1%の勝利
私は大地に両膝をついて、荒く息を漏らす。
「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ、リンクとやらは心や肉体に負担を掛けるな……」
何度も息を吐き、吸い続ける。
そこに、親父の声が届いた。
「だ、旦那。大丈夫ですか?」
「なんとかな」
「よくわかりませんが、あいつを殺ったんで?」
「はっきりと弾丸を撃ち込んだ感触はあった。これで仕留めたと願いたい。さすがに次は無理だからな、はは」
軽い笑いと共に親父へ顔を向ける。
その顔を見た親父が声を震わせた。
「だ、だんなっ、目から血がっ」
「なに?」
目元に漂う温いモノに指先で触れた。
そしてそれをじっと見る。
指先にはぬらりとした赤が光っている。
「私の銀眼では負荷に耐えられず出血したのか。だが、こうして自分の血と指が見えている。視力は失われていないようだ」
「目は、大丈夫なんですね?」
「みたいだ。いやはや、非常に負担のかかる銃だ。もう、使用するのはごめんだな。もっとも、古代人の弾丸は失われ、使用したくてもできないんだが……最後の一発で、バルドゥルを仕留めることができたと祈ろう」
――マッキンドーの森
マッキンドーの森の片隅、そこに下半身を失い臓腑を引き摺るバルドゥルがいた。
「がぁ、はぁはぁはぁはぁ、私があの銃と弾丸の存在に気づかぬとはっ。認識阻害に加え偶然を装いケントとやらに手渡したのかっ? 必然であれば感じ取ることができたものを! 副所長めがっ」
彼は怒りを露わとし、砂と土にまみれた臓腑へ榛色の瞳を寄せる。
「クッ! 油断したとはいえ……おのれっ、未開人どもめ! 私の最高傑作であるこの肉体を壊しおってっ。見ておれ! 傷が癒え次第、血祭りに上げて、あの男の銀眼を刳り貫いてやるわ!」
「ざんね~ん。それはもう、できないわよ~」
「だ、誰だ!?」
声に応え、水が地より湧き出て螺旋を描き、流動生命体のイラが姿を現した。
彼女は森に漂う蛍のような光子の明かりを受けて、眩い水のドレスに包まれている。
「うふふ~、ひさしぶりねぇ~。バルドゥルちゃ~ん」
「き、貴様はスース! 何故、ここにっ!?」
「それは愚問ねぇ~。あなたたちがぁ、私を閉じ込めて~、一緒にここへ連れてきたんじゃな~い」
「クッ、騒動に紛れて施設から逃げ出していたわけか! だが、なぜ、この星を食べていない! それだけの時間はあったであろう!」
「う~ん、別に私たちは~、何でも食べるわけじゃないわよ~。昔は食べちゃってだけど~。クスッ」
イラはとても柔らかな笑みを見せるが、バルドゥルはその笑みに恐怖する。
「こ、この星は、お前が食べるに値しないと?」
「逆よ~。食べちゃうにはもったいないくらいに楽しい場所。だからぁ、みんなと一緒にいることを選んだのよ~……あなたと一緒にいるのは~、楽しくなさそうだけどねぇ」
イラのゆったりとした言葉。
言葉には殺気など皆無で、優しさのみが内包されている。
そうだというのに、バルドゥルは身体を激しく振るわせる。
ケントたちを圧倒した存在である彼が、イラを前にして恐怖に震えを止められないでいる。
「わ、私を、食べるつもりか?」
「ええ~、私はグルメなのよ~。あなたなんか食べちゃったら~、食当たり起こしそうだも~ん。それにぃ、サノアちゃんに余計な口出しをするなって言われてるし~。おまけに~、あなたには先約があるからねぇ~」
イラはそう言って、視線を近くの茂みに振った。
するとそこから、銀に光る胴体持ち、青と黒の交わる線を見せる背中とその上に背びれをつけた巨大な魚が現れた。
魚からは人間の手足が飛び出しており、右手には先端が三叉に分かれた銛を握り締めている。
「ギウ」
彼はそう言葉を漏らし、バルドゥルの姿を光の宿らぬ黒い真ん丸な瞳に映す。
瞳に映し出されたバルドゥルはギウのことを知らぬようで、疑問を纏う言葉を漏らす。
「な、なんだ、この巨大な魚は……ん?」
彼は視線を魚の巨体から銛へ移した。
「それは……マイクロブラックホールを動力源とした緋緋色金製の超振動の刃……まさか、貴様は、は、ゆっ」
