28_黒猫ふたたび②
(恥ずかしい! もう恥ずかしい!)
エリスは廊下を走っていた。
今まで本人に「あなたは素敵よ」などと平然と言ってきたエリスではあるが、「アシュレイの夢を見ちゃった」と、自分の内側のことを話しながら本人を撫でまくっていたことはさすがに受け止めきれなかった。
あなたのそういうところが好きよ、とアシュレイを褒めるのと、「私はアシュレイのことばかり考えています」と告げるのでは、まったく別問題なのだと今日気付いた。
(絶対、変態だって思われた!)
それだけは耐えがたい事実だった。
「お嬢様!? どうなされたのです!? 曲者ですか!?」
中庭から勢いよく廊下を走ってきたエリスに、年配の侍女が慌てて駆け寄ってくる。
「ええと、その……」
「病み上がりで走ったりしたら――あ、猫から逃げていらしたんですね! しっしっ、どこから入り込んだんでしょう!」
「え?」
言われて振り返れば、黒猫がエリスのすぐ後ろに来ていた。
……エリスがいきなり弾かれたように走り出したら、当然、心配して追いかけても来るだろう。なにせ中身はアシュレイなのだから。
「ち、違うわ! この猫から逃げたんじゃないの! 大丈夫よ、追い払わなくていいわ!」
エリスは慌てて侍女の誤解を解き、そっとしゃがみこんで黒猫に話しかけた。
「ごめんなさい、驚かせちゃって。心配してついてきてくれたのよね?」
なーう、と猫が困ったように鳴く。
少ししょんぼりとしているようだ。まだ心配してくれているような気配がある。
手を差し伸べれば、柔らかな頬を擦り寄せてくれた。
「ごめんなさい。走ったのは……その、急用を思い出しただけなの」
「にゃう……?」
猫が不思議そうにしている。「急用、行かなくていいの?」と訊ねるように、エリスを見つめていた。
とても人間味のある反応だ。
(……やっぱり、中身はアシュレイよね……?)
先程からずっとエリスの言葉がわかっているようだし、見える感情も豊かなものだ。
(魔法救皇って本当に何でもできるのね)
きっとエリスが毒で寝込んでいることを小耳に挟んで、様子を見に来てくれたのだろう。
もしかすると寝室の窓に来ていたカラスも彼かもしれないし、やはり夢で見たアシュレイも、本物だったのだろう。きっと彼が治療してくれたおかげで、二週間も起きなかったエリスは、今こうして走れるほど元気になったのだろう。
(お礼を言って確かめたいけど……今は言わない方がいいのかしら)
猫のアシュレイに「あなたはアシュレイよね?」と聞くのはまずいだろう。……エリスが彼の立場だったら、「いつからバレてたの!?」と気恥ずかしいし、お互いに撫でたり撫でられまくったりした直後に人間に戻るのは、やはり気まずすぎる。
「ええと、とりあえず今日はここまでにしましょう。中庭まで送るわ。……抱っこしてもいい?」
人間より短い足で走るのは大変だろうと思い、そっと両腕を広げてみせれば、素直に黒猫はエリスに近寄ってきた。
(あたたかい……)
心地よくて、そして、どきどきと緊張してきた。
アシュレイが腕の中にいる。しかも可愛い美猫である。
腕の中にすんなりと収まり、完全にエリスに身を預けている。
(どうしよう……このままどこへでも連れていけちゃうわ……)
なんだか騙しているような背徳感があった。
もしも「このままうちの子になる?」と部屋まで連れていったなら、しばらくは一緒に暮らしてくれそうなほどの大人しさだ。
(待って、やっぱり私の恋って変態的!?)
好きな人(猫)をこっそり抱っこできてどきどきするなんて、まずいのではないだろうか。
(一方的なのは良くないわよね! 私だけ得をしてるわ!)
今度なにかお返しをせねば、とエリスは強く決意しながら中庭へと戻っていき、最初の塀の近くの茂みにそっと猫をおろした。
「なーう」
猫は挨拶のように顔を上げて鳴いたあと、軽やかに塀を駆け上り、向こう側へと消えていった。
(あ、しまった、『また来てくれる?』って聞き忘れちゃった)
結局、エリス側からアシュレイへの連絡手段が、緊急用の耳飾りくらいしかないのだった。




