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苦手な方はご注意ください。

▲お題に合わせて・ツイノベ・掌編

【漢字一文字】生まれ落ちて還す老婆

 地下鉄の天井からぬっと老婆の顔が現れた。

 天井はぼんやり揺らいでいる。


 車内は程々に混んでいた。

 眼前でつり革につかまる人たちは、みな手元の文庫本やスマートフォンに夢中だ。

 誰も老婆の顔には気がついていない。

 気がついていたらまず平静ではいられまい。


 老婆の顔は胎児が頭をねじ込み今まさに生まれ落ちようとしてくるような懸命さで、ゆっくりと下へ突き出てくる。

 顔の皮が引っ張られ大きな目玉がこぼれそうだ。

 電車の天井は柔らかい沼のように表面をたわませ、波紋を広げる。


「あっ」


 老婆の口からつーっと涎が垂れ落ちて、思わず声が出た。

 涎はエアコンの風に細く流れ、扉の前に立つ若者の無造作風に整えた頭に付着する。

 私の声に老婆はギョロリとした目をこちらに向けた。

 乗客は、さっきの若者も含めて皆私に怪訝な顔を向ける。


 皆の集中が私に向かっているうちに、老婆は唇で誰かの帽子を摘み上げ脇に隠した。

 眼鏡。イヤリング。ストール。

 出てきた両手を使い次々と引き抜いてしまう。

 それでも誰も気がつかない。


 ついに老婆はどさりと天井から落ちた。

 手際良く裸にストールを巻いて、眼鏡を使って肩で捻り、イヤリングを使って器用に留める。

 ワンピースの出来上がりだ。

 老婆はツバの広い帽子をかぶると一度私の方を振り返った。

 妖艶な笑みを浮かべて腰を振る。


 電車は終点の××に到着する。

 老婆は人々に混じって駅に降り立った。

 ホームの真ん中で気持ちよさそうに伸びをする。

 老婆の両手は竹が伸びる様にぐんぐん伸びて、天井にくっついた。

 天井に抑えられてもなお勢いは止まらず、折れて垂れ下がってくる。


 いつのまにか老婆は消えてホームの真ん中に白いタイルの壁ができていた。

 その壁によって、古くさびれたホームに似つかわしくないモダンな新しい通路が現れる。

 行先は明るく真っ直ぐであるのに、どうしてか先まで見切ることができない。

 目を細めてみようとすればするほど、赤黒く霞み揺らいでしまう。


 さあ。

 人々が風の様に私のそばを過ぎていく。

 さあ。

 新しい通路に当たり前の様に流れていく。

 なんの疑問もよぎることのない顔で黙々と突き進んでいく。

 さあ。

 風が呼んでいる。


「あなた」


 呼び止められて振り返る。

 眼前に立つのは、背丈が私の腰ほどしかない小さな女の子。


「あなた、わたしね」


 眼前に立つのは、こぼれ落ちそうな目をした老婆。


「わたしなのね」

「違う、私は……」


 声を出そうとすると、突然二つの影に抱き留められる。

 するとたちまち私の体は砂袋の様に重くなり、破れ、ざぁっと崩れ落ちた。


 駅に電車が入ってくる。

 風が吹き、私の体は舞い上がり吹き流される。


 私はあちこちに散らばって、駅構内のどこにでもいて、どこにもいなくなる。

 いく人もの靴に踏まれ、服に付着し、気管に入り運ばれていく。

 赤黒く霞む通路の奥へ。


「おかえりなさい」


 老婆とも少女とも知れぬ声を聞いた気がした。

 


挿絵(By みてみん)


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― 新着の感想 ―
[良い点] 文章の書き方がお上手で、景色が頭の中に浮かんでくるようでした。
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