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3:痛恨のファウル

 時計の針が残り数分を指し示すころ、星稜館高等学校イレブンは文字通り総力戦の守りを続けていた。相手は強豪・清瑞高校。前線からの強烈なプレスはなおも衰えを見せず、中盤での球際は激しさを増すばかりだ。

 スコアは0対0。もはやお互いに疲労は限界に近く、ピッチ上の選手たちは気力だけで動いているようにも見える。観客席からは、後半アディショナルタイムへ近づく焦燥感と、どちらのチームが先に崩れるかを見極めようとする熱気が渦巻いていた。

 「あとほんの少し……!」

 黒木遼は心の中でそうつぶやきながら、必死に足を動かす。県予選準決勝、格上の清瑞を相手にここまで同点に持ち込めたことは大きな価値がある。だが、ここで踏ん張り切れるかどうかが勝敗を分ける――その事実に、黒木も仲間たちも心を研ぎ澄ましていた。


 ベンチからは「落ち着いていけ!」という顧問の声が聞こえる。キャプテンの佐竹も後方で必死にラインを整え、チーム全体がPK戦を視野に入れて守りを固める作戦だ。

 一方、清瑞はアタッカー陣を入れ替えたり、足の速い選手をサイドに配置したりして攻撃のバリエーションを増やしてきている。その動きはまさに総仕上げだ。ここで1点を奪えば、勝利を手中に収められるという確信があるのだろう。

 黒木はボランチの位置で最終ラインとの距離を測りながら、近づいてくる敵のフォワードに目を配っていた。頭の中では「守り切ってPKへ行く」というチーム方針と、「このタイミングでもしボールを奪ったら、逆にカウンターを狙えないか」という野心が入り交じる。


 後半残りわずか。身体の疲労は明らかに限界を超えかけており、黒木の呼吸は荒い。それでも勝ちたいという思いがその足を動かす。「今の状態で攻撃を仕掛けるのはリスクが大きい。だが、ずっと守りに徹していても、いつかは相手に決定機を作られてしまうかもしれない……」

 黒木は自分の中にある葛藤を押さえつけるように、守備のためのポジショニングを改めて確認する。ボールを持った相手ボランチがぐっと前に運んできたとき、松田がスライディングでブロックしようと突っ込むも、わずかにかわされてしまう。瞬間、黒木は強く足を踏み込み、スペースを切るように横から体を当てにいった。

 このプレー自体はファウルもなく、上手く相手のドリブルコースを塞ぐことに成功。しかし、相手の攻撃意識は衰えない。清瑞の選手たちはセカンドボールを素早く回収し、再び星稜館の守備陣を突き崩そうと試みる。心臓が破裂しそうになるほどの緊迫感が、ピッチを覆っていた。


 相手FWへの縦パスが通った。エースストライカーが振り向きざまにシュートを打つが、キーパーの山下が横っ飛びでかろうじて弾き出す。跳ね返ったボールに再び相手が反応し、ペナルティエリア手前で粘り強いキープ。星稜館の選手たちはこぼれ球を必死にクリアしようと集まり、ゴール前は大混戦となる。

 黒木もゴール方向へ急いで下がり、敵に自由を与えないように圧力をかける。誰かが大きく蹴り出してくれれば助かるが、ボールは相手DFや中盤からの押し上げで密集地帯に落ち、容易にはクリアできない。まるで押しくらまんじゅうのように身体同士がぶつかり合う中、互いにファウルスレスレの攻防が繰り広げられていた。


 密集の中から、ぽんとボールがこぼれる。黒木はそれにいち早く反応し、足を出した。自分が先に触れば、なんとかクリアできる――だが、わずかに遅れた。相手の攻撃的MFが一瞬早くボールを触り、身体で黒木の進路をブロックする形となる。

 「やばい!」

 黒木はそう思ったときには、すでに体勢を崩していた。半ば反射的に足を伸ばすような動作となり、どう見ても正当なタックルとは言いづらい格好になってしまう。相手選手が倒れ込み、鋭いホイッスルの音がピッチを裂いた。


