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僕達はどこか明確な目的地を創らず、ぶらぶらと歩いた。その間、小鳥ちゃんはよく、喋った。男ではない彼女らは一概に喋るのが好きなのだろうか。
主にアウトドアでの話が多かった。見た目から判断して、パッシブだと思い込んでいた僕は意外性を感じずにはいられない。確か、彼女の今年の目標は〝引きこもらない〟だった。彼女の発言を含ませて僕が勝手にアクティブじゃないと帰結してしまっていたのが勘違いの原因だろう。
どれほど時間を使っただろう。遊戯施設でもなんでもない画に描かれ飽きた道を歩きながら、何心無い話が続いたあと、彼女はぽつりとつまらなく云った。前を見ているから、表情は窺えない。
「えっ? なんだって?」
油断していて聴き洩らしてしまったので、もう一度、文章を抜粋するように同じ言葉を綴ってもらった。
「通先輩には〝友達〟はいますか?」
「友達?」
漫画や小説などではよくある質問をされた。実際に訊かれたのは初めてだったから、即答はできなかった。僕は視線を空に向け少し黙って、自分の人間関係の図を紐解いて考えつつ答えてみる。
「うーん。一人、いるかな。友達というか友人というか悪友というか、そうだね……。親友と呼んだほうが妥当かな。それが一人だけいる」
僕の不穏当な発言に首を傾ぐ彼女の唇が見えた。
「友達じゃなくて、親友……ですか?」
「うん。でも、小鳥ちゃんが考えているような理想的な間柄じゃないと思うけど、解りやすくいうなら、相手に『死んでくれ』って言えるような間柄かな?」
「えっと……、もっと、意味が判らなくなったんですけど」
「そう?」
僕は解り易く伝えたつもりだったけれど、説明が不器用だったようだ。彼女を見る。雑談のときみたいに笑顔はなく、真剣さだけがあった。彼女は僕に諭すように云う。
「だって、相手に『死んでくれ』って言うとか……、普通じゃありませんよ」
云われてみれば、そうかと思う、けれど。
「僕達だけの関係だからね。共通しないのが当然だ。だから、小鳥ちゃんが〝普通じゃない〟って結論付けてくれればいいよ」
「普通じゃない……って」
「他者が他者をどう思ってもそれは自由だからね。うーん。納得できないって顔だね。じゃあ、小鳥ちゃんの思考の普通の定義が判らないけれど。適当に近づけて言えば、少なくとも最低で自分の思ったことを伝えられる曖昧模糊な関係だと言っておくよ」
「…………」
「これで、いいのかな……?」
自分で説明してよく判らなくなってきた。ついぞ、アイツとの関係性を他者に説明した経験はないからだ。
僕の疑問声は耳に入っていないようで、彼女は何かを考えている様子だった。僕は沈黙に飽きてきて急かすように訊いてみる。
「それで……、小鳥ちゃんは僕の交友関係が知りたくてそんな質問をしたんじゃないんだろう?」
問いに対して、一度だけ僕の表情を眺めると、
「――はい。親友のいる通先輩に聴いてもらいたい相談があるんです」
返事をして遠くを見て、思い出すように声を溢した。
「私……、友達と喧嘩しちゃったんです」
「うん」
僕が頷くと、堰を切ったかのように彼女は喋り始めた。
「その友達、私と性格が正反対でクラスのムードメーカなんですけど、だからじゃないですけど。地味で目立たない私を気にかけてくれて優しくしてくれて友達にもなってくれて、すごくよくしてくれていたんです。でも、そんな、友達と私……、喧嘩しちゃったんです。些細な理由なんですけど」
普通じゃない発言をしちゃったんです、と彼女は気持ちを込めないように言葉を作った。
