4_森での邂逅①
とりあえずエリスは、一週間後に伯爵家に行くための準備をすることになった。
なにやら近々、城で舞踏会が開かれるという。しかも噂では『運命の乙女』をみつけるための夜会らしい。帝国側としても、そろそろ運命の伴侶を見つけたいということだろうか。
(運命の乙女が令嬢とは限らないでしょうに)
いっそ大陸各地を回ったほうが出会えるのではないだろうか。
まあエリスとしても、皇子のどちらが魔法救皇なのかを見極めに行けるチャンスがあるのはありがたい。「私が運命の乙女です」とは名乗らずに、皇子を観察して帰ってこようと思っている。
レッスンだと言われて、まっすぐな姿勢を保つ練習をさせられながら、老爺たちの会話を聞かされた。
「そういえば、近々この森に国家魔導士が来るとか言っておったな。集落の方に手紙が来ておった。この森には誰も住んでいないことになっておるからの、好きに研究してくれと言ったそうじゃ。薬草目当てじゃろうな。薬の発明はよいことじゃ」
「ふうん、協力するんだ」
帝国に宝を持っていかれたが、手当たり次第に恨んでいるわけではないようだ。
「そういうわけでエリス、もし森の中で出会っても、この小屋で儂らが国宝泥棒を企んでいることは言わんでくれよ。まあ、集落の者もこの森を歩いていることがあるから、儂らと出会っても村人だと思われるだけじゃろうが」
「森の中の案内はしてあげないの?」
もし薬草の研究がしたいなら、現地民の案内がある方がいいだろう。珍しいキノコもある。大抵は地面にできるのだが、木の高いところにできる稀少なものもある。
「必要なら集落の方に声を掛けるじゃろう。手紙もそっちに来てたしのぅ」
「そっか」
エリスはその後も、『伯爵令嬢』になるべく謎の特訓を受け続けた。
◇◇◇
夕方、晩御飯のスープに使いたい食材を採るついでにエリスは森を散歩していた。森は広いので、そう簡単には研究目当ての国家魔導士とやらと会うこともないだろうが、なんとなくどんな人かは見てみたいと思って、少しきょろきょろと探したりもした。
(……この辺のキノコとか欲しくないかしら。いえ、研究者なら知ってるわよね。集落の人にも聞いたかもしれないし、自分で採るかも)
この二ヶ月で慣れた木登り技術で、高い木にのぼって、キノコを一つ二つと採取する。魔力を帯びた胞子は風に愛されながら高い枝に宿り、獣に襲われずに大きく育つ。これを煎じると、老人の身体に良い健康増進薬ができるのだ。動悸や息切れに効くらしい。
(服従の腕輪なんてつけられたけど……一応恩人だし)
あの二人には長生きしてほしいと思っている。
さて木から降りようと籠から顔を上げたとき、ふいに、影がかかるのを感じた。上空を何かが横切ったらしい。鳥かと思って見上げたが、箒で飛ぶ人間が見えた。
(え、まさか飛行魔法!?)
現代の弱い魔導士でそれができる者はかなり稀だ。それだけで国からスカウトが来るレベルだ。そして大抵は「やってみせることはできるけど、疲れるからずっとは飛ばない」というレベルらしい。
それなのに、その人物は平然と飛んでいる。黒いローブは魔導士の象徴だ。研究に来ると言っていた国家魔導士だろう。上空をすっと過ぎていって、ふいに止まり、周囲を見渡してから、また飛んでいく。
(もしかして……迷子?)
数分ほどエリスはそれを見ていたが、かなり広い範囲を行ったり来たりしているようだった。地図を広げている姿も見た。体格は細身だが、それなりに身長があり、若い青年だろうと思えた。かなり遠いが、感情も少し視える。少し困ったような白いふわっとした雲が彼の周りを漂っている。
(助けが必要かしら)
だが彼の位置からは、エリスは木の枝の影になっていて見えないだろう。声も届くような距離とは思えない。
「おーい!」
一応、声を出してみたり、白いハンカチを広げてみたりしたが、彼は気づく様子はない。
(ええと、他にどうすればいいの……? 鏡で反射させるとか? でも鏡は無いし……)
となると、このハンカチでどうにかするしかない。
(飛ばせるかな……)
エリスは風魔法を少しだけ使えるが、彼の視界に入る高さまで届けられるかどうかは自信がない。
「……まあ、やってみるか」
昔のエリスだったら、無駄になりそうなことや、自分の無力さを再確認しそうな行動はしなかった。だが、老爺二人にこの家に迎えてもらってからは、少しずつだがそういう「やってみるか」という気持ちを持てるようになったのだ。
ふわり、と風に乗せて白いハンカチを上空に舞い上げていく。ふらふらと危ういコントロールではあったが、なんとか彼の少し下まで届けると、青年らしき魔導士は、気づいたようですぐにハンカチに近づいた。エリスはそっとハンカチの高度を下げ、少しずつこちらに導くように、ハンカチを自分の方に戻していった。
彼の視界にエリスが入る頃になると、彼は「あ」と言って、ハンカチをキャッチして、すっと箒で飛んできた。
国家魔導士の黒いローブを着て、目深にフードを被った、そう年の変わらない――十八歳くらいの青年に見えた。前髪が長めの黒髪で、瞳の色はまだよく見えない。
ぱちり、と目が合ったとき――がくん、と彼が一気に落ちた。
「!?」
ぎょっとしてエリスは彼に手を伸ばす。
彼の手を掴むことができたが、もう片方の手で枝を掴んだところで、二人分の体重を支え切るなど不可能だった。どうして君まで、と言うように青年の紫色の瞳が見開かれる。
(――だめだ、耐えきれない!)
