25_馬車
第一皇子からの命令で、城からの使者が来ているという。
「寝込んでいる間も何度か使者がいらしてね、その時は断っておいたのだけれど……」と、伯爵も少し困ったような顔をする。エリスが病み上がりなので、伯爵は体調を気遣ってくれているようだ。
「……会います」
もう二度と城には行きたくなかったが、少しばかり訊きたいことができたので行こうと思った。
部屋に戻って皇子への謁見にふさわしいドレスに着替え、アシュレイがくれた耳飾りをつける。
(私を守ってね。アシュレイ)
いざという時も彼を巻き込みたくないから、実際に呼び出したりはしないだろうが――身につけているだけで、勇気が出る。早く彼に会いたいと思いながら一階へと降りた。
エリスがすんなりと現れたので、使者や護衛は明らかにほっとしたようだった。……舞踏会での危険人物っぷりが伝わっているらしい。
「お迎えに上がりました。馬車にお乗りください」
言われるままに、屋敷の前で待っている豪奢な馬車までついていく。どうやらこれで城に行けばいいらしい。
馬車に乗り込むと――中には第一皇子が座っていた。
「……は?」
この大陸で一番の大国の、皇族の長子が、平然と馬車に乗っている。
「え、そんな簡単にお城から出て、こんなところへ……?」
「いいから座れ」
てっきり城で待っているものだと思っていたのに、馬車の中に既にいた。金髪の男は、腕組みをして座っている。
「いえ、屋敷までいらしているなら普通に応接室とかで――」
「花束を抱えて訪ねた方が良かったか?」
不遜な態度でそんなことを言う。
エリスの屋敷に来たことを誰にも知られたくないのだろうか。
(……いえ、迎えを寄越した時点で私との接触は発生してるんだけど……)
困惑しながらエリスが突っ立っていると、「早く座れ」とまた言われる。
「…………」
なんとなく釈然としないが、ここで睨み合っているわけにもいかない。言葉に従うことにする。
(この人、嫌いだわ)
今日も表情はなぜか見えにくいが、明らかにエリスへの敵意と警戒心がある人だ。油断できない。
エリスが座り、扉が閉まると、馬車ががらがらと動き出した。
「……」
正面に座り、黙ってしまうと、金髪の男は不遜に首を傾げてみせる。
「体調はどうだ? 噂では毒を盛られたそうだな」
「……まぁ、物騒な噂ですこと。このとおり、ぴんぴんしておりますわ」
「そうか。……顔色も悪くはないな」
噂、というからには、表向きにはエリスの二週間の体調不良の原因を、伯爵はぼかしていたのだろう。そして皇子は当然真実を調べるに違いない。ただしまさか本当に二週間ずっと寝込んでいたとは思っていないかもしれない。せいぜい数日程度で、あとは皇子を避けて言い訳にしていたとも思っているかもしれない。……なにせ舞踏会では互いにひどい態度だった。
皇子はエリスの返答についてはどうでもいいらしく、耳飾りに目を向けて意外そうに言った。
「それはどうした?」
「……とある方からいただきました」
「舞踏会で踊っていた男か?」
なぜか機嫌良さそうになって訊いてくる。
(どうしてこの人は間男の気配に喜ぶのかしら……)
舞踏会でもエリスがアシュレイと踊っていたことを喜んでいた。
しかし、そこでふと思う。
アシュレイが魔法救皇ならば、この人は従兄か何かのはずだ。
(……間男がどうとかではなくて、アシュレイと私が仲が良いと嬉しいってこと?)
