36_誤解なきように
エリスは城に呼ばれた。
案内されて廊下を進み、「ここからは、お一人で」と言われて踏み入った貴賓室には、三人の青年が立っていた。
アシュレイと、皇子二人だ。
(アシュレイ……)
皇子たちと並んでいるところを見ると、やはり彼は皇族――魔法救皇なのだと感じられた。
しかも最近は猫や仮面デートやらで、彼の素顔を見るのは久々だ。
艷やかな黒髪に、澄んだ紫色の瞳。誰もが目を離せなくなるような透明感を持ち、祝福されたような光を纏っている。
前髪は少し短く――と言ってもまだ長めではあるが――整えたようで、皇子たちと並んでも遜色のない、気品溢れる令息の姿だった。
(でも、いつもと変わらないアシュレイだわ)
舞踏会の夜、そして翌朝に森で別れた時と何も変わっていない。エリスと目が合うと微笑み、照れと幸せそうな感情を浮かべてくれる。
ほっとして笑みを返せば、彼はいつもの「可愛い……可愛い」と呻く時の感情を、ふわっふわっと連発していた。
「よく来てくれたな」
第一皇子に声を掛けられて、エリスは淑女の礼を執り、招かれたことの謝辞を述べた。
出かける直前に伯爵と侍女たちに教え込まれた台詞を噛まないように気をつけながら――頭の片隅で別のことを考える。
(三人並んでいると、さすがに緊張するわね……)
皇族の三人が同じ部屋に集まるなんて、一体何の話をされるんだろう、と心臓は警戒で速くなっていった。
「怖いのなら、部屋を出てもいい」
見抜いたように第一皇子が言った。
「怖いだなんて、滅相もございません」
エリスは胸を張って第一皇子を見つめた。
「侍女を呼んできて同席させてもいい。ただし、その場合は話の内容は変わる」
秘密の話があるということだろう。
「こうしてお招きいただいた時から覚悟しております。……わたくし一人に、お聞かせいただけますか?」
静かに、しかし決意を込めて見つめ返せば、第一皇子はアシュレイに声を掛けた。
「結界を」
「はい」
アシュレイが手をゆらりと振って、何かの魔法を部屋全体に掛けた。
「盗聴防止と防御魔法だよ」
そう言ってエリスに教えてくれる。
それが済むと、第一皇子が言った。
「質問だ。――魔法救皇は誰だ?」
「……?」
突然の問いかけに、エリスは目を瞬かせた。
(この質問……また何かを試されているのかしら?)
つい最近、アシュレイに「今日のデートの相手が誰かわかっていますか」と訊かれたことを思い出す。あれは結局正解が何なのかわからなかったが――この皇子も、わざわざ訊くからには何か意味があるのだろう。
(私、また何かを疑われているの? 魔法救皇はアシュレイに決まっているけれど……本当のことを答えていいの?)
