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2_伯爵令嬢なんて無理です①



「一体何が不満なんじゃ、エリス。伯爵家の養女になって、皇子の誰かと結婚できるかもしれんのじゃぞ」


 国境沿いの針葉樹に覆われた森。人の寄り付かない深い森の、さらに奥にある小屋で、エリスは椅子に縛り付けられて老爺二人に説得されていた。一人は細身に古めかしい魔導士のローブを着ており、もう一人は若かりし頃にさぞ鍛練を積んだであろう筋骨隆々な老爺である。


 エリスは長い白金色の髪を揺らして言った。


「あのねえ、それが胡散臭いって言ってるの。失敗したら国賊でしょ? そんな危ない話に誰が乗るのよ」


 魔導士の方の老人が言った。


「上手くいくに決まっとる。お前さんは『運命の乙女』なのじゃぞ? 百年に一度生まれる魔法救皇の、唯一の弱点であり最愛となる存在じゃ。すべてにおいて万能な魔法救皇も、伴侶のお前さんの言葉にだけは絶対に勝てん。お前さんがちょいとお願いすれば、すべてを叶えてくれるじゃろう。何も怖いことなどないじゃろうが」


 それは、誰もが知る『魔法救皇』の伝説だった。


 世界の窮地――自然災害や、魔神の復活、ありとあらゆる人類の困難に備えて、かつての大魔導士時代に十聖と呼ばれた優秀な魔導士たちが、後世への祝福を授けた万能の存在。魔力が弱まった現在の人類の、万倍以上の魔力を持ち、その時代で最も慈悲と権力のある大国の王家に百年に一度生まれる――それが『魔法救皇』だ。

 そしてその孤独を救うべく、あるいは傲慢にならぬようにと、必ず出会えるよう祝福された伴侶を『運命の乙女』と呼ぶ。もしも魔法救皇が暴走し、人類の敵となった時に唯一止められるよう、運命の乙女の言葉には魔法救皇は絶対に逆らえないという。


 だが、エリスは納得がいかない。


「もし仮に、私が本当に運命の乙女だったとしても、その『絶対に言うことをきいてくれる』って効果は、他の人には効かないんでしょう? 相手はお城に住んでる皇子様なのよ? 近づいただけで『不敬だ!』って兵士に槍で刺されたらどうするの? 私なんて風の魔法がちょっと使えるだけのド平民なんだから」

「だから伯爵様が協力してくださるんじゃろうが」

「それが胡散臭いんだって言ってるの!」


 老人二人は聞く耳を持たない。「伯爵家に行くまであと一週間か。寂しくなるのぅ」「あと何回一緒に食事ができるんだろうな……」などと、エリスとの別れを真っ当に惜しんでいる。


 ――事の発端、もとい、エリスがここに攫われてきたのは二ヶ月前のことだった。



 エリスは両親の顔をほとんど覚えていない。

 五歳の頃に流行り病で両親を亡くし、母方の叔母夫婦に引き取られた。五人家族の中に迎え入れられたエリスはそこから全員にこき使われる日々が始まった。

 率先してエリスをいびったのは叔母だった。


「お前の両親には迷惑をかけられたんだ」


 母は寂れた田舎の村長の娘であったが、その美しさで遠い街の商家の跡取りから結婚を望まれていた。しかし母は自分が選んだ人と駆け落ちをした。その後に残された村人たちは――「妹の方じゃ意味がない」と言われた叔母は、肩身がとても狭かったそうだ。祖父母はもう亡くなり、叔母夫婦とその子どもが村長一家として住んでいる。


 叔母たちはエリスにとにかく仕事をさせた。


 炊事、洗濯、裁縫、掃除――他の家の繕い物まで叔母が引き受けてきては、その賃金は当然叔母たちの元に入り、エリスに渡ることは一切無かった。

 しかし金目的というよりは、とにかくエリスへの嫌がらせで行われていることは、いつも『()える』のでわかっていた。エリスは生まれながらに、人の感情がおおよそ見えた。叔母がエリスを嘲笑うときは、叔母の周囲に黒い靄や、とげとげした球体のようなものが浮かんで揺れる。きっとそれは悪意や攻撃性を表しているのだろうと六歳になる頃には気づいていた。


「さぼろうとしたら、私にはわかるんだからね」


 叔母はそう言って、生かさず殺さず、エリスがいつも疲れ果てて眠るような量の仕事をさせる。


 おそらく叔母も『視えて』いた。

 エリスが纏う感情から、疲労度がわかるのだろう。仕事に慣れて、少し早く終わらせられるようになるたび、限界まで仕事を増やされた。


 ――ああ、この力は母方の遺伝なのか、最悪の使い方だな、とエリスは思った。


 早くここから抜け出したかったけれど、子どものエリスが逃げ出したって、行き倒れたり、悪い人間に売り飛ばされたりするだろう。世の中には『服従の魔法』なんていう非人道的な契約をさせる魔道具だってある。しかも、辺境で孤立したこの村から街へ行くためには、獰猛な獣たちが多く住む広大な森や崖を通らねばならなかった。護衛も雇えない子どものエリスが、とても一人で逃げ出せるような環境ではない。


 だからもっと大人になるまでは――せめて十二歳になるまでは、叔母たちの家の世話になろうと決めていた。教会で文字を習い、密かに走って体力をつけ、少しずつ自分で取ってきた仕事でお金を貯めた。自分の人生は十二歳から始まるのだと信じていた。


