1_プロローグ
稲妻が落ち、彼の顔に陰影が浮かぶ。
美しく、哀しそうに微笑んでみせる彼を、初めて怖いとエリスは思った。彼はいつも、エリスの前では穏やかだったから。
(……何が運命の乙女よ)
エリスは恐怖と後悔で、強く手を握り込む。
こうならないように――彼が決して世界の敵にならないように、エリスは正しく振る舞うべきだったのに、きっとどこかで間違えてしまった。
真っ黒な空を背に、彼に呼応するように繰り返し雷が落ちる。強風に煽られて彼の艶やかな黒髪が揺れ、皇子らしい豪奢な片側だけの耳飾りが煌めいた。
「――僕を拒んでよ、エリス」
彼の声はとても穏やかだった。動揺して何も言えないエリスに、彼は続けて問いかける。
「できないんでしょう?」
事実を噛みしめるように、彼は幸せそうにちいさく微笑んでみせた。
――いつから間違えてしまったのだろう。
会ったばかりの頃の彼は、少しだけ人に不慣れで、黒い前髪が長くて、フードを目深にかぶって視線が合わず、それでいて人助けができたら嬉しそうにちいさく笑う人だった。いつも顔を隠しているが、澄んだ紫色の瞳がとても綺麗で、臆病ながらも懸命にこちらの言葉をこぼさず拾おうとしてくれる――話しているだけで、胸の奥からじんわり温かくなるような、優しくて、素敵な人だった。
これもきっと、エリスが彼の心をもてあそんでしまったせいだろう。
静かに生きたいと言っていた彼を、王城の、社交の場に引っ張り出してしまった。そのせいで彼は支配者としての才能を覚醒させてしまった。
身分を隠さない『魔法救皇』としての黒紫の軍服は、ぞっとするほど似合っている。
「僕より兄さんのことが好き?」
哀しそうに訊くその顔は、かつての気弱な彼を少しだけ思い起こさせた。
「でも、最後にもう一度だけ確かめさせて。僕のこと、好きじゃないって言うなら、僕に抱きしめさせて。そうしたら、本当のことがわかるから。――僕たちの間に掛けられた、呪いのような『運命』の魔法は、決して嘘はつかないからね」
エリスはただ、後ずさることしかできない。
この恋心はバレてはいけないのだ。――彼を死なせてしまうから。