第4話 仮面の晩餐
王都へ向かう馬車の窓から、朝霧が流れてくる。
シフォンヌは竪琴を膝に抱き、そっと弦を撫でる。
弦の震えは胸の鼓動と重なっていた。
星しらべの祭りまで、あと三日。
ロアードの推薦により、シフォンヌは宮廷楽士補佐という肩書を得て、王都の音楽院へ滞在を許された。
邸を出る前に、背後から叔母が呼び止めた。
「お前などが王都に行ったところで、恥をかくだけよ」
シフォンヌは振り返らずに歩を進めた。
母の声が風に乗って聞こえた。
――泣かないで。あなたは幸せになれる
王都は眩しかった。
通りを行きかう貴族らの衣装は、花が咲いたよう。
広場では楽士たちが笛やリュートを奏でている。
王都の空気は、音で満たされている。
ロアードは宮廷に呼ばれており、シフォンヌは一時、音楽院の練習室を借りていた。
練習室の窓から、王城の尖塔が見える。
尖塔の先には、夜になれば星が輝くのだろう。
午後になって、ロアードが迎えに来た。
滑らかな黒の上着には銀糸の刺繍が施され、彼の胸元には、王族の紋章を模した徽章が付いている。
「お似合い、ですね」
「ありがとうございます」
ロアードは苦笑する。
「今日は『仮面の晩餐』に、出席しなければならないのです。毎年、王族主催で開かれる、前夜祭のようなものです。本来なら、楽士は裏方なのですが、今年は少々、事情がありまして」
ロアードの横顔には、微かな疲労が滲んでいた。
「事情?」
「ええ、まあ……」
ロアードは言葉を濁し、窓の外を見つめた。
王城の尖塔は、いつしか夕陽に染まっている。
黄金の光が、塔の頂点にあった。
夜になった。
王城の広間は、無数の燭台が吊り下げられ、波のように灯りが揺れていた。
客たちは仮面をつけ、背景の音楽に笑い声が溶けていく。
ロアードは黒の礼服を纏い、髪色と同じ銀の仮面を着けていた。
夜の麗人といった面持ちである。
シフォンヌは裏方として招かれていたが、ロアードの伴奏者として舞台の袖に座していた。
音を合わせる練習は、数えきれないほどしてきたが、礼服を着た彼の姿は遠い。
仮面は、ロアードの心まで隠しているように、シフォンヌは感じた。
笛の音が響く。
一瞬の静寂。客たちが音に振り向く。
ロアードの奏でる旋律は、星よりも美しかった。
シフォンヌも竪琴を合わせる。
音が重なり空気が震える。
ほんの一瞬。
ロアードがシフォンヌを見た。
仮面の奥の瞳が、笑っていた。
――この音は、二人で一つ。
演奏が終わると、嵐のような拍手が湧く。
王族だけが許された席から、一人の青年が立ち上がる。
仮面を外したその青年は、「彼」だった。
ロアード。
それが王弟と同じ名ということに、シフォンヌはようやく気付く。
「恐れながら私、ロアード・セレスティウスは、この音を陛下に捧げます」
会場にいるほとんどの者たちも、王弟の顔を知らなかったようだ。
ざわめきが生じる。
シフォンヌは呆然としている。
ロアードが……王族?
最年少の宮廷楽士とは、世を忍ぶ仮の姿だったのか。
ロアードが、シフォンヌの名を呼ぶ。
「伴奏を務めたシフォンヌ・オルランス嬢にも、心から感謝を」
視線が一斉にシフォンヌへ向かう。
光に晒されて、彼女は逃げ出したくなった。
されどロアードの目は優しい。
彼の瞳に嘘はない。
ロアードは最初から王族だった。
ただ、音楽においては、彼もまた一人の人間であったのだ。
晩餐が終わり、ロアードに促されるように、シフォンヌは庭園に出た。
夜風は冷たいが、なぜか心地良い。
星は手の届きそうなほど、瞬いている。
ロアードが静かに言う。
「驚かせて、しまいましたね」
「……いいえ。ただ、信じられなくて」
「信じなくていい。僕は、あの日、店であなたと出会った、ただの楽士です」
ロアードは星空を見上げる。
「僕の母は、かつて宮廷歌手でした。けれど、声を失い、悲しみのうちに亡くなったのです」
ロアードが一歩、シフォンヌに近付く。
「だから、あなたの声に触れた時……」
さらに一歩。
「あなたに、惹かれた。自分の音に寄り添える声、僕と一緒に奏でられる人だと」
二つの影が重なり合う。
ロアードが囁く。
「シフォンヌ。星しらべの夜、あなたの歌を、僕にください」
シフォンヌの鼓動が全身に伝わる。
何も、言えない。
言葉に出来ない。
ただ、涙が流れる。
「はい。必ず……」
星降る夜は、愛を育てる。
だが。
闇もまた、夜の顔である。
アニーカの嫉妬と策謀が、蠢き始めていた。
王弟って一発変換出来ない~~




