間話 化かし合い【1】
つまらない。
スティリアはルシアスの不在に頬を膨らませていた。
いや、留守ならば留守で、やりたい放題にできる。
行ったことのない場所へと赴き、[魅了洗脳]で駒を増やしていく。
あいにくと未だにこの国の王とお妃、彼の最愛の妹姫には挨拶ができていない。
表向きはルシアスによる「スティリア王女には、まだこの国で覚えていただきたいことがたくさんありますので」という教育不足。
だが、両親と妹へスティリアが[魅了洗脳]を行わぬようにとの牽制だ。
まったくもって忌々しい。
そして、その思い通りにならないところがまた、たまらなくゾクゾクとスティリアの身を焦がす。
あの美しい男が、羽根をもがれ、手足をもがれ、自分のことを心底憎いと瞳に映すところを想像しただけで恍惚とした表情を浮かべてしまうほどに。
そう、もうすぐだ。
もうすぐ見られる。
間もなく聖森国でも聖獣祭が開催される。
その時には王侯貴族が聖獣の祭壇へ集まるだろう。
その時に、この国の王侯貴族に[魅了洗脳]を使えば、この国は実質スティリアのモノとなるのだ。
いくらルシアスであろうとも“薬師の聖女”をいつまでも囲ってなど置けない。
それに“薬師の聖女”へ、ルシアスは『聖獣治療薬を作ってほしい』と依頼している。
無論薬作りなどしたこともないスティリアに、聖獣治療薬など用意はできない。
影の者に崖の国で捨てた『本物』——ジミーアを探させたが、狭間の森に向かった以上のことはわからずじまい。
同時期に狭間の森にある複数の半獣人の村に、人間の成人女性が訪れなかったかも調べたが、どこの村も「そんな女は来ていない」と首を横に振った。
つまり、ジミーアは死んだのだ。
崖の国から追い出して数ヶ月経つ。
狭間の森で死体を探すのは難しかろう。
それでも万が一を考え、狭間の森の崖の国の近くで[魔獣寄せの魔術紙]を生肉に挟んで放置させた。
あれで小型の魔獣が集まり、上手くいけば魔獣融合が起こる。
ただの災厄であり、時折自然に起こるそれを、スティリアは人為的に起こすやり方を編み出していた。
崖の国から出たら絶対試そうと思っていたのだ。
大嫌いな両親のいる崖の国。
魔獣融合という災厄で、慌てふためき、苦しめばいい。
困ればいい。
狭間の森でうっかりジミーアが生き延びていたなら、それに巻き込まれて死ねばいい。
スティリアは美しい顔に残虐な笑みを浮かべる。
どこまでもスティリアは、自分だけが幸せであればよい女だ。
「スティリア様、ルシアス様がお帰りでございます」
「ほんとぉ!? やっと帰ってきたのね! ああ、ルシアス様! スティリアは寂しくて寂しくて死んでしまいそうでしたわ〜! すぐに会いに行くとお伝えして!」
「かしこまりました」
あなたの留守中、スティリアはとても頑張っていたんですよ〜、と声に出して廻る。
そう、本当に頑張った。
城の者すべてに[魅了洗脳]をかけて回ったのだ。
もうこの城の中であなたの味方をする使用人、家臣はいないだろう。
それを知った時のあなたの顔を見るのが、楽しみで仕方なかった。
ドレスに着替え、化粧を施し、スキップでもしそうな上機嫌のまま彼の部屋へと押しかける。
ルシアスは着替えを終えて、留守の間の様子を側近に聞いているところだった。
その側近エンスも、すでにスティリアの術中。
気づいただろうか?
側近すら奪われていることに。
どう思っているだろうか?
城の味方を全部奪われたことを。
「ルシアス様ぁ、お帰りなさいませぇ!」
褒めて褒めて、と言わんばかりにルシアスの胸に飛び込む。
ルシアスはそんなスティリアに柔らかく微笑んだ。
「ただいま帰りました、スティリア様。留守中、とても充実した日々を送られていたとか」
「はい! それはもう!」
「それはなによりです」
気づいていない?
だとしたら少し拍子抜けである。
見上げてにっこりと微笑む。
普通の男ならばそれだけで鼻の下を伸ばすような笑みだ。
「そうそう、そろそろ聖獣祭ですが、聖獣治療薬は——」
「ええ! もうできておりますわ」
嘘だ。
本当は作ってすらいない。
色のついた水を渡すつもりだ。
「……なるほど。では先程私のところに届いたこれがそうなんですね?」
「え?」
すっ、とルシアスが身を離して、庶務机の方を見る。そこに並んでいたのは、薄い紫紅色の液体が入った小さな薬瓶。
ビキビキビキ、と血管が浮かぶようだった。
(は? なによあれ。知らない)
もちろん笑みは崩さない。
目を細めて、一瞬のうちに対応を考える。
むしろ、ルシアスの動向に興奮していた。
それでこそ、それでこそ自分の選んだ男だ。美しいだけでなく、腹の中が自分と同じぐらいドス黒い男。
この男を、なんとしてでも踏み躙りたい。
「まあ、わたくしそんな薬は知りませんわ」
乗ってやるのも面白いかと思ったが、聖獣治療薬なんてこの世にはない。
自分以外作れないのだ。
彼の元にあるはずがない。
そういう態度をとることにした。
するとルシアスは「おや」と不思議そうな顔。