 だが十二歳になっていざ逃げようとした時――なぜか、エリスは森の途中までで足が止まってしまった。


 そしてようやく、自分には脱走防止の魔法が掛けられていると知ったのだ。五歳の時から何故か着けられていた足輪――それは本来、家畜が敷地から遠ざかりすぎないようにするための魔道具だった。ただの見せしめの装身具だと思っていたのに、絶対に村の外の森の途中までしか行けないことに気づいた時は絶望した。


 ずっと家畜扱いだった。

 しかも、この魔法は本来人間にかけるものではない。だから誰かが解こうとすれば、叔母たち以外でも簡単に解ける。


「どうか、解いてくれるだけでいいんです」


 そう言って道行く村人たちに必死に頼み込んだ。毎日毎日、声を掛け続けた。けれど誰もが厄介事を嫌って避けていく。ずっと文字を教えてくれていた牧師家族ですら、「君はまだ子どもだから、保護者と相談しないといけないよ」とその時だけはものわかりの悪いことを言った。

 こんな小さな閉鎖的な村で、村長一家に逆らうことは、あまりにも無謀だとみんなが知っていたからだ。


 ――いつか逃げ出せることを信じて、今まで頑張ってきたのに。


 ならば事情を知らない外から来た巡回商人に頼もうとしても、薄汚い格好のエリスを訳ありだと見抜き、結局誰も助けてはくれなかった。


(好きでこんなボロ切れみたいな格好をしているわけじゃないのに)


 悔しかった。惨めだった。

 綺麗な布をなんとか買って、それで仕立てた服を着て、村外から来る人に頼もうとしたが、その頃には馴染みの巡回商人にはもう叔母たちが周知させてしまっていて、この辺境に新しい人など滅多に来ず、結局エリスを逃がしてくれる人はいなかった。


 絶望の中でも、日々は続いていく。


 いつか、きっと、今度こそ助けてくれる人に出会える。息を潜めて、その日が来るのを静かに待った。


 待ったけれど、その日はちっとも来なかった。


 待って、ずっと待って――やがて四年の月日が経った。



       ◇◇◇



(ああ、今日死ぬかもしれないわ)


 あと一日で十六歳になるというその日、エリスは朝からひどい風邪を引いていた。具合が悪くて、教会の椅子で寝込んでしまい、夕飯を用意し忘れた罰として、ひどい土砂降りの中、外に立たされていた。叔母の家の軒下は雨風をしのげるような造りではなかった。


(ああ、わかっていたけれど)


 死んでもいいと思われているのだ。

 人間扱いされていないことはわかっていた。でもあと少しの辛抱のはずだった。逃げたエリスに憤るであろう叔母たちを想像して、ざまぁみろと言ってやるのだと心に決めていた。

 そう見下して、何も感じないふりをしていたけれど。

 ――でも、本当は。


「……私だって、普通の家族が欲しかった」


 言葉にしてしまえば、涙が静かに流れる。

 顔が俯いてしまえば、雨と共に頬を伝い――口に入ったそれは塩辛かった。


(ああ、惨めだ……)


 優しい両親が居てくれたら。愛してくれる人が、そばに居たら。

 たった一人でいいから、苦しむエリスを抱きしめて、失いたくないと言ってくれる人さえいれば、こんなに粗末に扱われずに済んだだろうに。


(私だけ……私だけ、ずっと一人)


 高熱のせいで頭が痛い。意識が朦朧としてきたが、雨の中で寝てしまえばもっと悪化するということはわかる。教会に戻って屋根下を貸してもらおうと、ふらふらとしながらも歩き出した。教会は村外れにあって、それなりに遠い。

 エリスは途中で力尽きた。地面も、上から降る雨も、ひどく冷たい。打つような雨が、とても痛い。

 涙が雨に混ざって地面に広がっていく。意識があと少しで途切れると思った時――誰かが走ってくる音が聞こえた。


「あの子じゃ! 倒れておるぞ!」


 老爺二人が駆け寄って来た。二人ともフードを被っていて一見すれば不審人物だったが、エリスは『視える』ので、何も怖いとは思わなかった。纏う感情の色は焦りと、こちらを案じる純粋な善意。

 冷たい雨がこれ以上当たらぬようにと、細身の老爺と大柄な老爺が二人して慌てながらエリスを覆うように雨から庇ってくれる。


「ああ、なんてことじゃ、高熱が出ておる。周りの者はなにをしていたんじゃ? 早く看病をしてやらねば」


 労り、心配、顔も知らぬエリスの保護者への怒り。せわしなく浮かぶ感情の色はどれも鮮やかで、温かい。――なんて真っ当で優しい人達なのだろうと思った。


「お前さんの家はどこじゃ?」


 エリスは力無く、首を横に振る。


「どうか、これを外してもらえませんか。……帰りたくないんです」


 エリスの足輪を見て、老爺二人は息を呑む。

 一切の躊躇なく、足輪を外してくれた。


 そして、今までのエリスの苦しみを想像するかのように、泣きそうな顔をしてエリスに言った。


「どうか、うちに来てはくれんか。儂らにはお前さんが必要なんじゃ」


 エリスは泣きながら頷いた。どこへだって行こう。この人たちに恩を返そう。何一つ、迷うことはなかった。



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