枝は折れ、二人で真っ逆さまに落ちる。
急速に移り変わる視界の中、バチン、バチン、と雷のような、痛烈に明滅して破裂するような音を周囲でいくつも聞いた。彼の焦る感情が見えているのか、魔法なのかわからない。
彼は繋いだままのエリスの手を引き寄せ、ぎゅっと庇うようにエリスを抱き込んだ。エリスは必死に風魔法で衝突を少しでも緩和させようとするがまったく足りない。
「もっと風魔法を!」
声に出して強く望んだ時――ふいに、ふわっと一瞬浮いた。
「!」
そして、どしん、と落ちたが、決して死ぬような高さではなかった。
「だ、大丈夫!?」
黒髪の青年が慌ててエリスに訊く。至近距離で見る瞳は、とても綺麗な紫色だった。まるで宝石のように澄んでいる。前髪が長くて隠れているが、顔の造形もかなり美しい人だと思えた。
「私は大丈夫――あなたこそ下敷きで――」
「君こそ、本当にどこも怪我してない!? 巻き込んでごめん、痛いところない!?」
心配そうに覗き込まれて、彼の瞳に自分が映るのが見えた。まじまじと見てしまうと、彼の顔が赤くなって、すごい速さで目を逸らされる。
「あ、あの、えっと、僕、いや俺、あ、あの」
真っ赤になって、見事に狼狽え出している。ぶわっ、ぶわっ、と彼の周りに、彼の感情らしきものが溢れるのが視える。ものすごい勢いで焦っているようだ。
「あ、ごめんなさい。……そろそろどきますね」
彼の上に乗っかったままだと気づいて横に身体をずらす。彼はさらに「いえ、あの……」と、両手で顔を覆っている。頼むから見ないでくれと言いたげだ。女性が苦手なのだろうか。そんな彼の顔を覆う手の甲に切り傷を見つけた。枝にでも引っかけたのだろう。
「左手、お怪我してますね。手当てしないと」
エリスの言葉に、彼はそっと手をずらして、左手の甲を見る。
「あ、大丈夫……これくらいすぐ治せるから……」
彼が右手をかざせば白い光が発せられた。治癒魔法だろう。傷がすんなりと塞がって、もうどこに切り傷があったのかわからないくらいだった。
(すごい……)
治癒魔法は誰でも使えるわけではない。やはり彼は力のある魔導士のようだ。
彼はほっと「良かった、使えた」と呟く。
それから上空を見上げて、
「ここ、侵入者向けの結界魔法とか掛かってる……?」
と言った。
「え、どうでしょう……私にはわかりません」
隠れ家はあるが、普段からそういう措置をしているかは聞いていない。
「そっか。……攻撃魔法と間違われたのかなと思って。侵入者の魔法を使えなくする魔道具とかあるから……事前に手紙は出したんだけど」
「もしかして、それで落ちてしまったんですか」
「たぶん……?」
彼は首を傾げる。ぽや、と疑問を持っているときに視える雲みたいなものが出ていた。
もし魔法を使えなくする守護魔法がこの森に掛かっていたとしたら、飛行魔法がいきなりそれで無効化されたのかもしれない。
(な、なんて危ない結界を……)
それは事前に言っておくべきだろう。いや、現代の弱い魔導士が飛行魔法なんて使うわけない、と思っていたのかもしれないが。危うく彼は落下死するところだった。
「ごめんなさい、あとで確かめておきますね」
「えっ、君が謝ることでは――」
「あの、そういえば、近々いらっしゃるっていう研究者の方で合ってますか? 国家魔導士の」
「あっ、はい、そうです……君はミラルス村の人?」
彼に訊かれて、少し返答に困る。
「その村出身の老人の家でお世話になっている者というか……森には詳しいので、行きたいところがあるなら案内できますよ」
「ありがとう……その、これとこれが見たいんだけど……」
彼は図鑑を見せてくれる。この森で採れる薬草とキノコだった。
「案内しますね」
エリスが言うと、彼が申し訳なさそうにする。
「実は、村の人にも案内するよって手紙の返事で言ってもらってたんだけど、あの、その、知らない人と歩き回るの、苦手で……断っちゃって……」
彼の周辺に後悔の色が浮かぶ。彼はいかにも人付き合いに慣れていなさそうだった。
「私のことも、怖かったら言ってくださいね」
「え、あ、いや、気を遣わせてごめん……!」
彼は顔を真っ赤にしてエリスを見る。ばちっと目が合って――彼はまたすぐに逸らしたが、今度は、なんとか目を合わせようと意識したのか、そっと視線を戻し――なんとか努力してエリスを見つめ、
「あ、案内を、よろしくお願いします……」
と言って、頭を下げた。
悪い人ではなさそうだな、と思った。