天の時、地の利
――深夜
月は雲に隠れ、闇のみが生き物のように蠢く。
闇たちは音を喰らい、静寂を世界に染み渡らせていった。
だが、その静寂を穢す、愚か者たちが森に現れる。
彼らはシアンファミリーの傭兵たち……。
傭兵たちは古城トーワの遥か手前で馬を降り、一度は穢した静寂に溶け込んでいく。
闇に敬意を払うかのように、ランプには布を掛け明かりを塞ぎ、足元が僅かに照らし出される程度の光源で彼らは森の中を歩く。
小さな呼吸音さえも、千里に届くような錯覚を覚えてしまう闇夜。
彼らはひたすら息を殺し、古城トーワへ向かった。
トーワの第一の防壁の前に立ち、小柄な戦士が静寂に音を思い出させる。
「ここにケントの野郎と絵描きのガキがいるわけだ」
隣に立つ無骨そうな戦士が答えを返す。
「ギウもいるかもしれない。油断はできないよ、兄貴」
「わかってるさ。そのために三十人もの傭兵を連れてきたんだからな」
彼はちらりと背後を覗き見た。
闇に交わる傭兵たちは生気を完全に消し去り、亡霊のように立っている。
「フン、なるべく目立たずか……念のため、近くに人がいないか軽く見回ってこい。音を立てずな」
小柄な戦士に指示され、一人の傭兵が布を掛けたランプを手に周囲の見回りに出た。
数分後、男が帰ってくる。
「人の気配なしです」
「よし……これで派手に騒ぎ立てやすくなったな」
「兄貴。城までは距離がある。ここで騒ぐと仕留め損なうかも」
「わかってんよ。城までこっそり近づき、中に入って、ブスリといこう。無駄にギウとやり合う必要もねぇしな。万が一、城の中や途中でギウに出くわしても、この人数なら大丈夫だ。行くぞ」
傭兵たちは足音を殺し、防壁へ近づいていく。
月光の加護のない夜は暗闇が粘り気を帯び、彼らに纏わりつく。
防壁の傍まで来て、小柄な戦士が呟いた。
「月が雲に隠れたのは奇襲にもってこいだが、こっちも暗くて動きにくいな」
「そうだね、兄貴……早く終わらせよう。終わらせることができれば、問題が起きないから」
「問題? 長引いたら不味いことでもあるのか?」
「長引いたらというよりも、ケントたちを逃がしてしまったら、かな」
「たしかに問題だな。ムキ様に殺されちまう。だけど、そんなポカしねぇよ、ははは」
「その問題だけじゃないんだけどなぁ……」
「あん?」
「いや、ややこしい話はあとにしよう。それよりも、ここからどうする? 正面には他よりもちょっと広めの道があるようだけど」
無骨そうな戦士は道と評したが、それは防壁の一部が崩れ落ちてできた隙間。
だが、周囲の隙間よりも大きく、大人数が通りやすい。
小柄な戦士は黒に染まる隙間を見つめながら言葉を返す。
「そうだな、他の道を探すのも面倒だし、このまま進もうぜ」
「念のため、部隊を二つに分けたりは?」
「必要ねぇだろ。相手はケントとギウだけだぞ。分けるのは城の前で十分だ。ケントたちが逃げられないように、出入り口を押さえるためにな。さぁ、さっさと乗り込んで、さっさと終わらせよう」
「……わかった、兄貴に従うよ」
「よし、行くぞ」
傭兵たちは小柄な戦士と無骨そうな戦士に引き連れられ、闇が続く隙間へ吸い込まれて行った。
防壁を越えると、内部のあちらこちらに瓦礫が転がっていた。
彼らはそれらを避けながら、第二の防壁へ近づく。
「まったく、瓦礫が邪魔だなぁ。片づけとけよ」
「放置されてた城だからね。無理もないよ」
「城とはいえ、こんなぼろぼろの場所に住むくらいなら、橋の下の方がなんぼかマシだな。お、あそこに隙間があるな」
彼らは第二の防壁を越えて、第三の防壁へ向かう。
次なる防壁内も瓦礫に満たされていたが、先ほどとは違い、多少は整備され、人の手によって作られたと思われる瓦礫の山が点在していた。
