Side.シェセル・ストレジア
今日も、あの男がやってきた。呼んでもないのに。幾重の結界に守られたこの城を、まるで自分の家かのように。
「お久しぶりでございます、お嬢。ご機嫌いかがでしょうか」
「今日は随分慇懃ね、イイダ。アポイントも無しに。本当の紳士は口調だけで誤魔化さないものよ」
「おっしゃる通りにございます。しかし何分、ここの所、高貴な方とお話しすることが増えまして」
嘘。コイツの言うことは全部嘘。この男には中身が何も無い。きっと、また面白半分で口調を変えてる。
「貴方、急に肌が白くなったいみたいだけど、今度の取引先は白人でいることが都合がいいのかしら」
「はい、お嬢の目は誤魔化せませんな。流石で御座います。全てを見通しておられる」
なんというか、サイアク。人種も文化も踏み躙り、適当に目的の人種になりすます。コイツの誇りの無さには反吐が出る。
「で、今日の用事は?」
「はい、この前お渡しした『候補生』の視察、更には新たな『候補生』の引き渡しに参りました」
そう言ってイイダは従者に合図をする。連れてこられたのは東洋人の青年。俯いたままで顔は見れないけど、彼からはなんだか苦しみを感じる。
「この男、お嬢にお届けするまでに相当暴れまして、面目ない話ですが、記憶の書き換えの途中、この世界から彼の名が無くなってしまいまして。取り敢えず『名無し』とお呼びください」
イイダと一緒に青年も頭を下げ、挙げる。そして彼と目が合った。
なんて真っ直ぐな目。逞しい肉体。そしてその身体を引き裂かんばかりに溢れようとする魔力。
ドキッとした。
「お気に召しましたか?お嬢」
イイダは人間の感情に敏感だ、気付かれたらどうなるか、わからない。
「えぇ、えぇ、大した才能ね。ここからでも分かる。この前の男よりもずっと」
いけない、この動揺はきっとイイダに読み取られてしまう。
「この前、の男?誰でしたっけ?」
「ユウよ。貴方のもとへ以前送り返した」
イイダは興味無さそうに相槌を打つ。
「ああ、彼か。確かに彼も素晴らしかった。そうか、我々はあれから一年も新しい『候補生』をお届けしておりませんでした」
「白々しいわね、イイダ。こっちでも貴方達が何人かストレジア家に渡さず素質ある者を抱え込んでいるのは、分かっているのだから」
イイダが大仰に首を振る。本当に苛つく。この男は。
「まあ、別に責めることでは無いわ。貴方達に私たちは期待してない。差し出された者を導いていくだけよ」
これは半分嘘だ。彼らと契約したのは若い時のお父さま。私は半世紀前の腐れ縁を引き継いでいるだけ。本当なら彼らとは一生顔を合わせたくない。
「まぁ、と言うことですので、『名無し』の事も気になるでしょうし。ひとまずここでお話しください。私は『学習室』に参ります」
「気をつけることね。ヘイジは前より狂暴になってる。もしかすると私の知らない魔術すら使えるようになっているかも」
「おお、それはそれは。お嬢はそこまで育てられたか。彼はやはり我々の歴代史上の傑作だ。強化ガラスの向こうから、今日は一体私を何回殺してくれるのでしょう」
「たまには掃除係にも敬意を払って視察なさい」
「あはは、私もそろそろ彼に殺されるのは慣れて参りました。このイイダめは、今日、ストレジア家に血の一滴も溢すことは無いでしょう」
彼の従者は可哀想だ。訳もわからぬまま『ヘイジ』に殺される。イイダの言いなりの奴隷達。「候補生」から漏れたもの。
イイダが部屋から離れ、私は『名無し』と呼ばれた青年に近づいていく。『記憶』は魔力の根幹に関わる大切な要素だ。私だって、記憶を消されればストレジア家の魔力を完璧に維持することはできないはずだ。
「青年、キミは本当に記憶を全て無くしてしまったのか?」
『名無し』が顔を上げる。虚な目。でもこれは。
「無い。何も分からん」
この目の光の無さは、記憶を消されたせいじゃない。この青年には、『最初から何も無い』。
「キミには何ができる?」
「走ること」
ああ、そんな真っ直ぐな目で私を見ないでくれ。
「なあ、アンタ。ここに運動場はあるか?」
そんなものいくらでも用意してやる。お前の為なら。
らしく無い言葉が頭に浮かんでくる。それを揉み消すように裸の彼に、服を着せるようにメイドに命じる。
こんな気持ちは初めてだ。
「俺は、何をすればいい?」
そんな目で、私を見るな。
「アンタ、名前は?」
「しぇ、シェセル・ストレジアだ」
バレていないだろうか、自己紹介で噛んだことを。
「そうか、シェセル。よろしく」
やめろ。本当にやめろ。私はまだ13の乙女だぞ。
「運動場、あるか?」
