になっているのだとわかる。

 前世の日本での知識と照らし合わせれば、こうした狩猟をする生活様式は相応にリスクもある。しかし、人々は魔力や精霊の存在を感じ取りながら、そこに何らかの加護を期待しているフシがあるらしい。ディアルはまだ多くを理解していないが、この世界で生きる上では“自然や見えない力との共存”が欠かせないのだろう。


 大平原は夏場には穀物がよく育ち、家畜も伸び伸びと放牧できるという恩恵をもたらしてくれる半面、冬の冷え込みが激しくなると地形が防風を遮ってくれず、厳しい環境にさらされる。村人たちの会話を総合すると、この地域ではちょうど秋と春の短い時期に大雨や突風が起こることが多く、家の修繕や家畜を守る工夫が欠かせないらしい。

 それだけに、村には昔から“大平原の神々に捧げる祭儀”のような行事があり、悪天候を和らげてほしいと祈る風習があるとのこと。赤子のディアルが祭りに参加するのはまだ先になりそうだが、両親の会話からは、村の人々が自然に畏敬の念を抱きながらも共に生きている姿勢が伺えた。


 ディアルが生まれてから、早くも半年ほどが過ぎようとしている。とはいえ人間の発育としてはまだ言葉を話すには程遠い段階だ。周囲の世界を少しずつ理解し始めたとはいえ、まだ主体的に動くことはできない。ただし赤子特有の好奇心は日に日に強まり、両親や村の人々の行動を目で追う時間が増えた。

 前世の知識を頼りにして何かをしたいと思っても、その願いを実現するには身体の成長を待たざるを得ない。ディアルは、その焦りと同時に、自分が赤子として人生をやり直しているのだという不思議な感覚を改めて噛みしめる日々を送っていた。


 そんなある日、イシュヴァルが帰宅するのが少し遅れる。リィアが気をもんでいると、帰ってきたイシュヴァルは「北の部族が大移動しているらしい。幸いここまで険悪な雰囲気にはなっていないけど、しばらく警戒だな」と報告した。どうやら大平原を横断する彼らが村のそばを通ることで、ちょっとした摩擦が起きる可能性があるのだろう。

 こうした小さな不安は、村人の間で暗黙のうちに共有されていた。赤子のディアルにも両親の声色や振る舞いから緊張感が伝わってくる。そうした状況でも、村は日々の農耕と狩猟を続けなければ生きていけない。ディアルは「この世界で自分が何をしていけるだろう」と、幼い思考のままに考える。もちろん体は赤子だから何もできないが、それでも“知りたい”という意欲だけは静かに燃えていた。


 こうして大陸の中央部、大平原地帯寄りの一角にある小さな村に暮らしながら、ディアルは少しずつこの世界の“風土”を肌で学び取っていく。農耕、狩猟、他部族との緊張関係――それらが当たり前のように受け入れられている一方で、魔力や精霊といった要素も日常に溶け込んでいることが見て取れる。

 大平原の風が吹き抜け、草木が揺れる音を子守唄にしながら、ディアルはやがて目を閉じる。赤子の眠りは深く、無防備だが、それでも彼の心の奥底では静かな決意が芽生え始めていた。いつか自分がこの世界で言葉を話し、走り、何かを成し遂げられる日はやってくる。そのときには、この雄大な大地を自分の足で踏みしめ、前世とは違う人生を本当の意味で“切り開く”のだと――。


――こうして幼きディアルは、大陸の風土と人々の息づかいを知らず知らずのうちに吸収しながら日々を過ごしていく。ここが彼のスタート地点であり、やがて数奇な運命を辿る物語のプロローグに過ぎないことを、誰もまだ知る由もなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