17_敵意①
ずっと顔の近いエリスと魔法救皇の様子に、周囲から悲鳴のような声が上がり始める。とうとう、『運命の乙女』が確定してしまったと悟ったからだろう。
――もう、戻ることはできない。
仮面の魔法救皇をじっと見上げていると、彼もエリスを静かに見つめていた。心地よさを感じている時に浮かぶ感情が、ゆっくりと彼の周りを満たしていた。
しばらく彼はエリスの瞳を見つめていたが、やがて、ぱちん、と彼は指を鳴らして消えた。途端に、周囲がまた闇に包まれる。
会場に光が戻った時――魔法救皇はいなくなっていた。
「…………」
ぽつん、と真ん中にエリス一人が残される。
(どちらの皇子も見当たらないわね)
エリスは周囲を見渡したが、近くにはどちらもいなかった。徹底して魔法救皇がどちらの皇子なのか特定させないつもりのようだ。
周囲の騎士や魔導士たちが動き、先ほど魔法救皇が気絶させた『魔物騒ぎの犯人らしき男』を運んでいった。
他の貴族たちは、それを不安そうに見送っていたが、犯人が会場から完全に運び出されると――すべての視線はエリスに戻る。そのすべてが異物を恐れる顔だった。
(……まあ、そうよね)
魔法救皇に、唯一絶対逆らえない命令を下すことができてしまう存在。
その権力をぽっと出のどこの誰かもわからないような、即席令嬢のエリスが手にしてしまったのだから、そのような表情にもなるだろう。実際、不安と恐怖の感情が大量に彼らを包んでいる。
(悪用し放題だものね……もっと人格者だってわかってる高貴な令嬢が良かったわよね……)
泣き出している令嬢もいた。
自分がもう皇子と結ばれることがないとわかってしまったからだろう。
――エリスに、非難めいた視線が集まっていく。
(い、いえ、私だって望んで運命の乙女になったわけじゃないんだけど……)
譲れるものなら譲ってしまいたい。そもそも皇子だって、結婚は運命なんてものを気にせず、好きな相手とするべきだ。そしてエリスは皇子と結婚するつもりはまったくない。
(で、皇子様たちはどこに行ったの……?)
どうしたらいいかわからずに、ぽつんと一人で立ち続けていると、やがて誰かが大きな声で言い出した。
「なあ、まずいんじゃないか? さきほど魔法救皇様は、攻撃を受けていただろう? 万能なはずの魔法救皇様がそんなことになるなんて……“あれ”は、災いになるんじゃないか?」
“あれ”と言いながら、その貴族はエリスを見ていた。
周囲の貴族たちが、その意見に飛びつくように同調し始める。
「そうだ、不吉すぎる」
「そもそもあの女が魔物を連れ込んだんじゃないか?」
(いえ、さっきの魔物は幻惑の魔法でしょ!? ……違うの?)
エリスには魔法の詳しいことはわからない。
困惑していれば、貴族たちの悪口はエスカレートしていく。
「それに、あの女が何か囁いた直後、躊躇なく魔法救皇は男爵に魔法を向けたぞ……『従わせられる』ということは、つまりそういうことだ……あれが日常になってしまうんだぞ」
「魔法救皇が、何も考えずにあの女の言いなりになるなんて、この世の終わりだ……」
まるで今にも世界が滅ぶかのような言われようだ。
(いえ、あの人はちゃんと、自分で考えてたわよ!)
エリスは命令口調では言わなかった。「あなたも同じ考えなら」と前置きもした。……しかし、貴族たちには二人の会話は聞こえていなかったのだから、仕方がない。
「あの、先ほどのことなら――」
エリスが弁明しようとすれば、「ひいっ!」と大勢から悲鳴が上がった。「喋るな!」「やめろ!」と恐れるように叫ばれる。
「いえ、私はみなさんを従わせるような能力は無くて――」
「喋るんじゃない!!」
誰もエリスの話を聞いてくれない。
それどころか、口答えをしようとしたエリスに対して嫌悪の感情が混ざり始めた。
(ああ、これだから貴族って面倒くさいのよ……!)
