運命の歯車は軋みを伴い回る
前章のあらすじ
八年後のフィナ「絶望を前に足掻いていた。先にあるのは死だとわかっていても。だけど、その足掻きは無駄じゃなかった。まさかの援軍。これで世界を取り戻せる。過ちを正すことができる……ケント、どうやらあなたと会うのはもう少し先になりそうね」
これはバルドゥルが空間を操りケントたちを閉じ込めた直後の出来事。
――アグリス
フィコンは黄金の歯車の意匠が紡がれた絢爛な純白のドレスに身を包み、多くの書物に囲まれた司書室でルヒネ派の教えに対する別の角度からの解釈を考えていた。
その思案の最中、彼女はノートを走る古風な羽ペンの先を止める。そして、瞼をピクリと動かして黄金の瞳をトーワへ向けた。
「なんと、ヤツめ。世に出よったか。果たしてギウたちで勝てるかどうか……いや、これは?」
黄金の瞳が輝き、結末を見通す。
「信じられん。勝つというのかっ! あれほど強大な存在に……そうか、『百合とアステ=ゼ=アーガメイト』の種が芽吹いたのか。流転する運命を読み切り、切り札を渡すとは……そこに至る可能性は零に近いものだっただろうに。ふふ、銃の水晶は銀眼のナノマシンの深き絆に惹かれたのだな」
フィコンはさらに瞳へ思いを乗せる。
「ふむふむ、先に続く道は……馬鹿な、なんという愚かな選択を! ネオめ、力が手に入らぬならば消すというのか。クライル半島、いや、このビュール大陸ごと! エムト! おるか!」
「はっ、ここに」
司書室の前でフィコンを守護していたのだろう。彼女の声に応え、漆黒の鎧を纏い真っ赤な髪に髭を生やした熊の如き巨躯を持つエムトが返事をする。
感情の揺らぎを感じさせないフィコンは珍しく声に焦りを乗せて捲し立てる。
「軍を動かす準備をしろ!」
「は? 何故に?」
「近いうちに必要になる」
「しかしながら、二十二議会が」
「力で押し切れ! 反対する者はフィコンの名において首を刎ねる!」
「なりません! 一時の無理は通せましょうが、斯様なことを行えば後に糾弾されます
「後などない!」
「なっ?」
「エムトよ、フィコンを信じろ。サノアの恩寵授かる黄金の瞳が世界の危機を映している。事はアグリスだけでは済まぬのだっ!」
フィコンの瞳が純然と輝く。
その輝きの内側に広がるのはサノアの力。
エムトは畏敬の力を前に思わず頭を垂れた。
彼の心の中に、人を超える圧倒的な存在が宿る。
「凡夫にはよくわかりませぬが、フィコン様は恐ろしき未来を見たのですね」
「そうだ。今すぐにでも半島内の有力勢力に手紙を出しておけ。フィコンの名においてビュール大陸に災いが降り注ぐ。軍を用意しろと。さらに、大陸側の有力勢力にも同じ手紙を送れ」
「その言、彼らが信じましょうか?」
「信じなければ滅ぶ! 手紙にこう書き綴れ」
フィコンはエムトへ言葉を与える。
この数日の内に起こるであろう、絶望を……。
言葉を受け取ったエムトは将軍の名に見合わぬ青褪めた表情を見せた。
「そ、そのようなことが起きれば、我々全種族は、このビュール大陸は……」
「半島内はともかく、すでに大陸内の者たちは変化を知っている。恐ろしさを知っている。この手紙を無視できまい。疑念を抱きながらも備えをするだろう。もし、早き備えを行い、アグリスに軍を送る者たちが居れば……門を開け放ち、招き入れよ!」
「っ!? さすがにそれは!」
「言ったであろう。事はアグリスだけの問題ではない。このビュール大陸の未来がかかっておる。いや、世界の未来がかかっておる! その時に、種族同士で争っている余裕はない!」
フィコンは長い黒髪を荒々しく振るい、黄金の瞳を輝かせたまま光跡を残して遥か西を睨みつけ、次にぽつりと漏らす。
「ネオめ! なんという愚かな決断を! いや…………愚かはフィコンも同じか」
「フィコン様?」
彼女はエムトの問いかけに応じず、まっすぐと正面を見据え、語る。
「フィコンは運命の傍観者だと思い込んでいたが、ネオにまんまと濁流に飛び込まされてしまった。やはり、人。運命を変えるには自らが危地に飛び込み、挑まねばならぬ時もあるか……」
――同時刻、クライエン大陸・ヴァンナス国・王都オバディア
