まさか、トーワは
しんみりとした空気をかき消すように、鼻歌交じりのグーフィスが大工道具を担いで現れる。
「ふふ~ん♪ ふふふ~ん♪ おや、ケント様に親父さんにフィナさんも」
「随分ご機嫌だな、グーフィス」
「いや~、最近は大工仕事に慣れてきたおかげもあるのか、ゴリンの親方からよく褒められるんですよ。今回だって、アルリナに戻っている間の城の整備を任されましたし」
「ふふ、そうか。それで、バルコニーの整備というと?」
「そこの窪みです。埋めとかないと足を引っ掛けてこけちゃいますからね」
「あはは、そうだな。頼んだぞ」
「はい」
グーフィスは返事のあと、私から視線を外してフィナに手を振るが無視される。
だが、彼はさほど気にする様子もなく仕事を始めた。
殴られ続け肉体も丈夫になっているが、心も丈夫になっていると見える。
思い人を奪われ、酒に溺れていた人間とはとても思えない。
今も戦争前だというのに、その緊張すら感じさせていない。
「戦争前だというのにいつもどおりとは、君は意外と肝が据わってるな」
「そりゃあ、ケント様が落ち着いてますから」
「ん?」
「ボスが落ち着いてるってことは、ちゃんと手を打ってるってことでしょ。だから安心して自分の仕事ができるんですよ」
「私を、信頼してくれているのか?」
「当然ですよっ。俺はケント様とあんまり接点はありませんが、それでもいい人で頭の切れる人ってのはわかりますから」
「ふふ、嬉しいことを言ってくれる」
「それでも万が一の時は、フィナさんっ! 俺が全力でお守りします!!」
グーフィスは親指を力強く立てて、丈夫そうな歯をきらりと輝かせる。
その輝きを受け取ったフィナは、じとりとした目を見せて肩を落とす。
「それは私より強くなってから言ってよね……」
「かぁ~、さすがフィナさんだ! 俺の成長を願っているんですね!」
「こいつのこの意味不明な解釈と前向きさが鼻につくよね?」
と、グーフィスを強く指差しながら私に視線を振ってくる。
だから私は……。
「ここまで惚れてくれる人間もいまい。それに以前君は、ありのままの自分を好きになってくれる人が好みと言ったろう。いっそ観念したらどうだ?」
「なんの観念よっ。あほらし。それじゃ、私先に行くから。親父は?」
「もちろん。旦那は?」
「私は執務室に寄ってからにする。フィナは先にカリスのところに行っててくれ。あとで私も向かう。親父さんは仕込みの確認でもしてきてくれ」
二人はこくりと頷き、バルコニーから出ていく。
私は離れる前に大工仕事に精を出すグーフィスへ、今の彼のこと尋ねた。
「グーフィス、君は航海士だったんだよな? しかも、その若さで客船の二等航海士。給料も高く、部下もいたであろう。今の仕事に満足しているのか?」
「え? はい、すっげぇ満足してますよ。自分で何かを作って、それが何年も何十年も先まで残るなんて、すげぇ仕事だと思ってますし」
「そうか、ならいいんだ」
「どうしたんすか?」
「いや、未練はないのか? と思ってな」
「未練ですか……そうっすね、世界中を旅できなくなったのはちょっと寂しいですね」
「世界中?」
「俺、貴族富豪が乗る武装付きの客船で働いていたんで。ま、船に乗ってた時間が少ないから、東大陸のオシャネシーをちょろっと覗いた程度ですけど」
「まさか、世界を回れるほどの豪華客船の航海士だったとは? 君には悪いが、そうは見えない」
「あはは、元は漁師ですが客船に憧れがあって、航海士なんて柄じゃない職業に就いたんで。見えないのは仕方ないっすよ」
「ふふ、それについてはアグリスでも同じ話を聞いたな」
「そうっすね。あ、でも、未練と言えば……」
「何かあるのか?」
「客船の機関室に、結構良い酒を隠しっぱなしで放置したまんまなんですよね。誰かが見つけて、飲んじまったかなぁ」
「あははは、そんなことか。いつか機会があれば、その客船から酒を取り戻せるといいな。それでは、私は行くよ」
「はい、俺も仕事頑張ります!」
珍しいグーフィスとの雑談を閉じて、私はバルコニーから執務室へと向かった。
――三階・バルコニー
グーフィスは閉じられた扉を見て頭を掻いている。
「酒を取り戻すかぁ。それは難しいよなぁ。もともと機関室は関係者以外立ち入り禁止で、専任の錬金術士以外は入れないし。だからこそ隠し場所にはもってこいだったんだけど……ま、諦めるしかないっか、ん?」
彼は大工道具を置いて、防壁が見渡せる場所まで足を向ける。
そこで彼は防壁を瞳に宿し、こう呟いた。
「この防壁の形って、客船の機関室にあった『アンクロウエンジン』に似てるな。まさか、トーワは海に浮かんだり? …………ぷ、ぷふ、あははは、馬鹿馬鹿しい、仕事仕事っと」