エリスが意見を言うことなど最初から許されていないのだ。
そして、彼らの思考の行先は、もう大体、わかってしまった。
予想通り、誰かが言う。
「とりあえず、牢に入れるべきじゃないか? ……今夜の騒動の共犯者の疑いがある」
「そうだ! そうするべきだ! まだわからないことが多いからな! ひとまず、どこかに隔離するべきだ!」
「ああ、何かあってからでは遅いからな。百年前の『運命の乙女』だって、恐しい皇后になったというし……手放しに歓迎してはまずいだろう」
(もう最悪よ……)
先代の運命の乙女については知らないが、みんなしてエリスをどうにか処分したがっているのはよくわかった。一度どこかに閉じ込められたら――二度と出られないに違いない。
貴族たちは隣り合う者同士でひそひそと何かを話し合い始める。先ほどまでの恐れとは違い、何か建設的な事を考えている感情が視えた。
(別に、歓迎されたかったわけではないけれど……)
エリスだって予想はしていた。運命の乙女は、有事のための諸刃の剣だ。万が一にも魔法救皇が傲慢になって世界の敵になった時に、無理やり言うことを聞かせて止めるための抑止力であり――魔法救皇がまともな人物であると十年以上前からわかっている当代においては、運命の乙女なんて、いなくても全く問題がないのである。
むしろ、傾国の美女とばかりに我儘を言って、魔法救皇を暗君にする可能性すらある。
得をするのは、エリスを養女にして今後擁立することになるかもしれない伯爵家くらいだ。
それ以外の家の貴族は――誰も、運命の乙女なんて喜ばないのである。
「あの女を捕縛しろ!」
地位の高そうな貴族が、警備の騎士達に叫んだ。
会場の貴族たちの心は一つになっていた。
(……うん、今日死んでしまうかもしれないわ……)
いざとなれば「助けて、魔法救皇」と叫べばいいのだろうか。……この場にいなかったら、もうどうにもならない。
周囲を必死に見渡していれば、会場の入口から両皇子とそのお付きの騎士たちが堂々と戻ってきたところだった。
(遅いわよ……! どこに行ってたの……!?)
もし留守中にエリスが死んでしまったらどうするつもりだ、とついつい半泣きで睨んでいると、第一皇子は冷たい視線だけを返しながら、エリスの正面まで戻ってきた。
第二皇子の方は、少し離れたところで控えている。
――これではまるで、第一皇子がエリスの運命の相手に確定したようだ。
令嬢たちから、さらなる嘆きの悲鳴が上がる。
(魔法救皇がどっちの皇子か、特定させたくないから仮面をつけているはずなのに?)
第一皇子の顔をじっと見る。
この人が魔法救皇だろうか? ……いや、違う。
第二皇子も、きっと違う。
もう本物に会ったから、絶対に違う、とエリスは確信が持てた。
(あの『魔法救皇』は、この二人の皇子のどちらでもないわ)
そしてとりあえず、今はこの第一皇子様に助けてもらわないといけない。
このままでは貴族たちによる冤罪で闇に葬られかねない。
貴族たちは、第一皇子の言葉を待つように、しんとこちらを見守っていた。
「……先ほどは、お手柄だったな」
静かに、第一皇子がねぎらいの言葉をエリスにかけた。
これは――庇ってくれるということでいいのだろうか。
まったく感情が籠っていない褒め言葉だが、一応、エリスが犯人の共犯者だとは思っていないような口ぶりだ。
(私も……「お疲れ様」とか言うべきなのかしら……?)
特定はさせたくないはずなのに、第一皇子はどうやら自分が魔法救皇であると見せかけたいように思える。
エリスのダンスの誘いに「いいだろう」と答えた時から、周囲の貴族たちは、もう彼とエリスが運命の二人だと思っているだろう。
「あなたは……どちらに行っていたの?」
エリスは慎重に訊ねた。
だが、第一皇子は自分が魔法救皇だとは言わないものの、
「わかりきったことを聞くな」
とだけ言った。
周りはますます、彼が魔法救皇だと思うだろう。「もう大丈夫だ」とばかりに安堵と畏敬の念で、彼を見ている。
「とりあえず、部屋を用意しよう」
彼は静かに言った。
「部屋って……」
「このまま放っておくわけにもいかないだろう。俺も突然のことで驚いている。処遇については――じっくりと考えさせてもらいたい」
「…………」
(処遇も何も……運命の乙女を見つけたら、「結婚するかしないか」だけじゃないの?)
エリス自身は結婚を求めていないが、それが理由でもないのに城に留め置かれるのは恐ろしい。
そう、なんとなく、敵意のようなものは、最初から感じていた。
逃がさない、という、強い視線を。
よくも現れてくれたな、という攻撃性のようなものを。
――だから、このまま従ってしまえば、まずいことになる気がした。