バルドゥルは言葉を終える前に、グサリと銛を突き立てられた。
声を失った彼はさらさらとした塵となり、風に舞い、霧散していった。
何もなくなった場所から銛を戻して、ギウはぎゅんっと尖った顔をイラへ向ける。
そして、瞳に光を宿し、口元から声を生むことなく空気を震わせることで言葉を形作る。
「まぁ、何とかなったな」
「ギリギリねぇ~。あなたが相手しては駄目だったの~」
「現状の俺だと勝利できる確率は0.2%以下だからな。ケントたちなら1%。なら、ケントに頼むだろ」
「勝利確率は五倍。たしかにそうねぇ。なんとか99%の敗北を覆したわけねぇ~。でも~、危機的状況であなたが飛び出さないのには驚いたわよ~」
「この子の体だと俺の力のせいぜい2%程度しか使えねぇ。それも長くはもたない。そして、使用すればこの子は死ぬ。もちろん、あの銃でも届かなかったら、一か八かの賭けに出るつもりだったけどな」
「本当に綱渡り……これからどうするの~?」
「あいつらは知恵をつけ始めてるがレスターへの欲求が前に出て獰猛な獣と変わりゃしねぇ。バルドゥル所長のせいで知恵がついた分、スカルペル人じゃ対応が難しくなっちまった。下手すりゃ、この星の生命体を絶滅させちまう」
「あなたじゃ~、とめられないの~?」
「無理だな。あいつらは所長にだけ従うように改良されちまってるから俺では止めようがない。この千年間、それを打ち破るべくなんとかジジイの知恵に追いつこうとしたが、俺の現状じゃ研究もままならねぇ。おまけにそのバルドゥルの糞ジジイのせいで施設の七割が動き始めちまった」
「あなたたちが築き上げた知恵の果実が解き放たれてしまうのね~」
「そういうこった。翻訳機能も修復できちまったし、自動修復装置まで動いてやがる。ま、そこら辺を見越して、ジュベルの奴がメッセージを残したみてぇだが」
「そうなの~? どんなメッセージ~?」
「俺たちのことについて簡単にな。問題はその後だ。施設はヴァンナスの脅威を教える。それでケントたちはヴァンナスが行っていることに気づくだろうよ。その後、どうなるか簡単に見通せちまう」
「そうねぇ~。ネオちゃんは~、ちょっと焦りすぎちゃったからねぇ。ケント様たちは~、そこへ向かうでしょうねぇ」
「そうなる前に俺がやるべきなんだろうが、横から奪うのは……いや、そうするべきなのに。もしかして、呆けた俺は俺の尻拭いをさせようとしてんのか?」
「違うわよ~。あなたはケント様だからこそ託したいんじゃないの~?」
「馬鹿を言えっ。そんなわけっ……ともかく、そこで世界の分岐が現れる。そしてそこが、ケントとこの子の…………」
――各地の異変
ケントたちが世界の危機を回避して間もなく、アルリナで奇妙なことが起こり始めていた。
キサの両親が営む八百屋。
そこに客が訪れる。
「モシモシ」
「はいよ~、おや、ギウかい。何か野菜が欲しいのか?」
「ダイコントニンジントゴボウヲ」
「はいよ、お代は魚で? お金で?」
「サカナデ」
「魚だね。まけて、大きめの一尾でいいよ」
「アリガト」
「どういたしまして~」
野菜を購入したギウは砂浜へと戻っていった。
その背中を見送る後ろから、キサの母が慌てた様子でキサの父に話しかけた。
「ちょ、ちょっと、あんた!」
「あん、どうしたんだ、そんなに慌てて?」
「どうしたもこうしたもあるもんかっ。今、ギウが喋ってなかった?」
「へ? …………あああ~っ、ほんとだ! ギウが喋ってた!」
この日より、アルリナの海岸や港に住むギウたちがスカルペルの言語をしゃべり始めた……いや、彼らだけではない!
――ビュール大陸山中
魔族の一団に襲われ、生き残った男がアグリスの騎士団に対して狂ったようにこう訴えていた。
「あああ~、ありえないありえないっ」
「落ち着きなさい、もう大丈夫だ!」
「あいつらが、魔族が、俺に喋りやがったんだ!」
「何?」
「止められない、ごめんなさい。止められない、ごめんなさいって、何度も何度も謝りながら仲間を喰いやがった! ああ~、俺はおかしくなっちまったのか? あいつらが言葉なんか使えるわけないのに!!」