傷心
世界に広がる変化にまだ気づかぬケントたちは遺跡からトーワへ戻り、執務室にて今回の顛末をエクア、ギウ、フィナ、親父、カイン、マスティフ、マフィンと話し合っていた。
彼らはとても疲れた心と体を声色に乗せている。
――執務室・ケント
「……陳腐な言葉だが、危なかった。もう少しで世界をバルドゥルに明け渡すところだった」
私の声に誰も言葉を返さない。
それは絶望から逃れられても、その気配はいまだ私たちに纏わりついて離れていないからだ。
カインは唇に震えが残る声を漏らす。
「あ、の、と、とりあえず、皆さんが無事でよかった。ケントさんの目も診察したところ大事がないようですし。誰一人、欠けずに済んだことを喜びましょう」
「そうでしょうか……」
ポツリと言葉を漏らしたのはエクア。
彼女は部屋の隅で無言に身を包むフィナヘ視線を飛ばして、私へ瞳を寄せる。
「もう一人のフィナさんは、あの男に」
「そうだな。埋葬してやることもできなかった。その余裕もなかったとはいえ。せめて墓を……いや、本人は生きているのに墓を作るというのもおかしいか?」
私は顔をフィナへ向けた。
彼女は戦いを終えて以降、一言も言葉を発していない。
ずっと無言……。
私は彼女の名を呼ぶ。
「大丈夫か、フィナ? 君はずっと塞ぎ込んでいるようだが?」
「…………間違ってなかった」
「何?」
「ヴァンナスは間違ってなかった。理論派は正しかった」
「フィナ?」
名を呼んで問いかける。
すると彼女は堰を切ったように感情を露わとした。
「あいつらは間違ってなかった! 無闇やたらに知識に触れてはいけなかったのよ! 危険な知識はそれを理解できる者が管理すべき! なのに私ったら、何も考えずに好奇心の赴くまま……そのせいで、世界を滅ぼすところだった!!」
彼女は無言の内にずっと感情をため込んでいたのだろう。
言葉をまき散らし、執務室を嘆きの洪水に沈めていく。
「何なのよ、古代人って。全く歯が立たなかった! 魔法も科学も何もかもっ! 足元にも及ばなかった! 私じゃ、どうにもできなかった! もう、無理よっ! これ以上は駄目よっ!!」
フィナは背を壁に預けて、涙混じる声を吐き続ける。
「今すぐ遺跡を封印しましょう。あれは人の触れていい物じゃない。触れちゃいけないのよっ。未知なる存在は、知識は、すごく楽しいものだと思ってた。だけど違ったの! 未知、理解の及ばないもの。それは……怖いものだったんだ……」
辛うじて、涙を流すことなく声だけに涙を混ぜ込む。
彼女はテイローの長。
だが、十六歳の少女でもある。
私はこれまでそんな少女に頼りきりで、大きな負担を掛け続けた。
誰もがその重圧を知り、フィナへ優し気な言葉を掛けていく。
私もまた彼女に寄り添い、毛布のように柔らかな暖かさの籠る言葉を掛けようとした。
「フィナ、つらか――!?」
目をギュッと閉じて涙を流すまいと抵抗するフィナのそばに、私は八年後のフィナの姿を見た。
過ちを犯し続け、自信を失ったフィナの姿。
あの世界で彼女と私は互いに慰め合っていたという。
そうして、ますますあのフィナは自信を失い、私の知らぬフィナとなっていった!