馬車の中で待っていたのは――誰にも盗み聞きされない密室だから、だろうか。思い切ったことを聞くならば、今がチャンスだ。
「殿下、お訊きしたいことがございます」
「なんだ?」
エリスの決意に満ちた目を見て、彼は静かに問う。まるでエリスがこれを話し出すのを待っていたかのようだった。
「毒で寝込んでいる間、わたくしのもとに不審な人物が現れました。そしてその後に、魔法救皇がいらして、わたくしを癒やしてくださいました。……どちらも夢かもしれませんが」
皇子は揶揄するように、首をすくめてみせる。
「……お前は運命の乙女ではないと否定して帰ったはずではなかったか? 魔法救皇が来たなどと言っていいのか? 魔法救皇は、俺なわけだが」
エリスも苦笑してみせた。
「あら、夢見がちな令嬢が『魔法救皇様が枕元に来たかもしれない。夢かもしれないけど』と言うくらい、いいじゃありませんか。『運命の乙女』の真贋には関わらないでしょう」
「……そうか」
皇子は嘆息し、そして意外なことをあっさり言った。
「お前のところの料理長は、犯人ではない」
唐突に言われて、エリスは目を瞬かせる。
「……わたくしもそう思っておりました。ですが、殿下はなぜそうお考えに?」
真犯人の心当たりでもあるのだろうか。
皇子は、何かを思い巡らせるように黙っていたが――やがて言った。
「魔法救皇は、とある人物にずっと命を狙われている」
「え……」
「五歳の時に発覚し、俺達は警戒を続けてきた」
皇子の赤い瞳が、射抜くようにエリスを見ていた。
「お前はその子飼いの者かと思っていたが……毒を使われたのなら、どうやら面識はないようだな」
皇子はエリスの反応を窺っているようだ。
だが、エリスは動揺していて、うまく言葉を返せない。
どうやらエリスは、魔法救皇を狙う者の手下だと思われて、警戒されていたらしいが――
(それって、アシュレイが、ずっと誰かに命を狙われているってこと……?)
なんてひどいことを、と恐怖と怒りが湧いてきた。
「どこのどいつなんですか、それは」
「……」
皇子の赤い瞳は、まだ静かにエリスを見つめている。答える気はないのだろうか。
「……わたくしを疑っていらっしゃるんですか? わたくしはそのような者の仲間ではありません。魔法救皇の命を狙ったりしていません」
「……確かめてみよう。少し待て」
「え?」
皇子は、横に置いていた木箱から、透明な水晶を取り出した。
「嘘を見抜く古代魔道具だ。老朽化が激しいので、もうあと何度使えるかわからない代物だが――今、その一回を使っていた。子飼いではない、命を狙っていない、と。……それは真実のようだ。嘘であれば赤色に曇る」
水晶が透明なまま、ということは、エリスは嘘を吐いていないと証明できたのだろうか。
すぐに皇子はそれを箱に戻した。
「……それが一番知りたかったことですか」
「そうだ」
国宝級の品だろう。それもあと何回使えるかわからないものを持ち出してきたということは――感情が見えなくとも、その真剣さは表情からも伝わった。
本気で魔法救皇を案じているのだ。
(皇子様たちが、魔法救皇が誰か特定させないようにしていたのは……)
少しでも、狙われにくくするため。
アシュレイを守るためなのだろうか。
「その人物は一体誰なんですか。なぜ狙っているんですか? ……魔法救皇って万能なんでしょう? すぐに解決できたりしないんですか?」
エリスの食い気味の質問に「落ち着け」と皇子が言う。
「魔法救皇も完全無欠というわけでもない。条件が重なれば死ぬ。そしてなにより――お前の存在が一番の問題になる」
「私?」
皇子は少し暗い顔をして、祈るように両手を組んで言った。
「これはたとえばの話だが……万が一、運命の乙女が服従の魔法にかけられたらどうなると思う? たとえば二週間、本人が気づかないままに服従の魔法を掛けられた装身具を身に着けていたら――服従の呪いの強さは、呪具を身につけていた時間の長さに比例する。一週間で解呪魔法以外では外せなくなり、二週間あれば、並大抵の魔導士では外せない段階に入り、残虐な命令にも抗いにくくなってくる。一ヶ月もあれば、立派な傀儡だ。そして術者が運命の乙女を操って、魔法救皇に何かを命令させれば――」
(それって……)
ぞっとした。あの悪夢のような記憶の中で――あのフードの男は、エリスに何かを願っていた。エリスは気が付けば、老爺たちがくれた腕輪を足につけられ、自力では外せなくなっていた。アシュレイが外してくれていたが――あれが、もし服従の呪いの品だったのなら?
(私が二週間も寝込んでいたのは、そのせいなの?)
