11_舞踏会①
一週間後の舞踏会当日。
長い白金色の髪を結い上げて、背中の開いた夜空色のイブニングドレスをエリスは身に纏っていた。
「エイベル伯爵家、エリス様。ご入場です」
その声と共に、エリスは舞踏会場に踏み入った。
ただの招待客の一人――それでも貴族たちは一度はこちらに視線を向ける。
見慣れない方だわ、という呟きが、近くのご令嬢からこぼれた。
続いて「そういえば、エイベル伯爵家は遠縁の方を引き取られたとか」と誰かが言う。
(遠縁……遠縁ねぇ……)
もちろんそれは嘘で、そういう設定になっているのだ。
さすがにいきなり「運命の乙女を占いで見つけたので、平民だけど養女にしました!」とは伯爵も言わなかった。
ちなみに、エリスを養女にした伯爵は、足が悪いので今日は来ていない。
「大丈夫、あなたは運命の乙女だから、きっとうまくいきますよ」と送り出してくれた、儚げな笑顔の優しい人だ。
エリスはしずしずと、しかし堂々と前を見据えて、歩き進めた。
注目され続けていくのは胃が痛い。
(どなたかにご挨拶しに行くべき……? いえ、身分が低い方から話しかけてはいけないのよね……?)
そもそも社交界での交流を広げに来たわけではない。皇子と話したいのだ。
(それでもさすがに注目されながらの無視は良くないわよね、あわよくばお友達を――いえ、やっぱり怖いわ……)
こちらを見つめ続けている近くのご令嬢に目礼に近い仕草をすると、ふわりと微笑んでご令嬢の方から声を掛けてくれた。
簡単に、出身や、なぜ養女になったのか、という話を振られる。
「伯爵様は父方の遠縁にあたります。父が亡くなり、天涯孤独になったわたくしを、同じく妻子を亡くされた伯爵様が悲しみを汲んでくださり、慈悲深くも養女として迎えてくださったのです」
事前に伯爵と打ち合わせていた内容を、なるべく憂いある様子で言う。
ご令嬢は「まあ、ご家族を亡くされているのね……おつらかったでしょう」と悲しそうな顔をした後、別の誰かを見つけると「またあとでゆっくりお話ししましょう」と他の友人たちと共にそちらに向かっていった。良い人だった。
(な、なんとか、良い感じに溶け込めた、わよね……!?)
とりあえずあやしい人物ではないとわかってもらえただろうし、明らかに本物の由緒正しい令嬢でもないエリスと現時点で仲良くなる必要もあまりないわけで――それなりに放っておいてもらえるに違いない。とても活動しやすくなった。
ちらりと入口を見る。
皇子二人はまだ入場していない。
一番身分が高い皇族は、一番最後に入場すると決まっている。
(まだもう少し気を抜いていて良いかしら)
壁際にそそくさと逃げて、ひとごこちついた時、ふと隣から視線を感じて、エリスはそちらを見た。
――驚くほど透明感のある美青年が、すぐ横にいて、エリスを見ていた。
淡い紫色の瞳は宝石のようで、高貴な令息らしい白と青の礼装がよく似合っている。彼が驚いた拍子に雫のような透明な耳飾りが揺れて、その清廉な光は、まさに彼が纏う空気そのものだとエリスは思った。あまりにも光に満ちていて、すべてに祝福された青年だと誰もが感じるだろう。――それでいて、闇のように艶やかな黒髪を持つ青年だった。
思わず見惚れていると、その青年が、さらに目を丸くする。
「エリスさん……?」
エリスさんなどと呼んでくる黒髪美青年の知り合いはいない――そう思ったが、その綺麗な紫の瞳には見覚えがあった。
今夜はシャンデリアの眩い光のせいか、いつもより淡い色に見えるが――
「まさか……アシュレイ?」
名を呼んでみると、「う、うん」と躊躇いがちに頷かれた。
そのわずかに気弱そうな態度はまさに、先日森を訪ねてきた魔導士のアシュレイに違いない。
「え、でも、本当にアシュレイ……!?」
あの長い前髪越しでも綺麗な顔をしているとは思っていたが――片側に前髪を流し、貴族らしい髪型に変えただけで、まさかここまで並外れた美貌を晒すことになろうとは思わなかった。
どう見ても高貴な身の上、生まれ持った透明感。清廉な大聖堂のような、神聖な空気を身に纏っている。
誰もが彼の前に立てば、一度は息を呑んでしまうだろう。
そして、彼が微笑んで采配を握ったなら、すべての民が抗う術もなく断罪を待ってしまうような――まるで、人間とは別種の生き物だ。
(え、私、いま何を考えたの……?)