「私が悪いんですよ。ちょっと、調子に乗ってたんです。どこか勝手に自分と友達が対等だとか思ってたのかな。だから、あんな、自分の考えを口にしちゃったのかな。あんまり、あのときのこと思い出せないんです。どうして、なんでだろう、私どうしちゃってたんだろう。普通にしていればあんなことにならなかったのに」
彼女が〝普通〟という単語をよく使っているのは納得しようとする現れ。
「一杯謝ったんですけどね。一杯いっぱい、お願いしたんですけど。友達は許してくれなくて、まったく、許してくれなくて。ああ――間違えた――」
彼女は平淡に云う。
「――もう――友達じゃなかったんだった」
ぎゅっと、僕の腕は締め付けられた。
彼女はそう、している自覚はないだろう。意識もしてないだろう。普通にしているつもりなんだろう。ただ、隠そうとしているだけで、ただ、無言だった。
「そう」
吐き出された僕の声が風化されるほど続く、無言での道程。
いろいろ、口にできる時間が存在し、考える時間が作られた。
彼女は僕の言葉を待っているから、何も喋らないのだろう。どうすればいいか判らない彼女は何かを僕に言って欲しいようだ。そういう、雰囲気が伝えられた。だから――。
「小鳥ちゃん」
選択はあった。
選べる時間はあった。
普通ならば、選択はなかったのかもしれない。
「それ、最初から友達じゃないよ」
僕が普通ならば、だ。
だが、残念ながら僕は変態だった。月並みな答えが聴きたかったなら、共感を得たかったなら、僕に云うべきではなかっただろう。僕に言葉を持たせるべきじゃなかっただろう。僕の言葉を待つべきじゃなかった。僕を彼氏にするべきじゃなかった。彼女は知っていたはずだ。僕が普通ではないことを。
「友達のいない僕が言うのもなんだけど。感覚でしか言えないけど。友達の定義は言えないけど。これだけは言える。僕にしたら、それは最初から友達じゃない」
そこまで言うと、小鳥ちゃんは僕の腕を解放した。ずっと、握られていた腕は熱を失って、急速に冷えていく。
空気という壁を挟んで立ち止まり見つめてくる彼女。それを受け取る僕。その表情はどこか僕に指摘されて安心しきった表情で、受け入れられないといった表情でもあった。
「友達じゃない……?」
機械で打たれた文章を読むように、彼女の声には感情が篭っていなかった。僕は彼女を追い詰める。
「気づいていたんだろう?」
「あ――」
ぐちゃぐちゃだった。
思考と行動と表情が混ぜ合わさって、彼女の精神は狂ったようにぐちゃぐちゃだった。
ただ――、ぐちゃぐちゃだった。
「建前だって」
そう、成っているのは彼女で。
そう、したのは僕だ。
「知っていただろう」
彼女の唇は震えていた。
「……あ、あう、うぅ」
現存する言葉以外の言葉を探す唇。
矛盾した支離滅裂な言動。
頷きはしない。だが、呻く声が僕には頷いているようにしか聞こえない。
声が出るまで、彼女の中では幾年に該当する時間が経過したのかもしれない。僕には数秒だったとしても。
「それでも――」
気づけば彼女の震える唇は、
「そうだったとしても――」
止まっていた。
「私が――一方的に……友達だと思うのは、普通でしょ……?」
そう云って、笑う彼女は普通に見えた。
簡単に、容易に、教師が望むように、大人が望むように、普通の女の子だった――。
夜が傍にいる。
気づけば、夕焼けが視界になだれ込んできていた。
「そうだね」
僕は短く彼女に同意して言った。
「小鳥ちゃんが友達と呼ぶなら、それは友達なんだろうね。いまもまだ、友達に戻りたいんだろうね。小鳥ちゃんにしたらただ、喧嘩をしただけなんだろうね。また、元通りの関係に戻れると信じているんだろうね。それが小鳥ちゃんの相談だったんだろうね。こんなとき、小鳥ちゃんの彼氏の僕はその相談を解決してあげなきゃいけないんだろうけど、僕に言えることは一言だけだ」