そんなに目を潤ませて、懇願するように、私を見るな。
正直に告白しよう。私、シェセル・ストレジアは、名も分からない男に恋に落ちた。何故かは分からない。そしてどうすればいいかも分からない。ただ、イイダが去って数日、私は彼がストレジアの庭を荒々しく走り回る光景しか覚えていない。
こんなこと、ダメだ。この『名無し』の男もどうせ、記憶喪失とか言いながらイイダの息がかかっている悪辣な工作員に違いない。
でも、私は、どうしようもなく、この青年に一目惚れをしてしまった。一生を添い遂げたいと、彼が庭を素晴らしいスピードで走り回る姿をみて思ってしまった。私だって年頃なのだからしょうがない。
しばらく後、彼が純正の日本人の家系であることを突き止めた。イイダは、わざと隠していたに違いない。何故ならイイダは、私が『名無し』を好きになることを分かっていたから。相変わらず腹立たし男だ。
1年経った頃、ようやく彼も意思の疎通が滑らかになった。これなら大丈夫だろう。私もこの一年で日本語の勉強は一通り済ませてある。
ここより巣立った『元候補生』、ダイチ・ガッシュに連絡を取り、彼が潜入している学校のツテで『うるみ第二中学校』にへと私と『名無し』は編入を済ませる。
目的はもちろん、『名無し』の彼のため。きっとガッシュなら『名無し』の彼に連なる情報も持っているはずだ。ガッシュはイイダよりも私に忠誠を払っている。
「なぁ、お前は『何・ストレジア』になりたい?」
「?なんでお前と同じ苗字なんだ?
「…」
鈍い奴。
「お前とは兄妹としておいた方が何かと都合がいい」
「何故だ?」
「それは…同じ家から学校に通っても変じゃないから」
「なるほどな」
単純なやつ。
「お前が適当に名前をつけてくれ。俺にはピンと来ない」
「そんなこと言うなよ」
ドキドキするだろ。お前の名前を好きに決めて良い?ふざけるな。千載一遇だ。ばか。
「なら、ならお前はピエトロ・ストレジアだ!」
『名無し』は首を傾げて問いかける。
「それはお前の死んだ兄さんの名前だろう。俺とはあんまり顔が似てない」
「うるさい」
「おう」
お前は絶対『ピエトロ・ストレジア』と名乗らせると決めていた。絶対だ。馬鹿ものめ。
「良いか、日本では私とお前は兄と妹だ。だから。私にとって呼びやすい名前にしたまでのことだ」
「ああ、ならいいが」
『名無し』は若干不安げに確認する。
「で、日本では結局『ストレジアの候補生』になりそうなやつを見つければ良いんだな?」
「ああ、お前の生まれ故郷でもあるし、、私たちが編入する学校の近くには、息の掛かった者も居る。絶好の舞台というわけだ」
「俺の生まれ故郷で、助けてくれるやつも居るんなら、別にお前は行かなくてよかったんじゃ」
「バッカもの!」
私がお前と通学したいがためにどれだけ手を回したか分かっているのか?この根なし草!鈍感記憶喪失男!
「悪い、悪い」
私の怒りは、言わずとも伝わったようだ。
「いいか?私の計画は絶対だ。『うるみ第二中学校』で我々は必ずつよい魔力の持ち主をスカウトするのだ!」
「なぁ、俺ってもう18なんだろ?日本の中学って15までなんじゃ」
「うるさーい!つべこべいうな!今日からお前は私の兄だ!」
「はーいよ」
そうだお前はイイダに連れてこられた時点で私の所有物なんだ。だから私の兄になってもらったところでなんの問題もない。
なーにが『羽門亜紀』だ。お前の本名なんてイイダを締め上げて、ストレジアの魔力でとっくに割り出してる。お前が『一井由十』だかなんがか知らないが、なんと言っても私の兄なんだ。他の奴なんて知ったことか。
お前は私だけの、『ピエトロ兄さん』なんだ。
「俺、飛行機は初めてなんだよな、多分」
「なんだ怖いか?ピエトロ兄さん』
「いや、お前こそ大丈夫か?『シェセル』?」
「、っ〜んんっ!」
「何唸ってんだ、お前」
「五月蝿い!離陸しろ!パイロット!」
名前で呼べとは言ったけど、急に名前で呼ぶな!恥ずかしいだろっ!ばかっ!
「目標は『うるみ第一中学』の一年生、『大地あんじゅ』!分かってるな、馬鹿兄!」
「分かってるよ…」
「あとっ!」
「なんだよ」
「飛行機は、少し、少し、怖い!」
「そんなことで威張るなって…」
そう言いながら『兄さん』は腕を貸してくれる。まるで兄さんが生き返ったみたいに、、優しい、逞しい腕。私はものも言わず差し出された腕に抱きつく。この男は、どれだけ私をドキドキさせれば気が済むんだ。
ストレジア家の私有旅客機は私と『兄さん』を乗せて日本へと向かう。
きっと、2人なら、『兄さん』となら大丈夫だ。昔みたいに。