あまりに失礼な想像だった。
それほど並外れた神聖さ――あまりの風格に気圧されてしまったせいだろう。
「ええと、びっくりした……ここでアシュレイに会えるなんて」
「エリスさ――エリスこそ、どうしてここにいるの……?」
(エリスさんって言いかけた?)
そういえばさっきはなぜ『エリスさん』などと、さん付けで呼ばれたのかはわからないが――気弱で真面目な彼のことだから、最初に会った時に「呼び捨てにして」とエリスが言ったのを、結構努力して応えてくれているのかもしれない。
彼からは驚きと喜びが、ふわっ、ふわっ、と湧き出ている。
特に喜びの感情が多く視える。エリスとの再会を彼も喜んでくれているのだとわかって、心がじんわりと温かくなった。
(嬉しいな……)
つい微笑むと、ぶわっとまた彼から感情が飛び出す。
これは、二人で過ごした夜によく見た――謎の感情だ。悪いものではないはずだが。
「ええと、エリス、今日はどうしたの? 貴族だなんて知らなかったよ。……あ、伯爵家に行くって言ってたのは……侍女としてじゃなかったんだね……?」
「ま、まあね……ちょっと、一時的に令嬢としてやることがあって」
つい目を逸らしながら、「アシュレイはどうしてここに?」と訊く。
「俺も――ええと、僕も、ちょっと用事があって……貴族の端くれとして、どうしても逃げられなくて」
「ふふ、そうよね、用事が無かったら来たくないわよね」
ちいさく苦笑してしまえば、「可愛い……」とアシュレイが呟く。
「え?」
「いや、ごめん、言葉がとうとう出て――その、本当に……綺麗だよ」
きょとんと目を瞬かせていると、
「あ、可愛――いや、もう、だめだ、可愛い、どうしよう」
と彼が真っ赤になって、両手で顔を覆ってしまう。
今すぐフードを被りたい、と言いたげな、その狼狽えっぷりに少し安心する。
(うん、間違いなくアシュレイね)
彼は両手の隙間から、ちらり、とエリスを見た後――すっと、手をおろし、覚悟を決めたように正面から言った。
「エリス、今夜もすごく可愛いよ……そのドレス、とても似合っているね」
その振る舞いは、彼が長く上流階級にいることを感じさせた。
着飾った女性に会ったら、褒めるのがマナーなのだろう。
「あら……ありがとう。そう言ってくれる人がいると安心するわ」
背中が広く開いたドレスだ。すっきりとデコルテも見せ、それでいて腰から裾にかけてはシンプルに広がるスタイルで、足首まで柔らかな空気を含んで上品に隠している。
淡く煌めくショールを腕で纏う――これも当然、最高級の品である。
わりと大人びた装いでまとめあげていた。
……実は、伯爵令嬢として舞踏会に行くと決まった時から、あまり絵本のお姫様だの令嬢だのから想像していたような、ふわふわと甘いフリル豊かなピンクのドレスは似合わないだろうと心配していたのだ。こういうシンプルなドレスでも可愛いと言ってくれる人がいて――たとえ社交辞令でもアシュレイに言ってもらえて――エリスはとても嬉しかった。
「少しは令嬢っぽく見えるかしら」
にこにこと微笑んでいると、「ああ、可愛い――」とアシュレイが呻いている。
「本当に……本当に、女神のように綺麗で、可愛くて……いっそ、誰にも見えないよう囲い込んで――いや、違う、その……心配になるくらい、美しいよ」
「ふふ、心配? ちょっと肩の布が少ないせいかしら」
なにせ、細めの二の腕まで見えている。
肩をすくめながら、「少し恥ずかしいわ」と微笑んでみせると、「あああぁ……」と消え入るような呻き声を上げて、また両手で顔を覆ってしまう。
ぶわっ、ぶわっ、と照れの感情が見えていた。
この人は本当に女性に慣れてないんだなぁとエリスは思った。
おかげで平凡なエリスが女神扱いだ。本物の美女を見たら倒れるのではないだろうか。
「こういうところ、あんまり来ないの?」
「え? あ、うん、普段はあんまり……今日は兄さんたちに絶対に来いって言われたから来たけど」
彼はちょっと気まずそうに答えた。
「ああ、お兄さん、二人いるんだっけ」
「うん。……正確には従兄だけど。一応、二人」
「今日はお二人ともいらしてるの?」
「…………」
黙ってしまった。
「あ、別に紹介しろとは言わないわ」
「……ご、ごめんね。その、人脈とか、役に立てなくて」
「あら大丈夫よ、人脈を作りに来たわけじゃないの。目的は決まっているから」
彼は「目的?」と不思議そうにした。
「エリスの用事ってどんなこと?」
「ええと、そうね……わかりやすく例えるなら、玉の輿を狙うような行動をしにきたの」