僕は云う。
「僕にしたらそれは〝くだらない〟モノさ」
短い世界。
「くだらない……?」
「君が云った。くだらないという言葉と同じ意味さ」
「ああ」
空気が抜けた風船のような力のない表情と声が彼女に張り付いた。それでもと、彼女は僕に問いかけ続ける。
「私……、私の友達って通先輩にしたらくだらないですか?」
「くだらないね。悩みの内にも入らない」
「私にしたら重いんですけど?」
「僕にしたら軽すぎて違う意味で困る」
「そうですか?」
「そうだよ」
「本当ですか?」
僕は間を空ける必要もなく淡々と答えた。
「嘘だと嘘を吐いたほうがいいかい?」
夜が傍に佇んでいる。
彼らはそこにいるだけで、何もしない。
夜は傍に佇んでいる。
「通先輩……」
懐かしい声が聞えた。
「何?」
僕は平坦に声を出して彼女を見る。彼女の眼は鋭く僕を刺していた。
「私、通先輩と付き合っていま解りました」
「何が?」
「先輩の性格が、です。先輩って、正直な人ですね」
「そう」
「それと、酷い人です」
「そうだった?」
「私、そんな正直さ(せんぱい)が――」
自然で普通な感想。
「――大嫌いです――」
それを耳にして、僕はいつも通り思いを言葉にした。
「そうかい。それは小鳥ちゃんの僕への〝正直な気持ち〟なわけだ」
「はい」
「だったら、それでいいよ」
言葉の終わりに少しだけ笑って見せた。
どうやら、僕はフラれたようだ。
僕達の関係は本日から開始され本日付で終了。今日一日の初体験は僕にはめまぐるしかったけれど、これが普通の人間からしたら当然の〝恋愛〟なのだろう。無駄な時間を省くためには必要なものらしい。付き合えば相手が解る。たった、一日程度で知れる間柄で、知れた間柄。無駄のない恋愛。効率のよい恋愛。無駄ではない時間。恋愛には無駄が使えないらしい。
でも、そういった、無駄も含めて恋愛じゃないの?
僕は、そう思うのだけれど……。
いいや。
心の中で頭を振った。
これも、彼らにしたら僕の懐古主義なんだろう。
ふと。
視線を前に向けると、そこには立ち尽くしたままの女の子(、、、)がいた。平手打ちぐらいされると思っていたのだけれど、動いたのは唇だった。僕は酷い人間らしいから、何か文句を云われるのは百も承知だけど大抵のことは友人、いや、親友に云われ続けているから耐性ができていると自負しているから耐えられるかもしれない。そう、思っていたのだけれど、小鳥ちゃんの発言は僕の耐性を無視する部類のモノだった。僕から離れた同じ面の上で、独りの女の子は云った。
「通先輩、私は先輩が大嫌いですけど、今日一日、色々とお世話になりました。だから、お礼をしたいと思っているんです。お世話になった相手にお礼をしないのは普通じゃないですから。
私にはたいしたお礼ができないですけど、どうぞ、私の身体、好きにしてください。好きにしてくださいっていうのは、そのままの意味で、私、処女なんです。だから、そういうことよく判らないから、私からは喜ばせられないけど、通先輩の云う通りにはできますって意味です。大丈夫です。誰にも言いふらしたりしません。約束できます。約束は護るのが普通ですし、大丈夫です。信じてください。行為について気も使う必要はないですよ。一度、私のおっぱいの感触知っているから、感触覚えているでしょ、興奮したって云ってくれたから、だから、私でも大丈夫でしょ?」
そう、普通に小鳥ちゃんは云った。
「先輩は変態ですから喜んでくれて……、それが先輩にとっては最低限の普通のお礼にはなるでしょ?」
そうか。
そうなのか。
小鳥ちゃんは――。
「小鳥ちゃん」
「はい……」
小鳥ちゃんは僕の言葉を知っているかのように、薄く笑った。
「やっぱり、まだ、死ぬ気なんだね」