今ここには二人の皇子とアシュレイがいる。
アシュレイは魔法救皇本人だし、第一皇子とはアシュレイの安全のために協力関係になろうときっちり話し合ったばかりだ。
(でも、今日は――)
今日ここには第二皇子がいる。
エリスはその人柄を知らない。ろくに話したことはない。信頼できる人物なのだろうか。兄にあたる第一皇子が同席させているのだから、秘密を共有する相手なのだろうとは思うが――。
(私が判断するのは危ないわ)
一つ間違うだけで、アシュレイを危険にさらしかねない。
だからエリスの答えはすんなり決まった。
「魔法救皇様について、わたくしから殿下に奏上できることは何もございません」
「……ほう」
第一皇子が、愉快そうに口の端を上げる。
「この俺と、そして第二皇子の前だぞ。隠し事をするのは不敬だと思わないか?」
「隠し事などございません。けれどわたくしの返答が皇子様方への不敬にあたるのであれば、どうぞ首をお斬りください」
エリスは殊勝に、首を差し出すように頭を下げた。
アシュレイが息を呑んだような音が聞こえたが、エリスは顔を伏せたまま皇子の言葉を静かに待った。
「魔法救皇が誰なのか知らぬのであれば、お前はその伴侶――運命の乙女ではないと疑う者も出ると思うが」
「構いません」
そもそも第一皇子は何故こんな質問をするのだろうとエリスは疑問だった。
わかりきったことをわざわざ訊ねられるのは、とても面倒で苦手なことだ。
だが、きっとこれはアシュレイのためだろう。第一皇子とは性格が合わないが、アシュレイを守り切ろうとする、その点だけは信じている。だから、そのまま待っていれば――
「ほら、こういう人物だと言っただろう?」
と、第一皇子が誰かに言った。
そっとエリスが顔を上げて様子を覗えば、それは第二皇子に向けた言葉だったらしい。兄弟同士が、何やら視線を交わしている。第二皇子は「わざわざいいのに……」と気まずそうだ。
「?」
エリスが怪訝に思いながらそれを見守っていると、第一皇子は「弟に証明をしたかったものでな」とエリスの方を見る。それからまた、自慢でもするように第二皇子に言った。
「わかっただろう。彼女は何よりもアシュレイの安全をとる。皇族への不敬よりも、自分の権威よりも。……本当に望ましい人物だ」
そう言って、満足そうに笑みを浮かべた。
(私のこと……? 褒められたのかしら)
きょとんと目を丸くしていれば、アシュレイが慌てた様子で「どうして兄さんがエリスさんのことを自慢げに話すんですか!?」と妙な慌て方で突っかかっていた。
(……何の話かしら)
アシュレイは第一皇子に軽くあしらわれると、すぐにはっとしたような顔になってエリスを見て、羞恥と罪悪感のような感情をじわじわと出し始めた。
「あ、違う、違うんです、エリスさん、僕は……僕はまだそんな独り占めしようとか思ってなくてむしろエリスさんの良さが周りに伝わるのは良いことだけど兄さんに言われるのはちょっと複雑っていうか阻止したいっていうか――でも今のは傲慢だったかもしれない。ごめんなさい。本当にごめんなさい」
(また謎の弁解をしているわね……)
森で会った時も、何の罪にも問われてないのに自ら懺悔するような焦り方を見た覚えがある。うろたえるアシュレイを「え、いま『僕』って言った?」と第二皇子が揶揄していた。
……経験上、アシュレイが『僕』と言う時は『僕は無害です』と主張したい時なのだろうと、エリスはなんとなく感じていた。
「大丈夫よ、アシュレイ。今の発言のどこに問題があったのか、私はちっともわからないわ」
エリスの言葉に、アシュレイはほっと安堵の息を吐く。
「さて、落ち着いたところで――本題を始める」
第一皇子がそう言うと、アシュレイが緊迫したように背筋を正すのが見えた。エリスもまた鼓動が速くなる。
「形だけの結婚をどう思う?」
「……?」
第一皇子の唐突な発言に、エリスは目を瞬かせ、アシュレイは肩を飛び上がらせていた。
(ええと、今、結婚って言った……?)
聞き間違いだろうか、と思いつつ「形だけの結婚、ですか?」と第一皇子を見つめると、第一皇子はそのとおりだと言わんばかりに鷹揚に頷いた。
「どう思う?」
(それは……アシュレイとできるってこと?)
