8_落ちた理由
魔道具の問題が落ち着いたので、みんなで食事を再開した。冷めきったスープを温め直すと、彼がほっと「やっぱり温かいものっていいね」と息を吐いた。
「もしかして、普段温かいものを食べてないの? スープは自分で作るって言ってたけど……なんとなく、研究者や職人って寝食を忘れがちよね」
魔導士であるロズじいさんもその傾向があるので心配だった。
エリスの案ずるような視線に、アシュレイは気まずそうな顔をする。
「じ、実はそうなんだよね。つい夢中になると忘れちゃって……なんだか自分が意識だけで突き進んでいるみたいな感覚になってて……」
「やっぱり……」
彼は細身なので、倒れないか心配だ。
「あ、でも、こうしてふとした時に体の重さを思い出すようなことがあって……ああ、だからさっき落ちてしまったのかも」
「?」
研究者らしき彼の思考回路は難しい。
首を傾げるエリスに、彼が困ったように笑う。
「君と目が合った瞬間、自分が風や世界を通り抜けていくものじゃなくて、形と重さのある人間だってことを思い出してしまったから。……だから、飛べなくなってしまったのかもしれないなって」
彼は、どこか寂しそうな顔をした。
エリスがうまくそれを理解できずに黙っていると、「わかるぞ」と細身のロズじいさんは目を細めた。
「儂なんぞいつも身体が不調だからのう、頭がずきずきと痛めば血管の存在を実感するし、脚がこむら返りをしてしまえば、ここに収縮する筋肉があるのだなと思う。日々、自分の身体の実在と重さを実感しておるよ。……なんでも魔法で扱えると思っておると、たまにしっぺ返しに遭う。儂も若い頃、似たようなことがあった」
「……よくわからないけど、それって良いことなの? 悪いことなの?」
エリスが訊くと、二人とも首を傾げながら、「まあ、仕方ないことだから」という不思議な回答だけを残した。
全員食べ終わったので皿洗いをしようとすると、「だめじゃ」とロズじいさんに止められた。
「エリス、お前さんは訓練じゃ! 次は、お上品に扇子を開く練習じゃ!」
「ええー? また淑女の特訓? お客さんが来てるのに?」
マルスじいさんも、「うん、うん」と言いたげに頷いて、エリスから皿を取り上げた。
「時間は有限だ。食事はみんなでゆっくりとするべきだが、他の時間はなるべく自分磨きに使うんだ。あとでお前さんが困ったら大変だ」
「……扇子を開く練習とか絶対いらないと思う」
「必要になるかもしれないじゃろ!」
ロズじいさんが主張する。
三人の様子を見て、アシュレイは首を傾げた。
「? 何の練習をしているの?」
「お上品な振る舞いをする練習。……ああ、ええと、伯爵家でしばらくお世話になるから」
養女になる、と言ってしまえば、「どういうこと?」となりそうだから言わなかった。
「侍女とかになるの?」
「まあそんなところかしら」
「……侍女って、エリスがやりたい仕事? 魔道具研究所とかどう? 僕の所属しているところでも、今ちょうど書類を整頓してくれる人を探してて」
「あ、ごめん、あのお屋敷じゃないと意味がないから」
「……そっか」
ロズじいさんはお構いなしに喋り続けた。
「ダンスは伯爵家で教えてもらうんじゃぞ。ここで出来ることは全部やっておかんと時間が足らんからな!」
「時間が足りないのは誰のせいよ! 急な話だったから仕方ないじゃない!」
「なんじゃと、これが反抗期か!?」
「正当な怒りですけど!?」
叫んでいると、「侍女ってダンスの練習も必要なの?」とアシュレイが不思議そうにした。
「え、ええと……」
たしかに、侍女には要らない気がする。
すると横からロズじいさんが「ほら、高貴な方に見初められるかもしれんじゃろ!」と余計なことを言った。
「……」
アシュレイは困惑しているようだった。エリスは妙な羞恥が心に湧き上がる。
――そんなふうに玉の輿を狙っているだなんて、この人には思われたくない。
(いえ実際、皇子様をたらしこんで国宝をおねだりする予定だけども!)
エリスが顔を真っ赤にしていると、静かにアシュレイが訊いてくる。
「……エリスは、そういうのが夢? 高貴な人に見初められるのが憧れ?」
「いえ、全然! じいちゃんたちが勝手に言ってるだけだから! ぱぱっと仕事して、ぱぱっと帰ってくる予定よ!」
「帰ってくるんだ」
あきらかにほっとしたように彼が息を吐く。
「そう、短期の予定なの!」
「……そっか。あの、森に戻ってきて時間ができたら、僕の東支部にも遊びに――いや、街とか近くまで来る用事があったら教えてくれないかな……? 今度は僕が案内する。……ううん、やっぱり、僕がまたこの森に遊びに来てもいいかな? その、年も近いし、植物のこととか色々……一緒に話せたら嬉しいなって」
「もちろん。東支部宛てに手紙を書くわね」
アシュレイがちらりと老爺たちを見れば、老爺たちも嬉しげに頷いていた。
植物の話ができるならエリスとしても嬉しい。今まで同世代とほとんど話せなかったのだ。知り合いが一人できるだけでも幸せな気持ちになる。
(こんなふうに過ごせるのも、連れ出してくれたじいちゃんたちのおかげね。……うん、そういう意味では、やっぱり恩を返さないと)
エリスは静かに、伯爵家に行く決意を固めたのだった。