議会場――王を要に置き扇状に広がる議会場では、各議員たちが侃々諤々とやり合っていた。
珍しく議会に出席していた要石であるネオは暇そうに欠伸をしている。
傍にいた淡い緑服に身を包む神官が王にそれとなく注意を促す。
「陛下、口閉じて!」
「それとなく注意してくれよ。もう少し、オブラートにさ……」
と、いつものやり取りを行っていると、彼はピクリと紫の瞳を東へ向けた。
「この気配? 空間の変動? 召喚……ではないな。位相をずらし、世界を切り離したのか。場所は……ビュール大陸!?」
「陛下、戯言を諳んじて誤魔化さない!」
「誤魔化してないよ! 真面目、大真面目! ジクマ!」
議会の中心で議員たちの言葉を巧みに操っていたジクマは名を呼ばれ、彼らの言葉を鎮めた。
そして、王へ頭を垂れて、言葉を返す。
「陛下のご賢察の通り、ビュール大陸で何かが起こったようです」
「お前も感じたんだな」
「ええ、私もまた魔術士の端くれ。これほど巨大な力の変化であれば万里先でも感じ取ることができます」
彼の言葉を受けてネオはそれ見たことかと神官へ声を飛ばす。
「なっ。だから、妙な感じがするって言っただろ?」
「なるほど、ジクマ閣下が仰るのであれば間違いないでしょうね」
「おいっ! なんで私の言葉を信じないんだよ!」
王の言葉を信じず、その臣の言葉を信じる神官にネオは唾を飛ばす。
馬鹿げた漫才のような姿をジクマは見つめるが、顔には笑いも呆れもない――ただ、恐怖に身を包むのみ……。
「陛下、事は急を要します」
「そうだな。会議は中止だ! 私とジクマ以外、全員出ていけ!」
なかなかお目に掛かれないネオの剣幕に、議員たちは今日は真面目に本気だと感じ取り、また囁き合い、議場から出ていった。
ネオは彼らの態度に不満そうな声をぶつける。
「なんであいつら、本気の私を珍しい動物みたいに!」
「普段から真摯に議会へ臨まないからですよ」
「下らん問答が多すぎるんだよ。欠伸の百や二百は出るだろ!」
「多すぎです。それよりも、問題は……」
ジクマは一度東へ視線を振って、ネオへ戻す。
「レイからの報告でビュール大陸の魔族に大きな変化が出ていると聞いていましたが、こうも早く訪れようとは……」
「彼の報告のおかげで研究施設をフル稼働する方針を取り、対抗手段となる方法を準備していたけど、ちょいと早すぎるねぇ」
「ええ、こちらの準備が完全には整っていません。もし、ヤツが何かの拍子で目覚めたとなれば、世界は……」
「そうだな、私たちは敗れる……ん?」
「陛下?」
ネオの紫水晶の瞳がきらりと輝く。
「そんな、奴の気配が消えた? 誰かが討ち取っただとっ? 一体、誰が!? ギウ? スース? サノア? いや、ギウでは勝利の可能性はほとんどない。スースは動く気がない。サノアは古代人共の災いからの守護に力を使い果たし、私たちに託した。では、一体……?」
「どうされました陛下?」
「ヤツが、敗れたみたいなんだ」
「なっ? あり得ません!? あの男を殺せる存在など限られている。そして、限られた存在は我々に未来を託した!」
「ああ、その通りだ。だけど、倒した者が居る。倒したとするなら、その者はおそらく遺跡を探索しているはずだ。彼らの知を知っているこそから対抗できた可能性が高い。ジクマッ! 遺跡の結界はどうなっている!?」
「毎日のように監視しておりますが、変化はありません」
「変化がない? それはおかしい。奴が目覚めているのにか?」
「あっ、た、たしかに」
「何者かが充填石に細工し、私たちの目を閉じさせた。私たちの外にあって、やれるとするなら……テイローだ!」
「まさか、ファロムが? しかし、彼女はあの遺跡の危険性を重々承知しているはず」
「たしかに……いや、そういえばテイローの長はファロムから変わったんだろ? そいつが無謀にも遺跡に挑戦し、成功したのかもしれない」
「ですが、こちらに痕跡を見せることもなく……」
「やれる奴がいたからこんな事態になっているんだろ。まさか、アステ=ゼ=アーガメイトの結界を破る奴がファロム以外にいるなんて。こりゃ、アーガメイトご自慢の警報型充填石の存在を過信しすぎたようだね」