だが、アシュレイとエリスが形だけの結婚、という話は、この皇子からは出てこない気がする。必要性がないからだ。
(となると……)
必要に駆られて、アシュレイが別の誰かと結婚するか、エリスが別の誰かと結婚するということだろう。
もや、と心が重くなる。
――アシュレイが、誰かと結婚するのは嫌だと思ってしまった。
「浮かない顔だな。……嫌なら嫌と言っていい」
わずかに労るような声で第一皇子が言う。
アシュレイも何かを込めたような瞳でエリスを見ている。
(言いたいけれど……でも、嫌だなんて、言ってはだめよね)
好きな人が、別の誰かと結婚するのを見るのはつらい、と。
だけど、そんなことを言っては駄目だ。アシュレイのためならば、自分はきちんと飲み込めるはずだ。
「……必要なことであれば、わたくしが異を唱えることではありません」
「そうか」
エリスの答えに、第一皇子が神妙な顔で頷いた。
「では、必要な場合には、あなたと俺の結婚もありうる、という前提で今後の方策を立てても構わないか? もちろん、そうならなくて済むように最善を尽くすが」
「え? ……殿下が私と?」
予想外の言葉に、エリスはぽかんと口を開けて――それから安堵で、へにゃりと笑った。
(なぁんだ、良かった)
アシュレイが、誰かと結婚してしまうわけではないのだ。
「それなら全然、構いません」
心からエリスは言った。
曇りひとつない、笑顔を浮かべた。
とにかく嬉しくて、皇子たちの前では露骨な表情を見せるべきではないと思いつつも、頬の緩みを抑えられずにいれば――目の前の三人はぽかんとしていて――アシュレイが急にふらついた。
「……どうして?」
彼の消え入りそうな言葉と共に、つんざくような紫電が目の前を走り、閃光の激しさに思わずエリスは息を呑んだ。
「アシュレイ!?」
彼は何も聞こえていないようだった。彼の周りに夜が訪れ、急速に雷が降り注いでいく。
「アシュレイ、落ち着け!」
皇子たちがその両腕を掴んだ。
アシュレイは「あっ」と気付いたような顔になり、エリスを見ると――泣きそうな顔で、「ごめんね、怖かった!?」と謝ってくる。
「だ、大丈夫、だけど……あの、」
アシュレイこそ大丈夫?と小声で訊くと、「う、うん」と気まずそうに頷かれた。
「具合が悪いの?」
「え、いや……」
彼は困ったように、泣きそうな顔で、エリスからそっと目を逸らす。どうしたらいいんだろう、と彼を見つめていると、「あの、多分何か誤解してるから、言ってあげて」と第二皇子が囁いてきた。
「……? 何を言えばよろしいのですか?」
「ええと、たとえば……エリス嬢が本当に結婚したい相手は誰なのか、とか……」
思わぬ言葉に動揺してしまうが、もしかしてアシュレイに言うべきことを言っていないのでは、とも思い至った。
(言っていいのかしら。あなたと結婚したいですって)
結婚するならアシュレイとがいいし、一緒に暮らしていけたらいいなと思っている。
(でも、これって言い方に気をつけないと、強制力が働いたりしないかしら……)
アシュレイは『言葉だけで命じても心が伴わなければ強制にはならない』とは教えてくれたが、今回は逆に、心から願っている内容だ。気をつけないとまずいのではないだろうか。
(どこまで言っていいの!? 『結婚したい』とか『結婚しましょう』とか絶対に命令になっちゃうんだけど)
エリスが混乱していると、「む、無理しないで……」とアシュレイの方がむしろエリスを気遣い始めた。しかもその心は悲しげだ。
迷いに迷って――いや、迷っているうちにもっと彼を悲しませる。だからエリスはとにかく言葉を送り出した。
「だ、抱きしめてもいい……?」
とっさにエリスが言えたのはそれだけだった。ぱあっと彼の心が明るくなる。
「もちろん!」
彼が両腕を広げるので、エリスはその胸に飛びついた。ぎゅっと何度も彼を抱きしめる。
「つ、伝わる……?」
おそるおそる彼を見上げると、ぶわっと歓喜の感情が飛び込んできた。
「もちろんだよ! ……大好き、大好きだよ、エリス……」
ぎゅっと閉じ込められるように彼の全身に包まれて、息ができなくなるくらい、胸がいっぱいだった。緊張と多幸感が奥深くを満たしている。
彼の感情を見なくてもわかった。今とても幸せだ、と。
――それを見守りながら、第二皇子が、「初恋同士の解決方法ってすごいな……」と呟いていた。