「ここら辺は片づけてるのか?」
「というよりも、片づけてる最中って感じだね。たぶん、適当に瓦礫を集めてまとめてるんだよ」
「一応やることはやってんのか。あ、クソッ」
小柄な戦士が足を止める。
彼が足を止めたのは最後の防壁の前。
防壁は崩れ落ちているものの、その隙間に瓦礫が埋まり、先に続く道を完全に塞いでいる。
「この道を真っ直ぐ行けば城まで抜けられると思ったが。しゃーねぇ、迂回するか」
彼は左右に顔を振る。
左は瓦礫がひどく散乱し、暗闇の中、拙い光源を頼りにそれらを避けて歩くのは厳しい。
右には大きな瓦礫の山があって、それが右の道を塞ぐように立ちはだかっていたが……。
「うん? 右の瓦礫の山の手前に曲がり角あんのか?」
「待って、いま明かりを……」
無骨そうな戦士は城から目立たぬようにランプを掲げ、闇によって先が見づらい道を睨みつけるように見た。
それに小柄な戦士も続く。
「う~ん……やっぱり、あるっぽいな。そっちから城に行けるか?」
「ここから距離もないし、確認してみよう」
傭兵たちは曲がり角へ向かう。
角を曲がると先に続くは、左右を壁に挟まれた道。
一見、行き止まりに見えたが、正面奥には崩れた壁があり、その隙間から闇の衣を纏った城がうっすらと浮かんでいた。
「お、あそこの隙間から城まで抜けられるな。はぁ~、面倒だったぜ」
「もし、防壁が機能していたら、もっと面倒だったかもね」
「だなっ。それじゃ、城へ行ってケント様をお優しく起こしてあげようかねぇ~」
小柄な戦士を先頭に、傭兵たちは城に繋がる曲がり角へ入っていく。
その途中で無骨そうな戦士は、曲がり角入口の右隣りに積んであった瓦礫の山が目にちらついた。
「ん?」
「どうした?」
「いや、なんでもないよ」
「そうか? じゃあ、行こうぜ」
小柄な戦士は歩む。無骨そうな戦士も傭兵たちも後に続く……その先にあるのは道ではなく、夜の支配者たる闇さえも畏れを抱く深淵とは知らずに……。
「よし、あとは城まで歩くだけ、いたっ!」
小柄な戦士は何かにぶつかり、鼻の頭を押さえた。
「いたたっ、なんだ?」
「どうしたの、兄貴?」
「いや、なんかにぶつかって……」
彼は先に続く道に手を伸ばす。
すると、手入れされていない爪先がコツリと音を立てた。
「え?」
ゆっくりと、音を立てたモノを指で触れる。手の平で触れる。手の平にはぬるりとしたものが纏わりつき、同時に硬い石のような肌触りが伝わる。
「なんだ、このぬるぬるしたのは? それにこの硬い感触は……まさか、壁か?」
「あ、兄貴っ。これは絵だ!」
「なに?」
「目の前にあるのはっ、道の風景が描かれた壁だよ、兄貴!!」
「はぁ、絵だとぉぉ!?」
――ギウ、今だ!
ケントの掛け声と同時に、傭兵たちの後方から激しい音が響いた。
「なんだぁ!?」
傭兵たちは後ろを振り返る。
後方は濛々とした土埃が舞い、瓦礫が出口を封鎖していた。
その様を見て、無骨そうな戦士は悲鳴にも似た怒声を上げる。
「さっきの瓦礫はそのために! 兄貴、早く脱出を!!」
だが、この声とほぼ同じくして、ケントの声が闇を切り裂いた。
「もう遅い! くらうがいい!!」
「ひ、なんだ!? 上から何か降ってきたぞ!?」
彼らは上から降ってきた何かに怯え身体を激しく振ったが、それが余計に彼らの動きを縛ることになった。
そこに防壁の上からケントが姿を現して、慌てふためく彼らの頭上に笑い声を響かせる。
「あははは、投網に捕まる気分はいかがかな? 傭兵の諸君」
「投網!?」
小柄な戦士が頭に絡まっていた物を手で掴んだ。
それは太い縄で編まれた漁のための網。
より深く動きを奪うためか、その網には釣り針が仕込んであった。