「え!」
彼は目を丸くした。意外だと思っているのだろう。
それから、おそるおそる、というように訊ねてきた。
「ち、ちなみに、どれくらいの爵位の相手を狙って……?」
「どういう意味?」
「た、たとえば、伯爵位以上の跡継ぎがいい、とか……辺境伯とか、どう?」
「皇子以外、興味ないわ」
「!?」
アシュレイに驚愕された。あまりに直球すぎたか、と少し反省する。
「ごめんなさい、身の程知らずで」
「い、いや、そんなことは思ってないけど……ええと、どっちの皇子? やっぱり第一皇子かな……?」
「今のところは両方とお話をしたいなって思っているわ。あのね、なるべく権力が強い人がいいの」
「……ええと……あ、もしかして、何か頼まれたの? あの森や村のための施策をお願いしに来たとか?」
彼が明るい顔になる。近いといえば近いが、頷くわけにはいかない。
「いえ、村は関係ないわ。個人的に欲しいものがあるだけよ」
「どんなもの?」
「……」
言ってもいいのだろうか。彼は信頼できる人だし、魔道具にも詳しい国家魔導士だ。
しかし、危ない秘密というのは、なるべく共有する相手が少ない方がいい。
それに国賊のような真似をして失敗したら、エリスと親しかったという理由で彼の関与が疑われるかもしれない。むしろ、優しい彼は先日のように「僕が上手く報告書を誤魔化しておくね」と何か手を回してくれるかもしれない。……魔道具部門の特殊審問官だとかいう彼が、さすがに国宝の魔道具を勝手に返却したらまずいだろう。
いくら善意からの行動だったとしても、彼が厳しく処罰されてしまう。最悪、死罪だってありうるだろう。
だが、それをやるのが皇子だったら――皇子がちょっと恋に溺れて好きな女性に国宝をプレゼントするくらいの失態なら……まあ、なんとかなるだろう。
(うん、皇子様なら挽回できそうだけど、一般人のアシュレイは後が悲惨だから巻き込んじゃ駄目だわ)
だからエリスは、彼には言わないことにした。
「内緒よ。でもすごい宝物をプレゼントしてもらえるくらい、皇子様と親しくなりたいの」
「そっか…………」
彼は悩むような顔をした。「宝石……? 宝石とかならいくらでも……」と、ぶつぶつ何やら考え込んでいる。
それから顔を上げて、深刻そうな眼差しでエリスを見た。
「皇子がいいんだね? エリスは皇子様と結婚したいんだね?」
「え、あ……その……結婚となると……」
「あれ? 結婚となると?」
彼が真剣に気にしているようなので、エリスは正直な気持ちを言う。
「私、皇子様に好かれたいとは思っているけれど……でも、結婚するなら、私は、本当はアシュレイみたいな人が好きよ」
「…………」
一瞬にして、彼は固まり、しん、と彼の周りの感情まで見えなくなった。
直後――勢いよく歓喜が湧き上がる。まさに花束が飛び出してきたかと思った。
そしてエリスに食い付くような勢いで言った。
「あの……俺と結婚してくれますか?」
「!?」
突然のプロポーズに面食らっていると、彼ははっとしたような顔になり、
「ご、ごめん! 口が滑って!」
と顔を真っ赤にして、慌て出した。
彼がよろめきながら距離を取るので、エリスも深呼吸し、飛び跳ねたばかりの心臓をそっと手で抑える。
「そ、そうよね。びっくりした……その場の勢いで求婚なんてするものじゃないわ。……大丈夫よ、アシュレイ、そんなに焦らなくても。あなたは緊張しがちで、人付き合いに不慣れかもしれないけれど、とても素敵な心を持った優しい人だもの。焦らなくたって、あなたを好ましく思う人は私だけじゃないわ。私なんてさらっと流して大丈夫よ」
そう優しく笑い飛ばすと、「えっ」と彼が驚いた顔をする。
「い、いや、そういうわけじゃなくて! 君を逃せば二度と結婚相手が現れないと思って求婚したわけじゃなくて……その、ごめん、軽率だったね。ちゃんと、もっと後に――改めて話をさせて。……僕、頑張るから」
彼が覚悟を決めたような顔で言った。
「頑張るって何を?」
彼は、それには答えなかった。
不思議そうにしているエリスを、ただ見つめていた。澄んだ紫色の瞳が、美しかった。
「……つまり、僕が皇子なら、いいんだよね?」
「え?」
「僕が皇子なら、全部解決だよね?」
「ええと、それは、まあ理想的ね……?」
彼の妙な言葉に、エリスは首を傾げる。
「でもアシュレイ、皇子様なんて、頑張ったからってなれるものじゃないわ」
「……うん、そうだね」
彼は曖昧に微笑んだ。