何者かがエリスに毒を盛って身動きを取れなくさせれば――侍女も治療道具やお守りだと思って外してくれなければ、服従の魔法は日に日に強さを増していく。
術者の言いなりになったエリスが、魔法救皇に何かを命じれば、その悪者は世界を意のままにできてしまうのだ。
(いえ、あの人は)
あの悪夢の中の男は、恐らく、死を願っていた。
魔法救皇の死を願う言葉を、もしエリスが口にするのだとしたら――
「……そうなったら、私を殺してください」
エリスの低い声に、そして強い意思を込めた瞳に、「ほう」と皇子が片眉を上げる。
「本気で言っているのか」
「彼を殺してしまうかもしれないくらいなら死んだほうがましです」
本心からの言葉だった。
(運命の乙女なんて、やっぱり、ろくでもないわ)
アシュレイに命令できてしまう力なんて、葬り去ってしまいたかった。
「……やはり、思っていた人物像ではないな」
皇子は静かにエリスを見つめていたが、そう言って、何か思案するような目をした。
「お前は皇后になるつもりはないようだな。豪華な暮らしにも、周りからの羨望にも興味がなく、誰かの手先でもない」
「はい」
「ならば、なぜ城に来た。魔法救皇に――つまり、まあ、俺のことだが――俺に、何を望む?」
「……」
あくまでも、この皇子は自分が魔法救皇だという主張は崩さず、運命の乙女であるエリスとの対話を引き受けていくつもりのようだ。アシュレイもエリスには魔法救皇だとは名乗らなかったし、おそらく第二皇子を含めて三人の中で取り決めがあるのだろう。
(そうじゃなかったら、十年も正体を隠せないわ)
十年前から、仮面の魔法救皇がどの皇子なのか特定されないよう、魔法救皇がどこかで活動している時には、両皇子の姿は絶対にどこにも見当たらないように維持されていた。両皇子がアシュレイに協力しようと思っていなければ成り立たないことだ。
彼らはずっとそうやって協力してきたのだろう。
エリスは彼らの警戒を解かねば、いつまでも面倒な問答を第一皇子とすることになる。
「……宝物庫に入らせてもらえませんか」
「ほう?」
「それで、私が選んだ宝を一つください」
「宝が欲しいのか。皇后になって贅沢をしながら責任や嫉妬を捌くよりも、身軽なまま宝物を売って一生困らない金が欲しいと?」
「まあ、そんなところです」
「金で解決するのなら、今にでも用意する」
「金貨でもらうより、魔道具を一つ選ぶ方が、思い出になるでしょう?」
「……」
今は嘘発見の魔道具を使われてなくてよかった、とほっと内心安堵しておく。
皇子は黙ってエリスを見ており、水晶を出そうかどうか迷ったようだが、貴重な古代魔道具を消耗させる気はないようで、「まあ今はいいか」と言った。
(よかった。さすがにここはバレるわけにはいかないもの)
老爺たちに責任が行くかもしれないことには慎重になっておきたい。
エリスが喜びがバレないように真顔を維持していると、皇子はまたしばらく悩んだのちに、
「――いや、やはりここではっきりさせておこう」
気が変わったようで、水晶を取り出した。
(なんでよ……!)
やはりこの人は嫌いだ、とエリスは思った。どうにも相性が悪い気がする。
皇子は水晶をエリスの前に突き出し、
「もう一回言え」
とまっすぐに見つめてくる。
エリスは深呼吸をし――負けるものか、とはっきりと意思を伝える。
「……私を宝物庫に入らせてください。そしてその中の一つでいいから私が選んだ国宝級の魔道具を一つください。私はもしかしたらそれを売らずに、いっそ自分で使ったり、活用できる誰かに譲渡するかもしれませんが、その受け渡しについてもどうか罪に問わないでください。――とにかく、私は皇后とか城での暮らしには興味がありませんし、運命の乙女とかどうでもいいですし、平穏に暮らしたいだけです。もちろん、魔法救皇の命など狙っていません。魔法救皇を守るためならいくらでも協力します」
「……一息で言ったな」
どこか呆れたように言われた。
「だって、貴重な一回を使うなら、一気にやっておかないと損でしょう」
「まあ、そうではあるが」
貧乏くさいと思われただろうか。
じっと二人で水晶を見つめ――嘘が無いことが証明された。
「嘘ではないようだ」
互いにほっと息を吐く。
「今までの非礼を詫びよう」
そう言って、皇子は意外にも頭を少し下げた。
「……え、そんな、滅相もない。顔をお上げください。……魔法救皇の命が懸かっているのですから、警戒するのも当然です」
この人のことは苦手だし、今日も舞踏会もストレスではあったが、謝ってほしいわけではなかった。
「あなたが魔法救皇を守ってくださることは、私にとってもありがたいことですから」
「……言っておくが、俺が魔法救皇だ」
「あ、はい」
そこの設定は譲らないらしい。
アシュレイを守るために彼ら兄弟が続けてきたことだろうから、「そうですね、あなたが魔法救皇ですね」と神妙な顔でこくこくと頷いておいた。