「……ええ、陛下のご推察の通りなのでしょう。私もまた、友の力を信頼しすぎたようです」
「ったく、無名の天才ほど厄介なモノはない。ジクマ! 充填石の機能が生きているかどうか調べさせて最悪の場合に備えろ!」
「それは……遺跡を放棄するつもりですか!?」
「最悪の場合そうなる。誰かに渡すなら破壊する方がマシだからね」
「し、しかし、そのようなことを行えば、ビュール大陸は!」
「それは仕方ない。私たちに遺跡を破壊するだけの力はないわけだし。それなら、遺跡を作り上げた連中に破壊させるしかないさ」
ネオは口調こそ軽いものの、拳は固く握り締めて、数度見えない壁を叩くような仕草を見せた。
それは苦渋の決断の表れだったのであろう。
さらに彼は、ジクマに命を与える。
「飛行艇ハルステッドは今どこにいる?」
「ガデリから離れ、クライル半島経由してこちらへ向かっています。今は半島を目指しているかと」
「クライル半島? そりゃまたなんで?」
「トーワにガデリ出身のレイの知人が居るようで、その者にガデリの詳細を伝えてほしいと彼から」
「そっか。だったら、都合がいい。ハルステッドをクライル半島に向かわせ、遺跡を荒らした者を捕らえろと伝えろ」
「畏まりました」
「ふぅ、とりあえずこれでいいかな。あとはレイを王都の守護に回して……ん?」
「どうされました、陛下?」
「今、トーワと言った?」
「ええ」
「トーワにはケントがいる。最近の彼は半島で活躍してばかりだけど……この騒ぎもケントのせいとかじゃ?」
「それはないでしょう。彼に遺跡の結界を破る力はありません」
「だけど、報告には彼の下に旅の錬金術士がいるとかあったよね?」
「はい、報告には。しかし、レイやアイリからの報告によると、一般的な錬金術士だそうで」
「一般的な……」
ネオは顎下に手を置いて、僅かな時間、頭を捻る。
「……レイを筆頭に勇者たちは、私たちが秘密裏に稼働している研究所の正体を探っていたな?」
「はい。ですが、これについて一片たりとも情報は漏れていません」
「しかし、私たちに何らかの疑いを掛けている。そうなると、保険の一つや二つはかけたくなるもの……彼らの報告を鵜呑みにはできない。その錬金術士、仮にファロム級とすれば、遺跡の攻略が可能なんじゃ?」
「それは……そうですが」
「なるほど、ケントは最良の駒を手に入れ、私たちへ報告を行わずに遺跡の探索を行っていた。そして、男を目覚めさせ、倒した。レイたちはその駒の存在を知りながら報告を怠った。倒した方法はわからないけど、倒したとするならば――遺跡の力を手にした可能性が高い!」
ネオは悔し気に拳を振り下ろす。
それは自分が大切に保管していた宝物を横から奪われたような態度。
「ジクマ、あの遺跡の探索能力を使えば、私たちが行っていることが筒抜けになるな」
「おそらくは……」
「ケントは怒り狂い、ここへやってくるぞ」
「その前に、叩きますか?」
「いや、迎え撃とう。あちらの状況がわからないままこちらから突っ込むのは危険だ。餌をばらまき罠を張ろう。それに掛からなければ、ハルステッドの報告待ちだ。もし、ケントが遺跡の探索を行った痕跡があれば、すぐさま逮捕しろと伝えるんだ」
「はっ!」
「それと、ハルステッドに乗るアイリを拘束するよう伝えてくれ。謀反の疑いがある、と」
「それは……」
ジクマの瞳に迷いが宿る。
アイリは彼の娘ではない。ただ、三十年前に失った娘の姿に似ているだけ。
それだけなのだが……ジクマはスッと息を吐いて、しっかとネオを見つめる。
「ハルステッドのレイア=タッツ艦長に伝え、勇者拘束用魔法及び錬金の拘束器具を使い、捕らえるよう命じます」
「悪いな、辛い命令をしてしまって」
「全てはヴァンナスの繁栄のためですから」
「……うん、そうだな。そのために私たちは血塗らえた道を歩む覚悟を決めた……クライエン大陸にいる勇者レイを筆頭に、残りの勇者たちへ命を与え、離れさせろ。そして、分断したところで一人ずつ拘束するように」
「はっ!」
「それに加えて、残る『彼女ら』の稼働を前倒しにしよう」