私は柔らかな毛布を捨て去り、フィナへ冷たく固い氷のような言葉を投げつける。
「君は、逃げるのか?」
「え?」
「君はたった一度の挫折で尻尾巻いて逃げるのか? と、尋ねているんだ?」
「ケ、ケント?」
「普段の君はどこへ行った? 不遜で、傲慢で、自分にできぬことはない自惚れていた。その自惚れが白日の下となり、怯えたのか?」
「ど、どうして、そんな風に……?」
「どうしてだと? 私は今まで君が他者へ言ってきたことを言っているだけだ」
「私が?」
「そうだ。君は恋人を奪われ失意の内に酒に溺れるグーフィスになんと言った? 情けない、だぞ。私が自身のことを振り絞って正体を明かしたとき、すぐに言えだの、私の存在は君たちと何ら変わりないと軽く言ってのけただろ。君はそうやって悩みを抱える人々に対してちっぽけな悩みだと言ってきたのではないか?」
「それは……あんたのことは悪かったと思うけど、グーフィスのことと今回のことを一緒にしないで! 私は世界を滅ぼしかけたのよっ! 相手は絶望そのもの! それをグーフィスなんかと!」
「本質は同じだ、フィナ!」
「同じなわけっ」
「いいか、よく聞けフィナ! 人には様々な悩みがある。辛いことがある。それは他者から見ればちっぽけなものかもしれない。だがなっ、悩みの壁を見上げている者からすれば、越えられないほどの高さでありっ、手を伸ばすのも恐ろしい壁なんだっ!!」
私は執務机を殴りつける。
その音に怯えるフィナへさらに暴力的な音をぶつける。
「それでもな、グーフィスは乗り越えた! 私も何とか乗り越えることができた! グーフィスは君の言葉がきっかけで! 私もまた、世界は違えど君という存在が送った言葉のおかげで乗り越えることができたんだ! そうだというのに、そんな君がたった一度の挫折から逃げるというのか!?」
「そ、そんなこと言ったって……この壁は高すぎるよぉ」
フィナは壁に合わせていた背中をずるずると下げていく。
挫折に屈して座り込もうとしている――そんなこと、私が許さない!
「座るな、テイロー!」
「ひっ」
「このままだとファロム様の言った通りになるぞ。ファロム様はわざと君に長の椅子を譲った。君に才あれど、潰れるならその程度となっ。私の父、アステ=ゼ=アーガメイトも未熟だと言った! 君はここで潰れ、未熟者のままで終わるのか!?」
「だけど、あれは触れちゃ駄目なものなのよ」
「何をふざけたことを! 君はどこまでも知識を追う覚悟があったのではないか。その志はただ一度の挫折で消えてしまったのか?」
「う、うう」
「所詮はその程度の小娘だったんだな! 見損なったぞ、フィナッ!」
あまりの剣幕に、ここでエクアが言葉を差し入れようとした。
それを私は――
「ケ、ケント様。いくらなんでもすこし」
「引っ込めエクア! 道理を知らぬ子供が横から口を挟むな!!」
「あ、う、ご、ごめんな、」
エクアは予想だにしなかった私の荒々しい言葉に声を詰まらせ、涙を浮かばせた。
だが、そんなものに一瞥の価値無しとばかりに無視をして、さらにフィナを罵倒する。
「いいか、フィナ。臆病な君がここで知識を追うことを諦めても、私は諦めない! あの遺跡を細部に渡り調査して、必ずや古代人の謎を解いて見せる!」
「できるわけ、私がいないと」
「できるできないではない! 必ずやり遂げるっ! そうでなければ、スカルペルの安全は保障されない!!」
「それ、どういう……?」
「忘れたのか? この世界に古代人がいるかもしれない。もし、彼らが敵に回ることがあれば遺跡の力が必要になる。そう言ったのは君だぞ!」
「それは……」
「古代人がバルドゥルだけとは限らない。そうである以上、私は遺跡の発掘をやめない。そして、誰か見知らぬ存在に未来を預けるつもりもない。これもまた君の言葉だ!」
「――っ」
