空を見上げて
アグリス――宗教色が強く身分差別の激しい街。
周辺種族とは常に対立している。
そのような都市が、半島と大陸を繋げる玄関口に立っている。
敵に回せば、危険極まりない街……。
「もちろん、敵対など考えてませんが、宗教色が強い街である以上、意見の相違があり対立する可能性が十分にある。その時に、トーワのみでは抵抗すら敵いませんから」
「アルリナはすでに屈服している。だが、ケント殿は違うようだ。そうであろうとも、失礼ながらも言わせてもらおう。無謀だっ」
「わかっています。それに何も対立するとは言っていません。念のため、念のためです」
「念のため、か……ふふ、良いでしょう。その念のためが現実にならぬよう祈っておる」
マスティフは深く言葉を沈め、声に出した。
それだけアグリスという街が恐ろしく、そして強大なのであろう。
僅かな間を挟み、彼は声をいつもの調子に戻す。
「アグリスと比べれば、力の差は歴然。そうだというのに、温和な見た目から反して、この気構え。無謀であっても、ワシは気に入りましたぞ。ケント殿の手紙、必ずやお届けしましょう」
「ははは、それは嬉しいお言葉」
本音を言えば、事を構える準備なぞする気はなかった。フィナと出会うまでは……。
彼女が訪れたことで、古代人の遺跡に興味が湧いた。
探索する可能性が開いた。
ならば、あの遺跡を死守するためにも最低限の備えはしておきたい。
そう、感じ始めていた。だから、打った布石……。
(ふふ、いつの間にやら、フィナ以上に遺跡にこだわっているようだ。だが、無理もない。トーワの城で見た数式と設計図。せめてあれがなければ、ここまで興味を持たなかっただろうが)
何者が書いたのかわからない数式と設計図。
古代人に匹敵する知識を持つ者。
だが、遺跡に立ち入った様子はない。
本当に立ち入ったことがないならば、どうやってあの数式と設計図を生んだろうか?
同じ研究をしていた者として、ぜひ教えを乞いたい。
その者が遺跡に入ったのかそうではないのか……それをはっきりと確認するためには遺跡の探索が必要。
さらに、あの数式が本当に古代人の知識に匹敵するものかどうかの確認を……いや、あの数式がなくとも、遺跡には……みんなを救う手立てがあるかもしれない。
私のものでは不完全なはず。はず――私ごときでは結果がどうなるかも予想できないっ。
思わず、拳に力が入る。
その拳を目にしたマスティフが眉を少し上げて尋ねてきた。
「どうされました、ケント殿?」
「いえ、皆が各々役目を果たしている。私も頑張らねばと思っただけですよ。では、私も治療に手を貸しに参ります」
「しかし、それは」
私はピッと人差し指を立てる。
「客人。そして、一領主の方に任せるわけにはいかない、は無しですよ。ま、貸しときます」
「がはは、なかなかの御仁だ、ケント殿は。ワシも現場に戻り、事故の始末をつけねばな」
私たちは揃って家から出て、自分の役目へと戻っていった。
――次の日の朝
私たちはトロッカー鉱山の入り口前に集まっていた。トーワへ帰るために……。
もちろん、治療や事故処理のために残るという選択肢もあった。
だがマスティフから、これ以上手を借りるわけにはいかないと固辞された。
正確には、これ以上の貸しを作ることを嫌ったのだろう。
幸い、ワントワーフの回復力は人間族よりも強く、私たちがいなくとも生き残った人々は回復を待つ人ばかりだ。
安心して、鉱山を立ち去れる。
余談だが、事故の原因となったものをフィナが特定したらしい。
三番炉の圧力弁に粉塵や煤の侵入を防ぐフィルターが取り付けられているのだが、それが旧式のものだったらしく、内部で剥がれ落ち、弁を封鎖してしまったようだ。
それにより、圧力が上昇、爆発となってしまったと。
去る間際に、マスティフと簡単なあいさつを終え、彼の隣に立つカインが私に声を掛けてきた。
「僕はもうしばらく、治療に当たろうと思っています」
「そうか。頑張ってくれ。その後は王都へ戻られるつもりかな?」
「……いえ、戻りません」
「では、どちらへ?」
こう、問うと、カインは大きく深呼吸を行い、私を真っ直ぐ見つめてきた。
「ケント殿。いえ、ケント様。あなたのおかげで私は立ち直れました。その礼をしたい」
「ですが、あなたが負った傷の原因は……」
「それは違います。事故は事故です。ですから……」
「お気持ちはありがたいが、トーワに人なく、あなたの医術を振るう場は――」
「別にいいんじゃない」
言葉を挟んだのはフィナ。彼女はこう続ける。
「今は大工の人たちもいるし、怪我人とか出るかもしれないじゃん。それに居てくれるとエクアの勉強にもなるしね。でしょ、エクア」
「え、あ、はいっ。お父さんが医者でしたので、興味はあります」
「そういうこと。受けちゃいなよ、ケント」
「君は軽いな。だが、たしかに言うとおりだ。カイン、何もない場所だが、よろしく頼む」
「はい、ケント様」
「ふふ。それと、様はよしてくれ。ケント殿と呼んでくれていただろう?」
「それは領主様と知らずのことでしたので」
「知ったとしても別に構わないさ」
「それでは……ケント、さん」
「あはは、私は年下なんだがな。よろしく頼む、カイン」
「はい。ワントワーフの皆さんの回復力から見て、十日後ぐらいにはお伺いできると思います」
「うん、楽しみにしている」
私たちはマスティフとカインと別れ、一同、トーワを目指す。
フィナが帰り道を尋ねてくる。
「どうする? 真っ直ぐ荒れ地を通れば一番の近道だけど」
「いや、遠回りになるが、マッキンドーの森と荒れ地の境界にある旧街道を見ておきたい。今後、利用するかもしれないからな」
「うえ~、めっちゃ遠回り~」
「なら、君だけ荒れ地を通るか?」
「うわ~、つめた。はいはい、付き合いますよ~っと」
「ふふふ、エクアもそれで構わないかな?」
「もちろんです、ケント様」
「では、街道を通って、トーワへ戻ろう」
――ケントたちが離れ行く姿をカインは見送る。
カインは彼らの後姿から視線を外し、空を見上げた。
瞳に映るのは突き抜けるような青い空と、大切な二人の姪っ子。
(エナ、リル。君たちに償うことはできない。罪は消せない。それでも、僕はもう一度、医者としての道を歩くよ。心には罪と後悔が刻まれている。だけど、許しは請うことに逃げない。命尽きるその日まで、二人が好きでいてくれた医者の僕として、あり続けるからね……)
評価を入れていただき、ありがとうございます。
この嬉しさを胸に抱き、楽しんで頂ける物語を皆さまへお渡しできるよう邁進してまいります。