 主審は即座にファウルを宣告し、ペナルティエリア内でのプレーと判断。つまりPKだ。黒木は目の前が一瞬、真っ暗になったように感じた。これまで必死に繋いできた試合の流れを、終了間際で自らのファウルによって崩してしまったのだ。

 相手選手はピッチに倒れこんだまま起き上がれず、清瑞の選手たちからは「PKだろ!」「怪我させる気かよ!」という怒号が飛ぶ。星稜館の仲間は何とかレフェリーに食い下がって「今のは仕方なかった」「ボールを狙いにいっていた」と主張するが、流れは変わらない。PK献上という重い現実が目の前に突きつけられた。

 「ごめん……」

 黒木はがくりと肩を落とし、誰にともなく謝罪の言葉をこぼす。佐竹が慌てて駆け寄り、「まだ終わってない。キーパーが止めるかもしれない!」と声をかけるが、黒木の胸は鉛のように重くなっていた。


 スタンドが騒然とする。これまで「PK戦狙い」で来た星稜館にとって、痛恨の極みだ。今ここで相手のPKが決まれば、試合は事実上勝負ありと言ってもいい。しかも試合終了まで残り時間がごくわずか。延長戦に入る可能性はほぼ消滅するだろう。

 黒木はペナルティマークに置かれたボールと、相手チームのエースFWの背中をぼんやりと見つめていた。自分の行為によってチームがこの状態に追い込まれたという事実が、痛いほど胸に突き刺さる。緊張なのか後悔なのか、自分自身でもはっきりしない感情に身体が震え、視野が狭まっていく。


 キーパーの山下はボールの行方を冷静に見極めようと、ゴールライン上で足踏みをしている。観客席からのプレッシャーは最高潮。「止めろ!」という声と「決めろ!」という声が入り混じって、ピッチ上の空気が熱を帯びる。

 「なんとか止めてくれ……!」

 心の底からそう願いながらも、黒木は自分のファウルの重大さを責める思いを消し去ることができなかった。ふと視線を落とすと、靴紐がやけに汚れているのが目に入る。普段なら気にしない程度のことが、妙に気になる。それほどまでに思考がまとまらず、現実感が希薄になりかけているのだ。


 相手FWがゆっくり助走を取り始める。黒木はまるでスローモーションを見ているかのような感覚に襲われた。心臓がバクバクと鳴り、呼吸が浅くなる。

 ――蹴り込まれたボールが、ゴールへ一直線に飛び込む未来が見えるような気がした。そのとき、黒木の意識の片隅から、思わず言葉があふれ出る。

 「……1分前に戻りたい……」

 なぜそんな言葉が口をついて出たのか、自分でもわからなかった。けれど、それは切実な本音だった。ほんの少し時間を巻き戻せるなら、あのファウルを避けたかった。そうすれば、この絶望的な状況に陥ることはなかったはずだ。


 相手FWの足がボールに触れ、ゴールへ向けて弾き出す――その瞬間、黒木は視界が急に白んでいくのを感じた。まるで照明が一斉に落ち、自分だけ真っ暗な闇の中へ飲まれたかのようだ。

 「え……?」

 不意に身体から力が抜け、意識が遠のいていく。耳をつんざくようなスタンドの歓声が、まるで水の底から聞こえるように遠ざかっていった。ボールの行方を見届けようにも、もう何も見えない。もはや時間の流れさえ、自分の感覚から消え失せてしまった。

 まるで夢の終わりに落ち込むように、黒木の意識は深い闇へ沈んでいく。自分が一体どうなったのか、それを理解する間もなく、彼は“試合の舞台”から姿を消すかのように意識を失ってしまった。


――こうして県予選準決勝の終了間際、黒木遼が呟いた「1分前に戻りたい……」という言葉とともに、運命は大きく動き出す。星稜館のイレブンや観客席が見守る中、地上ではボールがゴールへと吸い込まれようとしていたが、その先を見届けることなく、黒木の中からは光が消えていったのである。


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