「フィナ=ス=テイロー。君は実力でテイローの座を奪ったと自負しているのだろう。ならば、それに見合った行動を取れ! できなければ、負け犬として一生を終えろ! それが君の本当の姿ならな!」
「ケント……なんで、そんな……」
「さぁ、どうするんだフィナ!? 君は世界最高の錬金術師フィナ=ス=テイローか? それとも負け犬のフィナなのか?」
「う、うう、うううう、うううわぁぁぁっぁっぁあっぁあぁぁ、いいいいあいあいいいいあいいあ!」
フィナは赤色のつば広チロルハット振り捨てて、頭を掻きむしり、獣じみた雄叫びを上げた。
そして、涙を流しながら、私に咆哮する。
「あんたに何がわかんのよっ。勝手な事ばかり言いやがって! 私がどんだけ怖かったと思ってんの!? あんな馬鹿げた存在相手に抵抗もできず、目の前でもう一人の私が殺されて、そんな私の気持ち! あんたにわかんのか!!」
「わかるさ。理解した上で言っている」
「だったら、もう少しっ」
「私の知るフィナは優しさに甘えるような女ではない!」
「……えっ?」
「私の知るフィナは恐怖に屈する女ではない。いついかなる時も、自信を崩さず、自分をどこまでも信頼している女だ! だから、フィナ!」
――屈するな! 君が諦めずに立ち向かうというならば私がどこまでも支えてやる!!――
「けんと……」
「フィナ。最後にもう一度問い掛ける。君はたった一度の挫折で今まで築き上げてきた自分の姿を否定する気か? 知を追うことをやめ、怯えを纏い一生を終えるつもりか?」
「わたしは……わたしは…………私はっ」
フィナは床に捨てた帽子拾い上げて、涙に濡れた瞳を隠すように深く被った。
「私はフィナ=ス=テイロー! テイローの長にして世界最強! 歴代最高の錬金術師! このクソッたれ領主!! 死ね!」
フィナは扉を殴りつけるように開き執務室から出ていった。
それをエクアが追いかけようとしたが、私の目を恐れて、びくびく震えながらこちらへ視線を振る。
私は彼女に視線を合わせることなく無視をした。
それにエクアは戸惑った様子を見せたが、それでもフィナが心配のようで、小さく会釈をしてフィナを追いかけていった。
先ほどまでの喧騒が嘘のように引いて、沈黙が辺りを包む。
親父とカインが私を窺いながら話しかけてくる。
「旦那、少々きつすぎませんかね?」
「フィナ君は優秀でも十六歳の女の子。あまりきつく当たるのは逆効果だったのでは?」
彼らの言葉にマスティフとマフィンが続く。
「焚きつけるための言葉と言えど、過ぎれば、より深く心を傷つけることになろうぞ」
「何とかフィナは踏ん張ったにゃが、一歩間違えれば、壊れてたニャよ」
私は四人の言葉を受けて、ギウへ顔を向けた。
彼は何も発することなく小さく体を前へ揺らした。
顔を正面に戻して、私は独り言のような言葉を漏らす。
「フィナにとって、優しさとは毒なのだ。たしかに先ほどの言葉は、一歩誤れば彼女を壊しかねない。だが、フィナを救うにはこれしかないんだ。それを私は知っている」
挫折し、暗闇に閉ざされたフィナを優しく包み込んだ世界があった。
そこにいたフィナは自信を失い、私の知らぬフィナとなっていた。
もし、いま、彼女に柔らかく温かい慰めの言葉を掛ければ、彼女はそれに縋り、暗闇から抜け出せなくなってしまう。
フィナに必要なものは、歩く力を失った彼女を引いてやるための手ではない。
自らの足で大地を踏み締め、歩き出せるように追い立てること。
常に傲慢な自信家であることを思い出させてやること。
――彼女に慰めは似合わない。
私は席を立ち、後ろにある窓ガラスから遺跡を見つめ、もう一つの世界のフィナたちのことを心に浮かべる。
(彼らの忠告を無にしてしまったな。彼らの敵はバルドゥル――絶望とも言える存在を相手にずっと戦いを続けているのか。そして今もなお、彼らは絶望を相手に諦めず戦い続けているのだろうな……)